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94回目 "The Wars Against Saddam" を読む(Part 9, 読了回)。オスマン・トルコ消滅後のパレスチナ・湾岸地域、その北に広がるイラク、石油が生む富、それら権益の分配を支配した英国。第一次大戦終了後の 100 年が行き着いた中東の世界。

BBC のジャーナリスト Simpson 氏は、ご自身の 20 年に渡る仕事を通して「Saddam Hussein という人間を調べ上げ、見つけ出した事実を書き上げられました。こうしてできた報告ですが、これ、特にサダームの行動が語られる部分は、殆ど Simpson 氏の手になる小説のようです。加えてこの小説・手記にあっては Simpson 氏自身も重要な登場人物のひとりです。


1. 面白いと思った私なりの観点

[観点 1-1] BBC の取材チーム(Simpson が率いるチーム)が、2003 年 4 月の米軍によるイラク侵攻を戦闘の前線地帯で取材します。このことの意義を Simpson はことあるごとにあの手この手で説明し続けます。これは読者である私が最も刺激を受けたこの手記のテーマでした。

保守党でなく労働党であった時の英国政権、従来からの権益の擁護を当然とする保守党的価値に自らの正義感・使命感で立ち向かいたかったはずのブレア首相。しかし米国という得体のしれない「大きさ」にプードルだと揶揄されるともこの米国の意思に NO とは言えないのがブレアだったとの話も心に残ります。

[観点 1-2] イスラエルの首相をはじめ、イスラエルの歴史に名を遺す要人、多くのユダヤ人政治家の名前がこの手記 ”The Wars Against Saddam" には登場します。英国が委任統治する地帯であったパレスチナ。今のクウェート・イラク・ヨルダン・レバノン・シリアの一帯、この英国統治パレスチナにあって、海外からの人の流れの規制にまで手の廻らない時代、ロシアにおいて苦しい生活を強いられていた大勢のユダヤ人が第二次大戦がはじまる以前の時代に大勢入国して来ていたのです。この時代にパレスチナに住み着いたユダヤ人から生まれた人々(1900‐1940といった年代)の中からリクード党の結成・発展に寄与した人々が多数出現していること、これらの人々の多くがその青年時代を暴力的な政治結社に参加し頭角を現してきたという経歴の持ち主であることが、Wikipedia にある記述を見ているとよく解ります。

私には、少年時代に理不尽な目にあわされたという人が一生涯その恨みに引きまわされるという意味では、今のやり方を進めるイスラエル政府の要人たちも、苦痛を強いられているパレスチナ人と呼ばれる人々の今と、同じなのだとしか思えません。

厳密性となると今の私は、「他人ヒト様に主張できるだけの根拠知識」を持ち合わせていない旨、白状せざるを得ません。そうではあっても、今のイスラエルの政権を構成している人々の発言として新聞紙上で伝えられるものを見ていると、これらの発言は上記した英国の保護領であった時代が生んだ価値観、あるいはそのような時代が生み出した魂に「変更を加えることを拒む」人々であるからこその発言だと私には思えます。世界にはロシア、や東欧・中欧・西欧からパレスチナでなく米国に逃れたユダヤ人も、上記の「魂」を支持しないユダヤ人も大勢いらっしゃることも確と頭に入れておきたいと思います。


2. この本の終わりの数節にあって、Simpson は自分のイライラ感 Jitters を叫ぶように連ねます。

20年間続けてこられたご自身の仕事を振返り考えてみる。すると大声でわめくほかないのです。そんな一部を以下に引用します。

この一面こそ Saul Bellow が彼の最後の小説 "Ravelstein" において Simpson's Jitter という表現を用いて、当時のテレビ番組 ”Simpson's World” に言及し、1990 年前後の世界の在り様の一面を描いたのでした。(According to Wikipedia, "He (J Simpson) became BBC world affairs editor in 1988 and presented an occasional current affairs programme, 'Simpson's World'.")

[原文 2-1] The invasion of Iraq in 2003 was carried out for a variety of stated reasons, and one or two unstated ones, which were probably more important. It was done, we were told, in order to overthrow a particularly unpleasant tyrant, to protect the world from his dangerous weapons, to undercut the threat from international terrorism, to make the Middle East more democratic. It was also done, though no one put it into such words, to give Americans the sense that they had struck back at the dark forces which had reached out and attacked the heart of the American system on 11 September 2001. In addition, there must have been several people at the top of the Bush administration who thought that destroying Saddam Hussein would help to safeguard the position of Israel. As for the president himself, he may well have felt, privately, that going one step further than his father had gone would ensure his re-election in 2004.
  It didn't quite work out as expected.  《下の[原文 2-2]に続く。》

[和訳 2-1] 2003 年のイラク侵攻に当たって、その正当化の為の理由が幾つも表明されました。そんな中、公言されることの無かった理由も一つないし二つありました。これら秘匿された理由の方がおそらくより重要であったのです。この侵攻は、特別に不埒で専制的な支配者を追い払い世界をこの男の危険極まりない武力から守り、国際的な広がりをみせるテロリズムの恐怖を終焉に導き、中東の社会に民主的慣行を広めるためのものであると私たちは聞かされました。このような言葉で表に出されることはなかったものの、この侵攻は、2001 年 9 月 11 日に米国の中心をなす組織に攻撃を加えた暗黒勢力に対して反撃を加え、仕返しを果たしたという満足感を米国民に持たせようとするものでした。加えて、ブッシュ政権の中枢を担う人々の中の何人かはサダーム・フセインの政府を破壊することがイスラエルの防衛に有効であると考えていたはずです。ブッシュ大統領は内心において、自分の父が達成したレベルより一歩進んだといえるレベルまで事を進めることで、来る2004 年の大統領選挙において自分が再び勝利できる状況が生まれると計算していたとしても不自然ではありあせん。
  しかし、現実には何もかもがそういまく行ったとは言えなかったのでした。

Lines between line 1 and line 15 on page 403,
"The Wars Against Saddam", a Pan Books paperback

[原文 2-2] The Middle East did not become more democratic as a result, nor was Israel's position made any safer; and the world in general, as the appalling bomb attack in Madrid and elsewhere in 2004
demonstrated, was just as vulnerable to international terrorism as before; indeed, the invasion of Iraq recruited thousands of new volunteers for the cause around the world. The war revealed something else as well: America's ability to fight and win a set-piece war against a feeble enemy was never in question, but its capacity to police a complex and little-understood country for a long period of time was much more doubtful. 《下の[原文 2-3」 に続く。》

[和訳 2-2] (サダームを追い落とした)その結果として、中東の地域が少しにしろ民主化が進んだ訳ではありません。イスラエルの立ち位置が安全になったのでもありません。2004 年にはマドリッドの街で衝撃的な爆破攻撃が実行され、別の街でも同様な犯罪が起こったのですが、これら事件が例示する通り世界中どこであれ、国境を越えてまで持ち込まれるるテロ事件から無縁でないことは、これまでと何ら変りません。現実を見てみるに、イラク侵攻の後のその地には世界中の様々な地方から教義に身体を捧げんとする何千人もの人々が新らたに移入してくることになりました。この戦争はこのようなこととは一線を隔する出来事も誘発しました。ひ弱い国を相手に戦争を交え勝利できる米国の軍事力に不安がよぎることは皆無ですが、複雑で、その上米軍にはとても理解しえない国・地域というものがあって、日常的な犯罪から当地の人々を守るという警察業務、それも一時的でなく長い月日におよぶ警察業務となるとそれを全うできる能力が米軍にあるとは考えられません。

Lines between line 16 and line 25 on page 403,
"The Wars Against Saddam", a Pan Books paperback

上記[原文 2-1, 2-2]に示された米国のイラク侵攻がもたらした惨状は、当初の目論見、軍事行動を正当化する表向き理由や、内密にされていた目的を何一つ達成しなかった(達成したとしても米国の憂さ晴らしでしかなかった)のです。こう考えたのであろう Simpson の頭には、IRA(アイルランド紛争)と ETA(バスクの紛争)の経験がよぎります。

[原文 2-3] As events in Northern Ireland and the Basque country have shown, people who want to commit acts of terrorism cannot easily be stopped; but they will not achieve their political purpose if governments employ patience, good police work, and a determination to look objectively at the situation and redress whatever wrongs exist. That way, the terrorists become isolated in their communities, and eventually their cause fades into inactivity.
  The British and Spanish governments did all these things, and thereby wan the support of neighbouring countries where there had previously been a certain sympathy for the ultimate goals of the terrorists. The terrorism of a few ETA and IRA diehards still erupts in a small way from time to time, but it is clear that the basic purpose of both organizations has been fatally undermined. The British and Spanish governments had to reform themselves and their habits, and work hard to get rid of the very real causes for terrorism. It was a slow process, and there were no short cuts: certainly not attacking other countries, murdering the terrorist leaders, or bombing their supporters. Such tactics please the voters for a while, but they are the best and quickest way to ensure failure and further bloodshed in the longer runs.

[和訳 2-3] 北アイルランドやバスク地方での出来事が人々に教えたごとく、テロ行為を行おうとする人たちを制止するということは決して易しいことではありません。しかし政府が、寛容さと良く機能する警察力と、状況を客観的に把握する硬い意志を用いて、自身に不適当な行動があると分れば適切に変更を加えるという規律を維持できればこのような人々が政治的な野望を満たすことは不可能です。このようにすることで、テロリストたちは仲間内だけにとじ込められ孤立するほかなくなります。やがて彼らが心に抱いていた信条は薄くなり、やがて霧散し消滅するのです。
  英国とスペインという二つの国は当にこの事業を達成し、隣接する国々の承認も勝ち取るに至ったのです。達成するまでの時代にはこれら隣接する国の中にはテロをもくろむ人々が主張する目標に支持を寄せる側面があったのでした。少人数とは言え今なお根強く残る ETA や IRA の人間は居ます。そして小規模な事件を今も時折り引き起こしてはいます。そうであってもこれら二つの組織に宿っていた中心をなす信条が致命的な痛手を受けたことに違いはありません。英国とスペインの政府はそれぞれに自らの変革と慣行の修正を迫られました。両政府はテロリズムの真の原因を除去するための努力に全力を挙げました。長い年月のかかる事業でした。近道はなかったのです。決して隣国に攻撃を加えたり、テロリストグループの指導者を暗殺したり、同調者たちに集団に爆弾を打ち込んだりは出来ないのです。もしそのような近道を選択していたならば、その当座しばらくの間、政府の人気を向上させたであろうと思えます。しかし、そのやり方こそはこのプロジェクトに架かる長い年月を考えると、いつかの時点で必ずやとん挫し、血なまぐさい争いの再発を引き起こすのに最も優れた、手短な手法に過ぎなかったのです。

Lines between line 26 on page 403 and line 11 on page 404,
"The Wars Against Saddam", a Pan Books paperback


イラク戦争を、それに先立つクウェートを占領したイラク軍の追い出し戦争、そしてアフガニスタンとそこに仮住まいするアルカイダを駆逐する戦争に対比して描くとなると、Simpson 氏の Jittering は次のようになります。

[原文 2-4] The war to overthrow Saddam Hussein was of completely different order from the other two. There was no outrage, no attack, no casus belli, to make it inevitable, and if there was ever any real evidence that Saddam Hussein suddenly constituted a new threat to the United States or its friends, it was never-convincingly produced. Leading figures in the Clinton administration had exhaustively examined the question of Saddam's weapons of mass destruction and the danger they posed, and had come to conclusion that no military action needed to be taken. 《下の[原文 2-5]につづく》

[和訳 2-4] サダーム・フセインを追放する戦争は、他の二つの戦争とは次元を異にする戦争でした。 サダームを追放する戦争にあってはこの戦争を不可避なものであるとする理由、放置できないまでの破壊を被ったことも、武力攻撃を受けた訳でも、その他戦争を正当化する理由たり得る如何なる事態も無かったのでした。それに加えて、サダーム・フセインが突然に合衆国あるいはその友好国の脅威となる存在にのし上がるとの主張にたとえ根拠があるとしてもそのいずれにあっても説得力に欠いたのでした。クリントン政権内の有力な人物の何人かがサダームが持つとされる大量殺戮兵器に関する問題を、そしてそのような兵器がもたらしえる危害の程度を徹底的に調べ上げました。この調査の結果は軍事的行動を持って対抗するに当たらないというものでした。

Lines between line 1 and line 9 on page 396,
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[原文 2-5] What changed was that a new set of people were in government, with a new and crusading approach to American power. Several of them had identified Saddam Hussein before the 2000 election as an enemy of the United States and of its ally Israel, and had already decided that something should be done about him. It would be a sign to the entire world of American power in the new century; and if anyone thought after 11 September, that America was in any way weakened, then attacking and overthrowing Saddam Hussein would show that this was not the case. Those who killed Americans through acts of terror would be hunted down and killed wherever they were; that was the settled policy of the Likud Party in Israel, and Likud's friends in the Pentagon and the White House wanted to adopt it as America's policy too.   《下の[原文 2-6]につづく》

[和訳 2-5] 変化が起こりました。変化とはこれまでとは異なる一群の人々が政権に参加したことでした。この人々はそれまでとすっかり異なる人々であって十字軍の使命感でアメリカの力を築こうと考える人々でした。彼らの内の数人は 2000 年の大統領選挙よりも以前の時点でサダーム・フセインをして米国ならびにその友好国であるイスラエルの敵だと断定し、この男に対しては放置できないと決めつけていました。この種の発想は、今始まろうとしている新しい世紀(21 世紀)におけるアメリカの力を世界に誇示する意味を持っていました。9 月 11 日の事件をもってアメリカが少しなりともその力・存在感を減じたなどと考えている人がいるならば、サダーム・フセインに攻撃を加えて殺してしまうことでアメリカがその力を減じたというのが誤りであるとの証明にもなると考えたのです。テロ行為によって多数のアメリカ人を殺戮した連中は世界中のどこに潜んでいようがつまみ出して殺してしまうというのは、イスラエルのリクード党が党として採択した方針であったのですが、このリクード党の人々と仲間であったペンタゴンの構成員たちは大統領府(ホワイト・ハウス)の構成員と共同してこの方針をアメリカの方針にしようと画策したのでした。

Lines between line 10 and line 22 on page 396,
"The Wars Against Saddam", a Pan Books paperback

[原文 2-6] So -- did Saddam Hussein genuinely represents a threat to the United States, or was he simply a useful target - which would allow the United States to demonstrate the range and extent of its military power? Anthony Zinni, a former Marine Corps general and special representative in the Middle East for Presidents Clinton and George W Bush, was an experienced and thoughtful man. A reporter put this question to General Zinni early in the crisis. Yes, he answered, Iraq did indeed constitute a threat to the United States, but he would put it at around number seven on the list, and he didn't think there was any good reason to take any action against anyone beyond number five.

[和訳 2-6] そのような中、サダーム・フセインは本当に合衆国にとっての脅威であったのでしょうか、それとも合衆国にとって都合の良い攻撃対象であったということなのでしょうか? すなわち合衆国が攻撃を加え排除することで自らの軍事力の多彩さと強さを世界に見せつけるのです。 アンソニー・ジニ氏は、海兵隊の将軍の地位にあった方で、クリントン並びにジョージ・W・ブッシュ両大統領政府の中東駐在大使を務められた経験と深い思索能力の保有者として知られています。あるジャーナリストがジニ将軍に、開戦直後のタイミングでこの度の開戦について質問し、これに対して将軍はイラクが合衆国の脅威であることに違いはない、しかしその事の重大さが問題で、イラクの脅威は精々第7位というものですと答えています。加えて将軍はそんな相手であっても武力をもって排除するという行動を正当化できるのは精々第5位よりも上位にある相手だけでしょうと答えています。

Lines between line 23 and line 32 on page 396,"
The Wars Against Saddam", a Pan Books paperback


3. Study Notes の無償公開

今回の読書対象は、この手記の最後の部分、Pages 392 - 412 です。この部分に対応する Study Notes をWord形式ならびにPDF形式のファイルとして公開致します。ご利用いただければ幸いです。A-5 サイズの用紙に両面印刷し左閉じすると冊子状にできるように調製されています。