2023年6月18日の収束
文学フリマに出た もりおかだ
個人的に大ガケに出て勝った1日で、生きていてよかったと感じていたのでこの先なにかの足しにするためのテキストを打つ
それまでの半年間、カエシのついた針を自分から一個ずつ引っこ抜く痛みで満ちた人間関係があった
「まともさ」の見本を目撃することと、「傷つくことを恐れるあまり捻れた愛着の表現」、「過剰に傷を守りながらも人を信じようとする個人が発生させる言行の矛盾」に晒されることで自分のコンプレックスやスティグマ、トラウマが一気にわかってしまった。
それは一種のトゥルー・ラブで、覗き込むとお互いがむき出しになる鏡のようなものでもあった。
コンプレックス、スティグマ、トラウマを携えて生きていたくないと強く思い(今まで自分を自分の定めた方角に向かって進むよう操縦できなかった理由だとはっきりと分かった)、解消に努めた。結果通算で体重10キロと体力10キロ分を失った。
2、3ヶ月の間に7、8キロくらい落ちた段階で病院に行き、薬を飲み始めたあと仕上げに2、3キロ落ちた。至ってシラフだからそうなるに決まっていた。至ってシラフの状態で故障している個だから何かつっかえ棒をして生きて行くのが正解だと判断して、引き続きメンテナンスは続いていく。
トゥルー・ラブは今まで自分が粗末に扱われすぎていた事も教えてくれた。それまでの間、誰かにとっての人形をあまりにも一生懸命やりすぎていた。自分はその弊害が出過ぎている31歳で、ここで初めて人生をやっていくチャンスを逃すわけにはいかなかった。
不安障害的な症状からくる拒食傾向をなんとかしないと歯止めがかからなかったから、弱めの安定剤を処方された時本当に安堵したものだった。
ものを食っても全く胃腸が動かないのには辟易した。一生で一度きりかもしれないけど、人生は人体実験だという意識があるので苦しんでいる実感そっちのけで面白がってもいた。最後には実感が勝ってしまったので病院行きと引っ越しを決めて実行。
で、そうしている間中詩を書いた。痛みを受け止めて痛みでないものに変換し生き延びるためだった。
また、過去に「クソポエム」という雑な呼び方で溜め込んでいたテキストの蓄積があり(綴ってはどう終わらせていいのかわからず)(かといって捨てることもできなかった)それらの「終わらせ方」や「物語の閉じ方」がわかるようになった。
それがまあまあ膨大な量になったんで、同じように「書き散らしては捨てられなくなっていた」スケッチの束の中から合いそうなものを選んで添え、小さな詩画集にしたのだった。
不思議と売れた。あまり多くはなかったものの、作った分だけ。イベントの時間に合わせるようにして、すっとなくなっていった。
他者との遭遇がとても楽しかった。自分がそこに居た時間分だけいいコミュニケーションがあり、その余韻が長いこと残っていた。
結局カケに勝ったような気がしていた。
私の目撃したものはとても美しかったと疑いなく思っていて、それは毎日膨大な情報量と感情の動きを伴っていたから、追いつくように記録した結果詩になった。自分の場合、心象は圧縮すると詩になってしまう。
そして、それが第三者に伝わることを願ったら、実現した。
千円札の束は、集計してしまえばなんてことない金額だったけど(行きと帰りの交通費、お土産代、表紙用の紙代を足した金額くらいのもので、赤字だ)自分のことを詩人の端くれだと意識することを許されたような気がした
詩人を名乗ることにした
あの、傷ついた片手を持ったトゥルー・ラブも言っていたことだ
「詩人でもあったか」
その人はたしかにそう言ったし、唯一共有できた映画はパターソンで、やけに示唆的である。
示唆的なことは自分の人生ではしょっちゅう起こる。また一つ大切になってしまったなあという感慨があり、いつでもそこに立ち返ることができてしまう。これは「自分だけが実感できるほんとうのこと」だ。だから、征くべき道程の中で思い出す用のランタンにしておくのだった。
※あるいは風をしのぐマフラーかもしれない