第5回目 カズオ・イシグロを日本語で? 日本という籠の中にいる事に気付いて、もがいて、少しでも外の世界へ
人それぞれの心の中、人の発言を理解する、その中身はとなると理解する人により色々である。「そうともとれる」と考えて済まさざるを得ないのが他人の認識(perception)。これが常識と事を荒立てずに納めていたのに、この教えの想定外にある事態、すなわち「事実を見ていない故の誤認」のケースがこの世の中には多いのでした。翻訳者も他人です。それでも翻訳物に頼るしかないで一生を終えたくないと思いませんか?
(タイトル・バナーにデコパージュした漫画はここから拝借)
<21年3月のBBCによるイシグロ氏インタビューの報告記事>
私が John Simpson の本を読んで以来、気に入っているBBCに日本語サイトがあることを発見したのですが、初めて目にした記事を当該原文と比べてガッカリです。やはり苦労してでも原文です。BBC日本語の記事はこちら BBC英語の記事はこちら
検討対象の原文 1
'A more open discussion'
"I think there are very valid parts of this argument about appropriation of voice," he added, saying he believes "we do have the obligation to teach ourselves and to do research and to treat people with respect if we're going to have them feature in our work".
He said there must be "decency towards people outside of one's own immediate experience".
「もっと開かれた議論」(BBC・Japanにあった上掲部に対応する部分)
イシグロ氏はBBCのインタビューで、作家が自分と異なる背景の登場人物を作り出し、表現することの是非をめぐる議論に触れ、「的を射た意見もある」と指摘。「自分の作品にそういう人を登場させるからには、作家はよく勉強して、調べて、敬意をもって表現する義務がある」と述べた。
そして、「自分の身の回りにいない人たちには、礼節をもって接する」ことが必要だとした。
私の和訳
=もっと寛容な議論=
「他者の声(voice)を作品の中に持ち込み話題にする場合に関するこの種の議論には、二つ・三つ、見落とせない(誰であれ無視すべきでない)論点があると私は考えています。」と彼(イシグロ氏)は語り、続けて「特定の人々を自分の作品に登場させるのであれば、私たち(作家)には自分自身が(世の中にある知見を)学ぶ責任、ならびに(文章・作品上で)当該人々を真摯に扱えるようになる為に自身でも調査・研究を行う責任があると信じます」と話しました。
「自身が実体験をしていない環境・立場にいる人々に対しては謙虚であるべきです」とも語りました。
>appropriation: 利用の意味だがここでは作品において取り扱うことを意味する)
>parts: 幾つもの論点を対比・検討することで議論が成立するとの前提があるから、議論を構成する部分 parts は論点を意味する)
検討対象の原文 2
He has called for "a more open discussion" about cancel culture and freedom of speech.
(BBC・Japanにあった対応する部分)
「キャンセル・カルチャー(特定の対象を全否定する風潮)」や言論の自由については、イシグロ氏は「もっと開かれた議論」が必要だと訴えた。
私の和訳
彼は、(意見が合わない)相手を全否定する風潮に関して(そうではなくて)互いがもっと寛容な態度で議論すべきだと、そして言論の自由が広まるよう呼びかけました。
>open: 相手の意見をよく聞き考える柔軟性がある、の意味。
BBC Japan の和文訳された記事を読んでいる人には、イシグロさんの発言が何だったのか解らないでしょう(いわゆる「ボヤッとした読後感」です)。
< Salman Rushdie on Kazuo Ishiguro >
イシグロの「日の名残り The Remains of the Day」に向けた評論を読むと、この作品の何を英語圏の人々が評価しているかが解る気がします。カナダの(The Globe and Mailのサイトを参照)
< Kazuo Ishiguro; Nobel Lecture >
2017年のノーベル賞受賞時のレクチャーの中に S. Rushdie、V. S. Naipaul の名前があがり、第二次大戦の前後に人気を博した(今もなおと言うべきでしょうが)Wodehouse のマスターとバトラーの物語が頭の中にはあったとか、Marcel Proust の「失われた時をもとめて」に於いて、著者のエピソードから次のエピソードに移動させるテクニックに、抽象画の画家がキャンバス上の何かの色と形の隣に置く色と形を選ぶテクニックに似ていて素晴らしいと釘付けになった等、興味津々の話が沢山あります。イシグロさんが好んだ音楽家が歌いあげる、そのニュアンスが「日の名残り」のエンディングの構成をどうすべきかへの気付きを促してくれたとかの話もあります。このレクチャーをして、イシグロ氏が NOBEL APPEAL! と呼びたいと叫ばれる最後の7つの段落(7 Paragraphs)が感動的です。最初にこの7段落を読まれると全部を読みたくなります。(ノーベル賞財団のサイトを参照)
<私の Study Notes を公開します>
1. Salman Rushdie による Introduction to The Remains of The Day を読む STUDY NOTE (頁サイズはA5):
2. Kazuo Ishiguro の Nobel Lecture を読む STUDY NOTE(頁サイズはA5):