見出し画像

108回目 "The Fixer" を読む(Part 5)。拘置所の中で「自分と社会との繋がり」「自分の生き方」を考える主人公。Malamud が自身の価値(感)を描き出すために作り出したストーリーを楽しむ。



1. 時の権力側に与して立身出世を目指す生き方を選択した法廷検察官の尋問を受ける Yakov 。

秘密警察に所属する大佐 Colonel Bodyansky と法廷検察官の Grubeshov ら勢力は、ユダヤ人排斥運動を扇動するかのごとき作戦を進めます。この作戦行動の存在を嗅ぎつけたのが捜査担当の検察主任 Bibikov 。児童の殺害容疑で獄中にある Yakov は、Grubeshov と Bibikov の二人から代わるがわる複数回の尋問を受けます。

次の引用は Grubeshov が、地下の拘置所で目を覚ましたばかりの Yakov を呼び出し手錠・足かせを着けた状態のまま、自身の執務室での尋問です。

[原文 1-1] "I have decided to send you to the preliminary confinement cell in the Kiev Prison to await your trial," Grubeshov said, blowing his nose and cleaning it slowly. "It is, of course, not easy to predict when it will begin, so I thought I would inquire whether you had become more cooperative? Since you have had time to reflect on your situation, perhaps you are now willing to tell the truth. What do you say? Further resistance will gain you only headaches. Cooperation will perhaps ease your situation."
  "What else is there to say, your honor?" the fixer sighed sadly. "I've looked in my small bag of words and I have nothing more to say except that I'm innocent. There's no evidence against me, because I didn't do what you say I did."
[和訳 1-1] グルベショフは鼻をかんでその跡を時間を掛けて拭いながら「私はおまえをキエフ刑務所の予備留置室に入れることに決めたぞ。そこで裁判の日がくるのを待つのです。」と通告しました。「裁判が何時始まるかは予測が難しい。そこでおまえに確認しておこうと考えたのだが、もっと我々に協力しようという気は起らないのかね? 考えを巡らせる十分な時間があったことだから、今となっておまえも本当のことを白状する気になっているかなと思ったのだがね。さあどうだ? 抵抗を続ければそれだけおまえの苦しみが増える訳だからな。協力するとおまえの状況が良くならんとも限らんぞ。」
  「今まで以上に何を言えるというのですか、先生? 私の言葉が這入っている小さなカバンを探って見ても何も話すことは見つかりません。あるのは私が関与してはいないという言葉だけです。私を有罪とする証拠なんてなくて当然です。何故って私は、あなたが私を問い詰めておられるようなことをやってはいないのですから。」と修理屋はボソボソと寂しそうな声を返しました。

Lines between line 22 and line 36 on page 140, "The
Fixer", a Farrar, Straus & Giroux paperback, issued in 2004

この部分は Grubeshov と Yakov との立ち位置を読者に確実、明確に示そうと設計されたシーンと言うほかありません。両者の気質・立ち位置を象徴的に表現するとは、「当該事実をどう認識するかは読者それぞれに任せます」ではダメだ、著者の考えを明確に伝えなければならないのだという意志があってこそなのだと教えられます。

この後、12 行を使って検察側の考え方、その背景が Grubeshov の言葉によって説明されますが、その次にはこの威圧的だった男が Yakov に頼み込むかの雰囲気で自白、検察側の仮説への同意を迫るのです。その文章が次の引用です。

[原文 1-2] Grubeshov's voice became persuasive. "Tell me the honest truth, Yakov Bok, didn't the Jewish Nation put you up to this crime? You seem like a serious person--perhaps you were unwilling to do it but they urged it on you, made threats or promises of certain sorts, and you reluctantly carried out the murder for them? To put it in other words, wasn't it their idea rather than yours? If you'll admit that, I'll tell you frankly--I'll put it this way--your life would be easier. We will not prosecute to the full extent of the powers. Perhaps after a short while you will be paroled and your sentence suspended. In other words, there are 'possibilities.' All we ask is your signature--that's not so much."
  Grubeshov's face glistened, as though he were making a greater effort than was apparent.
[和訳 1-2] グルベショフの声は(命令ではなく)説得せんとする響きを帯びてきました。「正直に事実を聞かせてくれよ、ヤーコフ・ボック。ユダヤ人国がおまえをしてこの犯罪に誘導したのではないのかね? おまえは真面目に人生に取り組む男とみたのだが、するとおまえは嫌々ながらも、そいつらに迫られて、脅迫されるとか何かの報償を約束されたとかで、仕方なくそいつらが望んだ殺人を実行したのだろう? まあ言い換えればこの実行はおまえの考えでなくてそいつらの考えが元になっているということだがね。もしそうだとおまえが認めれば、ぶっちゃけた話、私のものの言い方に従えば、おまえのこれからの生活もすこしは楽になると言うことだ。私は法が定める最大限度の罪を要請するのを手控えてあげるよ。おそらくだが、あまり長くない内に仮保釈がされて刑の執行が途中で停止されるとか。まあ可能性があると言うだけなのだがね。要するにおまえに、ここに署名しなさいと言っているのです。労力の要ることを要求しているのではないのです。」
  グルベショフの顔は脂で光っていました。外見では解らなかったものの、実際にはこの男、本気で説得に力を注いでいたのでした。

Lines between line 17 and line 31 on page 141, "The
Fixer", a Farrar, Straus & Giroux paperback, issued in 2004

この後には Grubeshov がやさしさを装って Yakov の妥協を引き出そうとしたのに対してその手には乗らない Yakov の対応が描かれ、やがては苛立ちを抑えきれなくなった Grubeshov がこんなに弱い立場の男に対して自身の官僚機構の立場をかさに着て感情を爆発させる展開に至ります。"If you can't bite, don't show your teeth," Grubeshov, his neck inflamed, slashed the fixer across his jaw with a ruler. となるのです。
「噛みつくことが出来ないのだから歯なんぞ剥いても何になる!」とグルベショフは口答えされたことで興奮し首筋を赤くして大声を上げるや、定規を手にし、それで修理屋に対しその顎を切り割くような一撃を加えました。


2. Yakov はキリスト教徒のみならず自身に巣くうユダヤ教をも悪と感じます。

次のページに進もうと思いながらも、今一度と incarceration なる単語が気になり読み直したおかげで、この小説において、このページの文章が担う重み、果たす役割の重要さに気付きました。

主人公の Yakov は、ユダヤ人を毛嫌いし社会から追い出そうとするロシア人たちに苦しめられながらも自らはユダヤ教の束縛にも苦しめられていると確信します。

[原文 2] What had he done to deserve this terrible incarceration, no end in sight? Hadn't he had more than his share of misery in a less than just world? He tried desperately to put together a comprehensible sequence of events that had led inevitably from his departure from the shtetl to a prison cell in Kiev; but to think of all these strange and unexpected experiences as meaningfully caused by related events confused him. True, the world was the kind of world it was. The rain put out fires and created floods. Yet too much had happened that didn't make sense. He had committed a few errors and paid for them in more than kind. One dark night a thick black web fallen on him because he was standing under it, and though he ran in every direction he could not extricate himself from its sticky coils. Who was the spider if it remained invisible? He sometimes thought God was punishing him for his unbelief. He was, after all, the jealous God.
[和訳 2] このように過酷な投獄の目にあうのに匹敵する悪事、彼がどのような悪事を働いたというのでしょうか? 公平であるはずのこの世界、その公平と言うに程遠い世界においてこの男が負担すべき量の悲惨・苦しみを、今日までに彼は負担していないとでも言うのですか? 彼は必死になっていろいろ起生した事の経緯を納得の行くように紡ぎ上げようとしました。すなわち彼があのユダヤ人居住地 shtetl を後にして以来、キエフのこの拘置所独房に至り着くまでの出来事の経緯を納得いくように紡ぎ上げる作業です。しかし、不可思議で予測不能であったこれらの出来事は、互い関係を持つものであっていずれかが原因であって、何れかがその結果であるはずだと考え関連付ける作業は、彼を混乱させるばかりでした。実際、世界なんてそれが今ある通りのものなのでした。(互いに矛盾しあうこと)火災を消火する雨が大洪水を起こすがごとしです。とはいえあまりにも沢山の理不尽なことが生起しました。彼は二つ三つの誤りを犯しはしました。しかし、その代償としてそれに相当するもの以上のものを支払いました。彼の頭上には、ある真っ暗な夜そのものである闇、あるいは真黒の網なるものが降りてきて彼を覆っていました。それまでの彼は、その黒いものの下に立っていたことの帰結でしかありません。彼はあらゆる方向に走って逃げようと試みたもののこのネバネバした苦しみからは逃げられません。姿を現さない蜘蛛ですが、一体誰なのでしょう。彼は折に触れて何度となく、神を信じないから神が自分に罰を加えているのだと思いました。この神は結局、嫉妬に燃える神なのだと。

Lines between line 14 and line 30 on page 153, "The
Fixer", a Farrar, Straus & Giroux paperback, issue 2004


3. 捜査検察主任の Bibikov が懲罰用の房で苦しんでいた Yakov を呼び出し「生きる支え」とは何かを語ります。

昼間は外気温が 40℃ を越えた暑い日のことです。Yakov は監守たちが雑居房に入れられていたYakovに向けて送り込んだユダヤ人の権力側の犬 stool pigeon(偽札作りの金持ち、その咎で投獄されたと自称した男)にまんまと騙され、外部に宛てた手紙を送ろうとした罪で、屋上階の極めて暑い監禁房に入れられます。生きたまま茹でられるような日々、その 3 日目のことです。捜査検察主任の Bibikov が Yakov との面会の為に刑務所に押しかけました。それは夜中の通常勤務時間外のことです。昼間は暑すぎるからというのが口実でした。夜には 30 ℃ 越え程度にまで気温は下がっていました。

[原文 3] "I would like you to know, Yakov Shepsovitch--if I may--that your case holds an extraordinary interest for me, and only last week I returned in a beastly stuffy, crowded train from St. Petersburg, where I had consulted the Minister of Justice, Count Odoevsky."
  He leaned forward and said quietly, "I went there to submit the evidence I had already gathered, and to request that the charge against you be limited, as I had already suggested to the Prosecuting Attorney, strictly to the matter of your residing illegally in the Lukianovsky District, or perhaps even dropped altogether if you left Kiev and returned to your native village. Instead I was expressly directed to continue my investigation beyond the slightest shadow of a doubts. I will tell you in the strictest confidence what most troubled me is that although the Minister of Justice listened courteously and with obvious interest, I left with the unmistakable impression that he expects the evidence to confirm your guilt."
  "Vey iz mir."
[和訳 3] 「ヤーコフ・シェプソヴィッチ君、こう呼ばせてもらいますが、あなたにお伝えしなければと思うことがあります。あなたを巻き込んだこの事件に、私は尋常ならざる関心を持っています。実は先週、セント・ペテルスブルグから汽車で帰って来たのです。汽車は酷く込み合っていて息苦しいものでした。そこで法務大臣のオドエフスキ伯爵と面会してきたのです。」
  彼(Bibikov)は前に乗り出し声を潜めました。「私が自分で収集した証拠情報を持参して、あなたへの嫌疑は特定の部分を別として撤回すべきだと伝えてきたのです。以前にあの法廷検察官には伝えていたことですが、訴追はルキアノフスキ地区に不法に居を定めた事実だけに絞るべきだと、あるいはその訴追にしても、当人がキーフを離れて故郷の村に転居する条件さえ満たせば不起訴にして然るべき程度のものだと伝えたのです。しかしそれとは逆に私は明確に『私の仕事である捜索を進めるように、それも疑いの影とあらばそれ以上僅かなものはないようなものでもその詳細を捜査しなさい』と命じられたのです。私と君との間だけの秘密にするとの約束で聞かせますが、この大臣は私の見解を非常に丁寧に、また少なくとも見かけ上は、深い興味を胸に聞き取ってくださったのです。しかしそれにも拘らず、私には今もって疑念が残り、そのことで私は酷く悩んでいます。すなわち、この大臣は、君を有罪にするに十分な証拠が出てくることと既に確信しているなという印象を私は抱きました。誤った印象とは思えません。」
  「あゝ、困苦とは私そのもの。」とヤーコフは呟くのみでした。

Lines between line 25 on page 166 and line 10 on page 167, "
The Fixer", a Farrar, Straus & Giroux paperback, issue 2004


《本記事投稿者からのお断り》 今回の読書対象である Chapter V において、この小説にとって重要な出来事が発生します。今回記事にあっては、敢えてこの話題の開示を避けるようにしました。


4. Study Notes の無償公開

今回の読書対象は Chapter V, Pages 139 - 180 です。これに対応する私の Study Notes をここに公開します。A-5 用紙に両面印刷すると左綴じの冊子を作れるように調製しています。