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論理的嗜好の楽しさと苦しさ
普段書いてる昼ご飯戦の記事が論理的嗜好だなぁとつくづく思ったお話。
66日ライティングマラソン。40日目。
論理的思考から思いついた話
のろさとしさんの👇の記事
が目に留まり、読んでみるとなるほどなぁ~と感心しました。のろさんは、論理的思考で思考が移動していくのを旅行になぞらえて解釈をされてて、すごく面白かったのです。
で、思考つながりで考えてみると、自分が書いている昼ご飯戦の記事👇は「論理的嗜好」にあたるなぁと。
論理的嗜好の苦しさ
食べることに論理を持ち込むなんぞ、普通に考えたら「げぇ~っ(>v<)」って思います。
だって食べるって生きるための本能じゃん!本能に論理を持ち込むなんぞ話が違わくね?と思うんです。本能のまま食べればいいじゃんと頭の中の自分がそう言いくるめてくるわけです。
これがなかなか正統な理由に思えてしまって、こいつと戦うのはかなりしんどい。
でも本能の武器を持った自分がのさばってくると、もう一人の自分が出てくるのです。
論理的嗜好の楽しさ
それが論理を武器に持った自分。
おいしく食べるには感情で食べたいものを選ぶだけではなくて、論理的に考える手を使って「おいしくても・おいしくなくても、おいしい!と思える食事ができる!」という仮説の元に書くわけです。
みなさんは食べることは好きですか?どんなことを考えて食べてるのでしょうか。
やはり本能のままでしょうか^^;いえいえ、それも全然アリです。
でも私は、どうせ食べるならとことん食べる道(食道とは言わないw)を極めてみたい!という秘かな野望があります。
一生で食べれる食事の回数なんて有限。さらに食事にありつける食材に巡り合える数なんてもっと有限。毎日毎週毎月毎年、決まったものを決まった時期に食べて生を繰り返していくなんてつまらない。でも毎日食べるものや食べる時を変えることは現実的ではない。
だったらもう組み合わせしかないだろうと(笑)。
組み合わせと言えば論理じゃないですか^^。そして料理は化学の側面も持つ。ならばこれらを使わない手はない。
論理の自分に助けてもらって、限りある食事・食事の機会を十二分に活かして、サイコーの食体験・食満足感を得ることを目的に頭を使う。これは生きていく術の処世術とでも言いましょうか。
論理的嗜好もまた旅である
のろさとしさんの言葉を借りていえば、論理的嗜好もまた旅である。と言えるんじゃないかなぁ。
論理って難しいわけではなく、なぜ?の連続を突き詰めていくことで体系的に隠れたモノが見えてくるんです。
そこに感情は入らないからあまり面白くはないけれど、組み立てた論理の上に立った時にあふれ出る感情はそれはそれは新鮮なもので、へぇ~~~っ、ほぉ~~~~~っ を繰り返してしまいます^^。
今後も改めて論理的嗜好を極めてみたいものだなぁと、決意を新たにした次第でした。
昼弁当食べながらぼ~っと考えたことの言語化でしたが、いい機会を得ることができたな。
のろさとしさん、ありがとうございます!
さぁ、あしたは何を試そうか。
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