○○理論の要・不要について
○○理論が必要・○○理論は不要!を論じるのは実は不毛だよ~というお話。
理論が存在しえる場所
noterさんの間でも標題の件についていろいろな意見を垣間見ることができます。それぞれ独自に考えられての見解だと思うので一理あるのだろうと感じ、あらためて本当に興味深いとも感じながら拝読しています。
私が専門としてきたひとつの音楽でも例にもれません。その多くは「音楽理論がなくても問題ない!」のような感覚論が多く、理由が「(音楽理論がなくても)音楽をやるには支障がないから」ということさえあります。
もっと身近な例で言えば自転車。
どうやって動くかの理論を知らなくても自転車は乗れるし、人に乗り方を(自分の体験を通して)教えることもできます。でも、「どうやったら乗れるのか?」という教えられる側からの質問には説明ができても、質問が「なぜ乗れるのか?」になった途端に答えられなくなる。これは教える側に理論が備わっていないことに起因します。
理論が必要になるとき
しかし、教えるとなった途端になぜ理論が必要になるのでしょうか。
それは教える場合には自分ができていることを言語で相手に説明しなければならないからです。
そして理論の本質を先に書いておくと、理論とは、
自分で生み出せるものであると同時に、先人たちが積み重ねたことを学べる体系
です。この両面の本質を持っているからこそ○○理論という言葉は人を惑わすことになっています。
理論の必要性の理解
理論の必要性を理解するには、理論という言葉の周辺を調べる必要があります。
○○理論という言葉は、それを聞く人にとっては難しい印象を与えるのに十分な言葉です。そのため教えるという行為で理論から入ると大抵の人は窮屈に感じます。でもこれは自然な反応です。まずは「やってみる」というところからスタートする教育の手法が多く存在しているのは、そういう点を踏まえての結果だと思われます。
理論という言葉の周辺には論理という言葉が存在します。
理論と論理、この2つの違いを理解すると理論の必要性がわかってきます。
論理は筋道を立てることであり、何らかの法則性に基づいて論じたり考えたりすること。
理論は組み立てた論理を統一的に説明するもので、ある分野における知識体系のこと。
理論は論理の過程で紡ぎ出された体系で、そのほとんどは言語によって説明できます。
この2つの言葉の意味から考えると、「○○理論は要か不要か?を論じること」は「知識体系は要か不要か?」を論じることと同じ。その分野の知識体系がなくてもその分野において実行したり楽しんだりすることができるなら、それは不要でしょう。
ですが、それを教えるとなると言葉で説明できる必要があります。言葉で説明するには自分が体得していることが論理だてて整理でき、自分の中の理論として確立されていないとできません。
そして○○理論と名がついているのは、個人の範囲を超えて誰にでも理解できるように体系的に整理された、いわばその分野の叡智ということになります。
グダグダ言わずに理論に触れよう
もちろんそんな叡智を知ることなく自転車に乗ったり音楽を楽しんだりすることはできますが、どうせやるならその叡智を知っておいた方が得だ、という感覚にはならないでしょうか。普通に考えればこの考え方はアリなのではないかなぁと思えます。だって何かをやろうとしているとき、やろうとしている人はその分野に興味津々だからです。
理論から入るのは堅苦しいとしても、ある程度やってみた後で理論に戻ってくるというのは、いろんなことを自分で消化して上達させていくことがうまい人がやっていることです。
つまり、○○理論の要・不要は論じるにはほとんど意味はありません。理由はその分野に足を踏み入れた人の必要性により勝手に決まってくるからです。要とも言えないし不要とも言えない。
ただね、自分は不要な立場だからといって、○○理論をバカにしてはいけません。
その分野で重ねられた理論=叡智はひとりの人間が紡ぎ出すには巨大すぎるものです。その分野が歴史があればあるほどその叡智は膨大なものとなり、多くの本質を内包する思考の結果の宝庫になります。
もしかしたら、理論を自分で編み出してみたいという人もいるかもしれません。
もちろん理論は自分でも生み出せます。論理立てて思考を重ねた末に、体系的に整理してまとめることで理論を完成することができます。また、いろんな人が編み出している理論に触れるのはとても面白いですが、とりわけ過去の人間が生みだした理論には過去にしかわからなかったものが詰まっているのでもっと興味深いです。
今日はそんな、○○理論はいる・いらない、なんて話はもうやめて、やろうとしている分野に存在している叡智に触れてみようよ、楽しいよ?ということを書いて終わりにします。
え?興味ある理論はあるかって?実はあるんですねぇ^^。
叡智でないかもしれないけれど、サウンドイッチマン伊達氏の「ゼロカロリー理論」。
つぶしたらゼロカロリーになるなんて素敵じゃぁないですか(笑)