己を愛す。
自分の考え方が人と違うな
そう自覚したのは
中学生の時だったかと思う。
私は日本の北の地方都市出身で
幼い頃から山や川に囲まれてのびのび育った。
ただ物心ついたころから田舎者であることに
強いコンプレックスを感じていたし
早く東京に行きたいと親に懇願していた程だった。
周囲が独特の訛りを使う中
私は頑として標準語を話していたので
関東に出てきたときには
まず地方出身者として見られることはなかった。
そんな狭い田舎ではヒエラルキーがとてつもなく
特にも中学時代のいじめは酷かった。
前触れもない無視から始まり、仲間外れに続いていく。
これがほぼクラス全員にローテンションのごとく回っていくのだから
【学校】がすべての子供にとっては恐怖でしかなかった。
そんな日本独特の集団主義に従うかのように
残りの中学生活そして高校と
学校では基本的に枠からはみ出る事はなかった。
唯一“自分らしく”居られたのが当時の恋人の前だけだった。
家では反抗期真っ只中だったので
彼がいなかったら
今私はこの世にはいないと思っている。
記事を書きながら
改めて当時の自分を振り返ってみると
人と違う考え方や意見
つまり“マイノリティ”では疎外の対象にされ
「出る杭は打たれる」
というこの国の風潮を
なんとか無理矢理にでも理解させていた。
と同時に巨大なフラストレーションを溜め込んで
日々偽りの自分を演じていたのだと思う。
それから義務教育が明け
大学に進学し社会人になって数年後
母親とたわいもない会話をしていた時だったと思う。
思いもよらない言葉を投げかけられた。
「あなた、昔は周りと一緒が当たり前だったのに」
正直驚いたし
やはり母親は私の全てを見ているなと恐ろしくなった。
まさに彼女の言う通り
昔の私は同調圧力にどっぷり浸かりっていたし
それが唯一の自己防衛だった。
それはそれは苦しかった。
いじめを経験し右へ倣えが平和を保つ唯一の手段と心得
とにかく自分を押し殺す日々。
人と違うことが【悪】だなんて
なんてつまらない寂しい世界だったんだろうか。
母親が感じた昔とは違う別人の私は
実は真の姿であり
自由奔放で開放的な本来の私自身に戻っただけのことだ。
だから
私は今とても自由であり
清々しい気持ちで日々を過ごしている。
もちろん自由と責任はセットなので
それなりに苦しい思いもしているが
あの頃とは比べ物にならないくらい微々たるものだ。
恋愛においても一緒だ。
今のスタイルは私自身のアイデンティティを保ち
バランスを取る唯一の方法である。
世の中に受け入れられることはないし
それなりの代償も伴うのは重々承知だ。
しかし
これが私であり私の“生き方”そのものなのだ。
もう二度とルールに縛られたくない。
誰かと同じ人生なんて耐えられない。
そう叫ぶ自身の心を無視できない。
私のアイデンティティは
私自身が何が何でも守ると決めている。
きっと前途も多難だろう。
しかし
それが唯一の生き方であり、生き延びる方法だ。
“己を愛す”
人を愛するのはそれからだ。
Leon