慣れてきたその先に考えること
お昼ご飯戦途中に「慣れてきた」単語に関する思考に支配されたお話。
本日も書き下ろしです。
短時間アウトプットに慣れているとはいえ、最近うまく思考と書く方がうまくリンクしないのでどうしたものかな~と感じています、たぶん軽いスランプ。でもお腹が満たされれば少しはマシになるものでしょうか、それともそれは錯覚でしょうか(笑)。
今日のお昼ご飯戦はさして真新しいものでもありません。ハヤシライスとコロッケだったので既知・既食のメニューですし特別に味覚が変わっていたわけでもなかったので、美味しくいただけました。しかしそこで新たな気づきというか考えが鎌首をもたげてきたんです。
それはね、
昼ご飯くらいゆっくり食べればいいものを(笑)、なぜにそんなことを考えてしまうのか?と自分に問うても、それは「自分だからでしょう」という答えしか得られないので、その一問一答は一回限りとして食べながら考えを掘り下げていきました。
そうするとちょっと面白いことがわかった。
わたしは「慣れてきたな」の後に感じたのは、食べながら考えていたからもあると思いますが、
でした。
慣れるを辞書で引くと
の2種類の意味があるんですが、わたしが感じたのは①の方。つまり
なんとも感じなくなった
→前まではおいしく感じたのに
→おいしさが当たり前になった
→食べられるだけ幸せなのに
→自分って贅沢になったなぁ
っていう思考パタンでした。
ところがね、ペルソナ分析をしてみたところ別の角度の感じ方を見つけました。
なんとも感じなくなった
→前まではおいしく感じたのに
→おいしさが感じないとはもう駄目だな
→この味覚に飽きたんだ
→新しい味覚を探そうかな
という思考パタン。
「飽きた」という感情に行くひとがいるなぁと気づいたわけです。
あ、ペルソナ分析を知らない人のために書いておくと、ペルソナ分析って
主にマーケティングなどで使われますが、この手法は想像力(妄想力)が豊かな人にとってはすごく役に立つスキルです。noterさんだったら想像(妄想)は得意な方が多いと思うので😅、ペルソナ分析やってみると面白いですよ。
おっと、話を戻します。
誰が理解しても同じ意味であるはずの「慣れてきた」の言葉の先には、贅沢だと飽きたと2つの感情の終着点があるって。これは面白いなぁって思いました。
あ、どっちの感情に行きついても正解ですよ、正誤の話ではありません、感情の話。誰がどう感じるかなんて自由なので。
ただ、次の点がとても気になりました。
心理テストじゃないけれど、最初に思い浮かんだのがどちらかによって個人の何らかの性質が表に出てわかる、みたいなことがあるんでしょうね。
どちらが正解でもないけれど、正解のない、でも興味深いことに思考を奪われてしまったわたしの昼ご飯戦は、おいしかったけど食べた気がほとんどしない空中にふわふわ浮いたような感覚で終わってしまいました😅
かといってお腹減ってるわけではないので、まぁこのままコーヒー飲んで仕事に戻ろっかな。
みなさまは「贅沢だ」「飽きた」、どちらを先に感じられたでしょうか☺