Lennox は近視の程度がやや強くなりつつあるのですが、メガネは近眼の進行を加速すると思い込んでいてその購入を拒否しています。彼に付き合って観戦したのが後輩の Fred です。会場は Nottingham の街中の競技場。Notts' が Bristol City を迎えてする一戦。以下は、誰もが引き分けで終わると思っていたタイム・アップの直前、残り10分というところで決勝点を取られ、Nottingham County (Notts') が敗北するシーンの描写です。
1. サッカーの試合のゴール・シーンを文章で味わう。 [原文 1-1] By the time Lennox had focused his eyes once more on the players the battle had moved to Notts' goal and Bristol were about to score. He saw a player running down the field, hearing in his imagination the thud of boots on damp introdden turf. A knot of adversaries dribbled out in a line and straggled behind him at a trot. Suddenly the man with the ball spurted forward, was seen to be clear of everyone as if, in a second of time that hadn't existed to any spectator or other player, he'd been catapulted into a hallowed untouchable area before the goal posts. Lennox's heart stopped beating. He peered between two oaken unmovable shoulders that, he thought with anger, had swayed in front purposely to stop him seeing. The renegade centre-forward from the opposing side was seen, like a puppet worked by someone above the low clouds, to bring his leg back, lunge out heavily with his booted foot. "No," Lennox had time to say. "Get on to him you dozy sods. Don't get him let it in."[和訳 1-1] ぼやけてしか見えていなかった選手たちの動きに、なんとか焦点を合わせ直した Lennox だったのですが、戦いの場所は既に Notts' の陣地近くにまで移動して、今にも Bristol が得点を挙げそうになっていました。一人の選手がフィールドを駆け下っているのが彼の目に這入りました。と同時に自分の頭の中の出来事だったのでしょうが、湿っていても踏み倒されていない芝の上を踏みつけるサッカー・シューズの音も聞こえていました。集まっていた相手チームの数人が集まりを解いて一列に並ぶように場所を変えると駆け下ってきた選手の後に急いでつづきました。その一瞬でした、ボールをキープしていた選手が突如前に駆け出したかに見えたのですが、この選手の近くには誰もいません。観客の、そして選手たちの誰一人として気が付かなった一秒間の出来事でした。この選手はこの一瞬の内に、他には誰も居ない誰にも手出しできない隙間にポンと打ち出されたのでした。それもゴール・ポストのすぐ手前です。Lennox の心臓が鼓動を止めました。彼の視線が通っていた二枚のオーク材の厚板のごとき二つの肩の隙間が肩の揺れで塞がれました。ワザと邪魔されたと思った彼は腹を立てました。他の選手から離れた位置にいる相手チームの先述のセンター・フォワードの選手が目に這入りました。曇り空から垂れる糸に操られて動く操り人形のような動きで、その脚が後ろに引き戻されると、次の瞬間その先に履かれたサッカー・シューズは力強くボールを前に蹴り飛ばしたのです。Lennox には「だめだー」「こののろまたちめ、さっさとこの男を止められないのか! ボールを入れさせてはダメだぞ」と口走るだけの時間しか Lennox には残されていなかったたのでした。
Lines between line 15 and line 31 on page 106, "The Loneliness of the Long Distance Runner", a Signet paperback [原文 1-2] From being an animal pacing within the prescribed area of his defended posts, the goalkeeper turned into a leaping ape, arms and legs outstretched, then became a mere stick that swung into a curve--and missed the ball as it sped to one side and lost itself in folds of net behind him. The lull in the general noise seemed like silence for the mass of people packed about the field. Everyone had settled it in his mind that the match, as bad as it was, would be a draw, but now it was clear that Notts, the home team, had lost. A great roar of disappointment and joy, from the thirty thousand spectators who hadn't realized that the star of Bristol City was so close, or who had expected a miracle from their own stars at the last moment, ran up the packed embankments overflowing into streets outside where groups of people, startled at the sudden noise of an erupting mob, speculated as to which team had scored.[和訳 1-2] 自陣のゴール・ポストの前に設けられた枠に囲まれた領域内を柵内の動物のごとく動き回っていたゴール・キーパーが空中と跳びはねる猿に変化しました。その両腕、両脚は長く伸ばされてその全身は一本の棒に変身します。この棒は次の一瞬には反り返って弓型になりました。しかしゴールの片隅に向かうボールに手が届くには、ボールの勢いが強すぎました。ボールはゴール・キーパー後方の網のポケットに姿を消します。 スタジアム全体が休みなく繰り出す騒音の中に静まりが生まれました。この静まりはこの騒音を背景にしているにも拘らず、グランドの周りを埋める観客のほとんどにとっては音が完全に消えてしまったひとときでした。誰もがこのていたらくでは引き分けに終わるしかないだろうと一旦は信じた試合、これが一瞬にしてホーム・チームである Notts' の負け試合になってしまったことは今や明白です。無念の気持ちと喜びの気持ちの双方が作り出す巨大などよめき音、Bristol 側の選手がこれほど自分たちのゴール近くに居たとは知らなかったであろう人々の嘆き、あるいは最後の最後には自軍の選手が奇跡を起こすと期待していた人々の喜び、合計 30 000 人の観衆が生み出すこのうねり音は、人々でごった返す観客席の傾斜面を駆け上がり、次には外の通りに溢れ出ました。外の通りでは人々が、それぞれ数人ごとのグループになって、どちらのチームが得点したのかと予測し、意見を戦わせているのでした。
Lines between line 32 on page 106 and line 9 on page 107, "The Loneliness of the Long Distance Runner", a Signet paperback
2. 英国サッカー・ファンが運営するブログにこの短編の感想文があります。 引き分けに終わるかと思われた、試合終了 10 分前に敵側が決勝点となるゴールを決めます。この時の攻撃側選手の動き、シュートに反応したゴール・キーパ―の動き、そしてそれを見ている観客の心臓の高鳴り、歓声のどよめき。これらをうまく表現するシリトーの文章には魅了されます。
魅了されるのは私だけではなかったようです。2011 年に Guardian 紙がサッカーを主題にしたフィクションのトップ・テンをリストアップした記事を掲載していたのです。そして、このリストを目にしたサッカーファンが直ぐに Alan Sillitoe の "The Match" を読んでその感想文をサッカー・ファン向けのブログに公開していたのです。
この感想文には次の記載があります。
Alan Sillitoe を読む人々とは、現実(fact)と小説(fiction)を事あるごとに比較し、人々の暮らしに付き纏う苦しみから解放される日の来ることを願い続ける、その為にどうすべきかを考えずにはおれない人々のようです。
参照: https://footballbookreviews.com/?s=Alan+Sillitoe
[原文 2] Finally, in order to consider The Match in a modern day context, in March 2011 The Guardian published an article about the violence that coincided with the Rangers v Celtic games in Scotland, which highlighted that, “…Strathclyde police claimed domestic abuse rates doubled after Old Firm games, while there were more than 200 crimes of violence and disorder in the area after an earlier Rangers-Celtic game in February [2011]…” Fact and fiction – where does one begin and the other end? Fifty years on and The Match still holds an uncomfortable truth.[和訳 2] 最後になりましたが、「今日的な観点からこの短編、THE MATCH を考えて見ることにする」 として、 2011 年 3 月のガーディアン紙が、スコットランドにおける Rangers 対 Celtic の試合と時を同じくして発生した暴力事件について報道しています。このガーディアン紙の記事は『・・・ストラスクライドの警察が家庭内暴力の発生数がオールド・ファームの試合のあった直後に倍増していると警告し、ちなみに当年( 2011 年) 2 月 に行われた Rangers 対 Celtic の試合の直後には当該地域では 200 件を超える暴力事件や法規違反の事態が発生したとも同警察はこれに併せて報告した』ことに注意を画期しています。 現実と小説 - どこからが一方で、どこでもう一方かは分かるのでしょうか?(これら二つに境目など本当はないのでしょうか?) 50 年の日が過ぎたのですが "The Match" が取り上げたテーマは今もなお「あまり気持ちの良くない」現実であり続けています。
From an article in footballbookreviews.com site
3. ジャーナリストである自分を、サッカーの観客に例えた John Simpson の文章。 本年 3 - 6 月に渡り読み進めた "The Wars Against Saddam" の 13 頁には、サダーム・フセインが権力に近づき、権力を握り、処刑されるまでの舞台を観察する Simpson 氏自身をして、サッカーのゲームを見るひとりの観客のようだとする文章があります。印象的な部分であったために強く記憶に残っているものです。ここに紹介します。
[原文 3] This book is a record of that extraordinary trajectory of his, and of my experiences in reporting it. The pattern has never been smooth, and has certainly not been predictable. After the first Gulf War I wrote that it was like reporting on a football match from a position behind one of the goals; when the action was down at my end I had a superb vantage-point, but when the players streamed away to the far end of the pitch it was hard to see what was going on. After that, it was as though I left the ground altogether: for twelve years the Iraqi authorities refused to allow me back to Baghdad. But I finally returned in 2003, and found myself a seat in a different part of the stadium.[和訳 3] この本はこの男の並外れた人生の軌跡(紆余曲折)、そしてその紆余曲折を報告する為に捧げた私の日々、これらの両方を記録するものです。その動向は決して一つの形式に従って進行した訳ではありませんし、事前に予測できたことも皆無でした。 第一次湾岸戦争の後、私は報道の作業がフットボールの試合を一方のゴール・ポストの後方から見ているようなものだと書きました。熱戦の活動が私が居る方のゴール近くで進行すれば、素晴らしい観察ができるのでした。しかし、選手たちがグランド上の自分からは遠いエリアに移動してしまうと、何が起こっているのかを把握するのが難しくなるのです。前述の湾岸戦争の報告が終了した後、私はこのグランドから完全に遠ざけられたとでも表現すべき事態に追いやられました。12 年間に渡りイラク政府は私がバグダッドに立ち入ることを拒絶したからでした。次にバグダッドを訪れることができたのは 2003 年でした。すなわちやっとのことで私はこのスタジアムに自分の席を得ることに成功したのです。しかし座って見て分かったのですが、前回に座った席とは全く異なる席でした。
Lines between line 13 and line 23 on page 13, "The Wars Against Saddam", a Pan Books paperback
4. Study Notes の無償公開 今回の読書は The Loneliness of the Long-Distance Runner と題された短編集に収載の一遍、"The Match" です。短い短編です。今回のみで読了です。以下に公開する私の Study Notes には上述したFootball Book Reviews と題されたブログ記事を読むために作成した私の記録・メモも併記しています。ご自由にご利用ください。例によって A-5 サイズの用紙に両面印刷することを前提に調製しています。