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英語と日本語
『バカの壁』著者、養老孟司先生が、英語を話すとアリスになった気分、とおっしゃっていて、なんだか気が合うかも、とちょっとうれしくなった。
言語学の教科書を開くと、生成文法では英語の構造を二分枝構造として樹形図を描くとなっている。英語は基本、左から右へ線上に文を記すと主語の次に動詞が来るので、その樹形図はシンプルにとらえると(セザンヌ的?)、それは左上を頂点かつ鈍角とし、左下頂点までの辺が短く、右斜め下に緩やかな角度で辺が伸び、右下の格が一番度の値が小さい角をもつ三角形とみることができる。一方、日本語は動詞が後ろにあるのでその逆になる。つまり、鏡に映った△だ。また、日本語の書記は上から下へ流れる。それを思うと、どうもこの三角形は▽となっていないだろうかとなる。日本語を話していて、はなはだ主観であるが、ことばを文に落とし込めて成立しているような感覚がある。そうすると鏡の鏡の国となる。日本語の世界のルールで英語の世界を見ようとしても英語がわからないのはあたりまえだろう。しかし、この二つの三角形を行き来することができたら、その人のことばの世界は四角になる。それは’ことばの世界’が丸かったら、結構な範囲を網羅できることにならないだろうか。