『説得力がある人ない人』のセリフの裏側
『あの人が言うと説得力あるよね』というセリフの裏側のお話です。
人は顔を合わせて言葉で会話をし、その内容が全く同じであっても、言う人によって受け取られ方が違う場合があります。複数人で会話していると『お前が言うと説得力ないわ〜』と笑い話にさえなったりします。
子供の頃からずっと不思議に思ってました。
そして子供ながらに『自分がやってきたこと・できることを話すと説得力がある人になれる』と感じてたのですが、だったらTVに出ている評論家さんたちはすごい人なんでは?となる。
ところが、ある評論家さんが言われてましたが、評論家は自分で評論家と言えばなれる職業だという説明を受けてからは、人がやったことないことも評論できるのか?(そんなことして説得力ある人になれるのか?)の疑問が沸々と湧いてきました。
人は会話するとき、言葉を通して喋っている人を見ている。だから話す人によっては『説得力がある人』『説得力がない人』と言われる。
でも内容を伝えているのは言葉であって、誰が喋っているかはその次なんですね。耳から入る言葉を最初に判断し、その次にそれを言った人を見る。
すべての人のすべての会話は言葉が先のはずなんですが、説得力があるよね・ないよねの言葉は真っ先に『言った人に自分がどういう印象を持ってるか』を前提としている、にしか思えないんですね。
言葉の内容よりも自己の印象が先に来る。これも人間の本質なんですかね。もしこれが本質なのだとしたら私は、
発言した人とその言葉を切り離したい
これが最初の記事👇でも書いた、noteをはじめたきっかけでもあります。
コミュニケーションとってことを進めること、仕事だけでなく生きていくすべてのことにあたっては、発言と人を切り離して考える力ってとても大切だと思います。
これができないとさまざまなトラブルを招く元になるし、逆にこれができれば自分以外の人を人として尊重・尊敬できるスタートになると考えています。
もう少し体系化してみよう。まだ解釈が足りてない気がする。。。
でも、今のこの時点の考えとして記しておきます。