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「やった人にしかわからない」という表現

この表現を使うときは気を付ける必要があるというお話。
今日はちょっと長めですのでゆっくり読んでみてください。


経験者だけがわかる表現

あることを経験した人ばかりが集まった場所では、独特の言葉の表現が行き交います。全員が経験者なのですから、経験者だけがわかる表現で十分コミュニケーションが成り立つからです。

そのコミュニケーションの中でも仲間との精神的結束感を強める表現に、

やったことある人しかわからない

があります。

この言葉が誰からともなく発せられたとき、

「そうそう!だよね~!」

ってみんな思いますよね。
そしてこの話をしていてよかった~と、仲間でお互いを意識し合えます。

ただこの表現には、大いに共感できるとともに、とても強い疎外感も感じてしまいます。

疎外感とは「仲間がいなくて孤独だと感じる意識」。

おかしいですよね?まわりは仲間ばかりなのですよ。
なのに疎外感を感じる。なぜだ?もしかして自分だけ?

こう考えたとき、沸々と心の奥からいろんなことが沸いて来ました。

なぜこの表現を使ってしまうのか

考えてみたんですよ、なぜこの表現を使うのか。

 ・やった人に強い共感を求めたいから
 ・やったことない人にマウントを取りたいから
 ・やった自分を自己肯定したいから

「やった人にしかわからない」

この表現は思い返せば日常でよく耳にします。楽しそうに数人で話している人たちを遠目で観察していると、その中の誰かがこの表現を使って、その瞬間から仲間内で話がはずんでいく、そんな感じで。

ざっと考えても👆3つの理由は存在する。

そしてこの表現が使われる背景にはどうやら、「経験者」「未経験者」「自分」の3視点があるようです。

経験者の視点

経験者とは
 「やったことがない行為をやった人」
 「やった結果、自信や劣等感などを抱いた人」
です。

経験した人ですから、未経験の人と比べたら進んだ体験を持っている。だから未経験者に対して自負心を抱いている場合もあるでしょう。

経験者の視点とは、人より優位に立ってしまう可能性がある視点

未経験者の視点

未経験者とは
 「何かの行為をやったことがない人」
 「やったことがある人の気持ちがわからない」
です。

経験していない人は、経験者から比べればそれについての知見もありません。他人が持つ知見をうらやましい、自分もしてみたいと願う人。

未経験者の視点とは、知らないという劣等感を持つ可能性がある視点

自分はどの位置に立ちたいか

他人と話しをするとき、多くの人はその話題について「経験者でありたい」と思うでしょう。あ、これはあくまで推測なので、人によっては「未経験者でありたい」という人もいるかもしれませんが。

でもやっぱり、未経験よりは経験済の方がいい。

つまり未経験者は経験者に対して「憧れ」「諦め」の感情を持っているんだと思います。

それを理解した上で自分はどの位置に立ちたいか。つまり
 「その行為に興味ないから未経験でもいいや」
 「その行為に興味あるからぜひ経験してみたい」

このどちらかの立場を選ぶわけです。どちらの立場を選んでも、「やった人にしかわからない」という表現は自分も含めて周りに大きな影響をもたらします。

「やった人にしかわからない」が与える影響

あなたが複数人で会話をしているとき、この表現を聞いたときにどう思うか想像してみてください。

「だよね~!」って思えるならあなたは経験者です。そしてそう思えない場合は未経験者です。

複数人での会話で全員が経験済の話題ばかりすることはないはずです。つまり会話の中に経験者・未経験者が混じっている。

そんな中でこの表現を使ってしまうと、経験者と未経験者の間に大きな壁が立ってしまう感じがするんです。経験者は「だよね~!」と結束感を強め、未経験者は「あ~これ知らないわ」と劣等感に近いものを抱く。

この表現が出た話題が収束していけばいいのですが、続けば続くほど経験者と未経験者の溝は深まるばかり。そして経験者こそ「やった人にしかわからない」と簡単に繰り返して言ってしまう(笑)。これがもう大いに問題あるような気がします。

いや、いいたい気持ちはとてもよくわかるんだ^^。

経験者が「やった人にしかわからない」というのは、
 ・自分に対してどれだけ大変だったかを振り返りたい意識
 ・未経験者に対してこれはやっておいたほうがいいと勧めたい意識
 ・まわりの人に対して自分は経験者であることを知らしめたい意識
こんな感じのが相混じって、この表現を使ってしまうのだと思います。

「やったことない人でもわかる」と1セットで使う

「やった人にしかわからない」は経験者側の表現です。

この表現だけを聞くとその場にいる未経験者は疎外感を感じてしまう。そしてその疎外感が理由で人間関係にもつれができる場合もあるでしょう。

だからね。この表現を使うときは、未経験者側の表現も併せて使うこと。それは、

やったことない人でもわかる

未経験者側のこの表現と1セットで使うことで、経験者と未経験者の感情の溝を埋めることができる。こんな会話、いいと思いませんか?^^

「あのね、やったことがない人でも○○はわかる。でも、これやってみたら△△なことがもっとわかるようになるよ。どう?一緒にやってみない?」

こんな風に人から言われたらうれしいですよね。もっと話したくなりますよね。

人にこんな風に言ってもらえる人間になりたいし、他人にもこんな風に言える自分になりたいものです。

#言葉 #モノの考え方 #コミュニケーション #生活 #仕事のコツ #66日ライラン

あとがき

同じ経験をした仲間ばかりの中で聞いた「やった人にしかわからない」表現に、私がなぜ疎外感を感じたのか。

考えてみると私はこの言葉を使うにあたり、経験・未経験の枠を取っ払っていたみたいです。つまり経験者・未経験者の視点を切り替えて仲間たちと会話をしていたため、未経験者の立場に立った会話になったときに疎外感を感じていた模様(笑)。

そんな器用に会話してたのか、楽しめてねーじゃん自分(笑)、ということが気づけてよかったな😅

やっぱこうやって感じたこと、考えたことを整理してまとめると、自分がわからなかった自分に気づくことができる。

文章にアウトプットするって、改めていいなあ~、必要だな~と感じました。


※この内容を考えるにあたって重ねたメモも特別に載せておきます。メモから文章へ起こすときに何かのコツになれば
※メモにはあっても本文に載せてないものもあります

・同意義表現に「経験した人にしかわからない」

・「やった人にしかわからない」という表現に疎外感を感じるときがある

・疎外感とは「仲間がいなくて孤独だと感じる意識」を指す言葉

・この表現は使う人の周囲の人全員が話題内容について経験済であって初めて使える言葉だと思う

・一人でも話題内容について経験してない人がいた場合、この表現はその人を疎外感に包んでしまう

・なぜこの言葉を言いたくなるのか
	・自分を含め、やった人に強い共感を求めたいから
	・やったことない人に、自分はやった人だとマウントを取りたいから
	・やった自分に対して、自己肯定をしたいから

■経験者だけがわかる表現
	・経験者だけの「やった人にしかわからない」
		この反対表現って「やったことない人でもわかる」。こっちの方が議論の価値あるのではないか。
	・ここではこの表現を「経験主観の表現」と呼ぶこととする
	・経験主観の表現は経験者たちの精神的結束感を強める
	・経験がある・なしを横においといてこの表現を聞いたとき人はどう思うか

■未経験者が感じる疎外感
	・複数人である経験について話しているとき、
   ひとりが「やった人にしかわからない」と言ったら周囲の人はどう感じるか
		・ある人は「その通りだ」と同意し、ある人は「それを言われると何もできなくなる」と委縮する
	・未経験者にとって、経験主観の表現は「羨望の的」か「絶望の入り口」かではないか
		・羨望の的に捉えれた未経験者は、自己の能力を高める材料として奮起する
		・絶望の入り口と捉えた未経験者は、自分にはできない言い訳として断念する
			→未経験者が成長した経験者になるためには言葉の壁を超える必要がある
			→言葉の壁は経験主観の表現だけではないはず
	・経験主観の表現を吐くのは、経験者のみか?未経験者も吐けるのか
	・未経験者が経験主観の表現を使うとき、どんな考えからそうするのか

■やったことない人でもわかる
	・全ての人目線
	・マウントなし
	・内容が汎化してしまい専門性に欠ける

■経験主観の表現は未経験者たちの羨望の的となりえるか

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