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死ぬで…言葉でもな

気が付きにくい、言葉が人に与えるダメージのお話。


刺激的なタイトルには理由があります。言葉について「鋭敏な意識を持ち合わせた状態で読んでいただきたい」からです。


自分が知っている人を失くした経験がある人はいるでしょうか。

私はあるのですが、その中でも忘れがたいのが「いじめ」により自殺してしまった友達のこと。

昔はね、今みたいにいじめが大きな話題になることはほとんどなく、TVのワイドショーが取り上げることもなく、その事実は周囲の人の記憶の闇に葬られてきました。いじめられる側が悪いという風潮が確かにあった。

彼は非常に繊細な性格で、些細ないざこざでも一生悩み続けるんじゃないかと思えるほどの人でしたが、その彼がいじめにあっていたのを知ったのは、彼が死を選ぶ数日前。

特別に仲が良かったわけではないけれど、とりとめない話をして笑いあうことはよくあったので、彼が亡くなったあと私は学校側から事情を聞かれました。

彼の言動からずっと感じていたことをそこで答えたのですが、それは、

言葉を生きもののように扱っていた

ということ。そのときの周囲の反応は「何をいってるんだコイツは…」でした。このことは自分でもとても印象的で、後の私の考え方に深く根を張ることになります。


言葉が生きものってちょっと想像しがたい。

その真意がわからずにずっとモヤモヤしていましたが、つい最近の記事がきっかけでそれがわかりました。

その記事を紹介します。


人気料理研究家・リュウジ氏「あなたの言葉で人は死ぬんです」ネットの暴言に警告「やっちゃダメ」

文脈に必要なので全文引用します。

 人気料理研究家のリュウジ氏(38)が18日、自身のX(旧ツイッター)を更新。ネット上の暴言に言及した。

 発端となったのは、一部で物議を醸している東洋水産のカップ麺「マルちゃん」のCM。女性キャラクターが、頬を赤らめながらカップ麺「赤いきつね」を食べるアニメCMが公開されると、ネット上で賛否両論。同時期に公開された男性キャラクター版の「緑のたぬき」を淡々と食べる動画と比較し、「赤いきつね」のCMには「性的」などの意見が上がった一方、「何が問題なの?」などの意見もみられた。

 この炎上騒動についてリュウジ氏は「このアニメが性的だと話題らしいけど」と切り出すと、「炎上覚悟で言わせて貰うと一昔前のグルメ漫画で育ったから頬を染めてどう考えても今回の件で一番辛い思いをしてるのはクリエイターだと思う 食うのはデフォルトだし全く性的に見えない」と持論を記した。

 続けて「これに『不快に思う人を尊重しろ!』って言ってる方、この動画を作ってるクリエイターの気持ちは尊重しないのだろうか」と疑問。「どう考えても今回の件で一番辛い思いをしてるのはクリエイターだと思う」と投稿した。

 これら自身の投稿に3000件近くのコメントが寄せられたことを受け、リュウジ氏は「折角炎上したので話題の赤いきつねでむちゃくちゃ旨い油そばを作りました」と、「赤いきつね」を使ったレシピを紹介。「女性も男性も映画でも観ながらハフハフしながら食べてください」と勧めた。

 しかしこのレシピ投稿に、リュウジ氏が男性であることから女性では脅迫などのリスクがあるという意見が寄せられた。これにリュウジ氏は「いや、めちゃくちゃ脅迫とか来てますよ」と告白した。

 そして「クソジジイ○ねとか テメーのゲ○みたいな料理食えるかとかの暴言も今まで10000件は越えるんじゃないですかね」と明かし、「炎上したら何を言ってもいいみたいです。僕は慣れてるんで平気ですけど死にたくなる人も居るんじゃないかなあ」とつづった。

 また「炎上したのは僕の責任なんで僕には何を言っていただいても構いませんし訴えもしませんが他の人にやっちゃダメですよ」と警告。「言葉で人は死にます。あなたの言葉で人は死ぬんですよ」と呼びかけた。


赤いきつねのCMが性的だ!という炎上案件にまつわるSNS上での暴言に対してリュウジ氏は、「言葉で人は死ぬ」と言います。確かにそうなのですが、これだけでは伝わりにくい。

言葉で人が死ぬならば、人は言葉によってダメージを受けていることになります。刃物で肉体が壊されたら死に至るように、言葉で心が壊されたから死んでしまう。心と身体が繋がっていることを考えれば、そうなることは自然なことでしょう。

つまり、言葉は単なるコミュニケーションの手段ではなく、相手の心に深く刻まれる影響力を持つということ。

そして、言葉の選び方一つで相手に与える印象や感情が大きく変わるということ。

これらのことは、発する言葉を選択するときの大切さを説いている。



が、なんですよ、しかし、なんですわ。



この思考の中に完全に無視されていることがあります。それはあの彼が言っていた、

言葉は生きものである

ということ。


想像してみてください。生きものを他人から受け取ったときのことを、それもグロテスクなものを です。

手渡しで受け取ったり、それを投げつけられたりしたときどう思いますか?。嫌ですよね。場合によったら嫌すぎてよけますよね。



でも、どうして 嫌なんですか



それは受け取ったものが生きているからですね。生きているとわかっているから嫌なんですよ。もしそれが生きていない玩具だとわかっていたなら、嫌な気持ちなんてそんなに大きくはならないでしょう。


ここで気を付けるべきことは、生きている言葉って何? なんですね。


生きている言葉=意味がある言葉ではないです。

生きている言葉とは「発する側がその言葉に込めた状態」です。

そしてさらに厄介なのが、言葉自体が 生きている「状態」を選択できない ということです。


命ある生きものならば、生きている状態はその生きもの自体が決めます。しかし言葉を生きていることにするのは、最終的には、受け手自身がその状態を決めるんです。

言葉を扱う人たちがこれに気付けていなければ、簡単に言葉で人を殺めてしまうことになる。そして悪いことに言葉を発する側も実は、簡単に言葉を生かす状態にしてしまうんです。

そうさせてしまっているのは、発する側が心底に持っている怒り、嫌悪などの攻撃的感情。それが言葉を生かす状態にして発言者に言わせてしまう。その言葉を受け手が「生きている言葉として認めてしまう」ことで、心が壊れていく。

いじめられている人(受け手側)に外野の人が、「大丈夫!気にするな」とよく言うケースがありますが、これは受け手側の人にとっては土台無理な話であることが多く、その場合に受け手側の人は、発する側の暴言にさらに活気を吹き込んで元気ありまくりの状態にしてから自身の中に取り込むから、心が簡単にダメージを追ってしまうのです。

受け手側が、吹っ掛けられた悪意で生きた言葉を取り込む前に、これは「単なる文字の羅列である」と言葉が死んでいる状態にできれば、傷つかないし命を落とすこともない。

そういう力をつけてもらえれば人から何を言われようと気にはならないのですが、これはあくまで人間の個体差。できない人も当然存在するわけですね。だからこそ、言葉を発する側はその選択と使い方に気を付ける必要があり、受け手側はうまく死んだ状態にできるように工夫をする。

発する側と受け手側の双方の工夫によって、コミュニケーションって円滑にできるようになると思います。


彼と私でしょうもない話で盛り上がったあと、元気だせよと言う私に対して振り向きざまに、

人ってさぁ、事故や病気であっけなく死んでしまうけど

死ぬで…言葉でもな

彼の最後の言葉

と言ったんです。もちろん繊細な性格の彼なので、そのあとにおどけた顔をして二人で笑いあったあとに別れたのですが、残念なことにそれ以降彼に会うことはできなくなってしまいました。

もしこの話が今の時代だったならば、話の結末は本当の笑い話で終わったのかもしれませんが、言葉が人にダメージを与える力 は全人類が心に刻んでおくべきことと思いますので、こちらに書き記しました。


あ~、ちょっと重めの話に聞こえちゃうかもしれないけど、彼はほんとおもろいやつだったんですよ(笑)。残念な結果だったのは確かだけど、今でも彼と笑いあったことは昨日のように頭に描かれています。

言葉、大切にしましょうね。もちろん自戒をこめてです。

どこでどうやって得た力かわからないけれど、日常で使っている言葉なので触れる機会はたくさんあるはず。だからその機会ごとに気持ちをスルーにさせることなく、言葉の持つ力や影響力に目を向けていけば、よりよく生きていくことができると思います。


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