才能の見つけ方
人は何かしら才能がある。
才能という単語自体が
どこか大袈裟なので
と、思ってしまうかもしれない。
才能は「才能」として
目の前に現れてはくれないので
余計遠い存在に感じる。
才能に気づくには、
まずは自分が持っている
小さなセンスに気づき、
大切に、地道に育てる。
そうすることで、
いつか周囲から
才能として認識される。
そういうものだと私は思っている。
じゃあ、そもそも、
そのセンスはどこにあるのか。
私が気づいたシチュエーションを
3つ紹介します。
皆さんも、センスや才能に
気づいた瞬間があれば
ぜひ共有してください。🌼
イメージが膨らんだ時
ある日、
目の前に歩いていた人の
ファッションのバランスが
すごく悪かった。
色、丈、小物使い、全てがチグハグだった。
そう感じたと同時に、
と確信した。
きっと、
ファッションに興味があり
才能がある人なら、
批判で終わらない。
と、「その先」が見えるはず。
見ようとしなくても、
頭の中でイメージが膨らんでく。
この文脈で言うと
私の場合、
外国語にセンスがある。
私は、3ヶ国語話すのだが、
翻訳の言い回し一つが
気になって、
映画が進まないことがある。
ならばそれはセンスであり、
才能の種だと思う。
欲が出た時
私はこのnoteを、趣味で始めた。
本業では会社が指定した業務を、
副業では顧客が求める文章を、
他人が求めることをやっている。
そう思って始めたこのnote。
でも不思議なことに、
趣味だったはずが、
どんどん欲が出る。
多くの人に読んでもらいたいし、
コンテストのタグづけにも積極的。
(受賞したことはない)
読んで良かったと思ってもらう
ためにはどうすれば良いだろう?
工夫案を気付けば考えてたりする。
一方で、3年以上続けている
ピラティスに関しては、
「健康のため」以上の欲はない。
インストラクターになったり、
誰かの体を良くしたいとは思わない。
これもきっと才能の種なんだろう。
人に導かれた時
私は副業で
リサーチして資料を作っている。
しようと思って
始めたわけではなく、
ある企業の社長が
私の資料を気に入ってくれて、
資料作りを頼まれるようになった。
このように、
自分では気づかなかったけど
誰かが気に入ってくれて
と知ることもある。
それは案外、自分にとって
「簡単」なことだったりする。
得意と思ったこともなければ
「誰でもできるんじゃないの?!」
と驚くような、
そこまで大変ではないことを
褒められたり感謝される。
なので自分では気づかないけれど、
その道に進むべきなら
後に恩人となる誰かが
導いてくれることもある。
才能は自分で判断しない
YouTube動画できいた
言葉にハッとした。
ゴッホはいくら絵を描いても
自分の才能を感じられず
自己肯定感が低いまま
自信を持って絵を売ることもできず
亡くなっていった。
でも今、
絵の価値は計り知れない。
これは自分で決めつけなくていい。
「自分には才能がないんじゃないか」
と疑って落ち込まない。
私も文章がコンテストで
選ばれないからと言って
落ち込まない。
数人に「面白くない」
「才能がない」
と言われたからってめげない。
良いと思ったものを
ひたすら出していくのみ。
センスの種を見つけたなら
少しずつ水を与えていく。
そうすればいつか、
誰かの目に留まり
いいと思う人が増えれば
才能になっている。
P.S. 才能を見つけた後の話
とはいえ、
地道にセンスや才能を
磨き続けることが
苦痛な時もある。
本当にこれでいいの?
って疑ってもしまう。
そんな時に私が読む本。
タイトル通り、
歴史に名を残す
クリエイティブな人々も
決まったルーティンで生きていて
毎日が華やかではなかったりする。
この連休中、
友人のSNSを見ると
結婚式やら家族旅行やら
なんだか楽しそうで、
PC⇄本を行き来している
自分が惨めに感じたりもした。
センスや才能に気づき
これで生きていくと
覚悟を決めた後も、
苦痛や孤独が伴う。
そんな時に
「もう少しやってみよう」
そう思える一冊なので
おすすめです!
関連記事として、
以前天職について書いたので
紹介させてください。