映画『さよなら、私のロンリー』(2020年)のザックリとしたあらすじと見どころ
映画『さよなら、私のロンリー』は、
コソ泥を稼業とする両親に”対等の存在”として育てられた娘オールド・ドリオの成長ストーリーです。
ミランダ・ジュライ監督による奇想な設定とアーティステックな演出の中になぜか感じる当事者感。人は孤独を愛で埋めようとするけれど、それはホントに愛なのか?
キャスト
・エヴァン・レイチェル・ウッド(オールド・ドリオ・ダイン)
両親とともにコソ泥家業で生活中
・リチャード・ジェンキンス(ロバート・ダイン)
オールド・ドリオの父
・デブラ・ウィンガー(テレサ・ダイン)
オールド・ドリオの母
・ジーナ・ロドリゲス(メラニー)
オールド・ドリオの一家と知り合い行動を共にする女性
映画『さよなら、私のロンリー』の見どころと感想
オールド・ドリオは父ロバートと母テレサの3人暮らし。両親に詐欺や泥棒のテクニックを仕込まれて育ちました。3人が暮らすのは洗浄工場の使っていない事務室。隣接する工場からは定時にピンクの泡が壁一面にあふれてくるため、これを取り除くのが彼らの日課となっています。
そんなある日、入手した航空券を使ってロストバゲージを装った詐欺を行う一家。そこでメラニーという女性と知り合い仲間に引き入れます。
青白い顔でボソボソと喋る内向的なオールド・ドリオに対し、メラニーは自由で開放的。そんなメラニーに対し両親はオールド・ドリオには見せない愛情を見せるようになります。
メラニーへの嫉妬と羨望、両親への愛の渇望でどうしていいかわからなくなるオールド・ドリオはー。
評)孤独を愛で埋めようとするけれど、ホントにそれは愛なのか?
どう考えてダメな親なんだけどそれでも愛を感じてしまう。いや、これは愛なのか?
毒親による洗脳、搾取、そんなの愛情じゃないよ、という見方もよくわかるけれど、それでもなお愛だと思いたい、そんな自分の本音に気づかされる映画です。
自分の子ども(私)にはアッサリしているのに、よその子にはめちゃくちゃ親身な対応をする母親をみて妙な気分になったことを思い出します。ただの外面だったんだろうけど、自分と形成している世界の外に都合よく出ていける大人(親)と、なかなかその1歩が踏み出せず、ますまず閉じた世界にこだわってしまう自分。オールド・ドリオの気持ちがよくわかります。
とはいえ、私はオールド・ドリオのような特殊な家族に育ったわけでもなく、反社やカルトでもない普通の親に普通に育てられました。なのに当事者感のある不思議な世界。この映画は特殊な世界ではなく、誰しもが感じる成長の痛みを誇張して見せているのではないでしょうか。
毒親に限らず、普通の家族や親しい仲間とともに過ごす日々にも、人との壁を感じることは誰にでもあるはず。そんな孤独を人は「愛」で埋めようとする。それが愛なのかわからないけれど。
監督はマルチアーチストのミランダ・ジュライ(映画『君とボクの虹色の世界』『ザ・フューチャー』、小説『いちばんここに似合う人』『最初の悪い男』ほか)
本作でもアーティスティックな演出によって、自由で奇想で懐の深い世界を感じさせてくれます。
主人公オールド・ドリオを演じるエヴァン・レイチェル・ウッドは、本来のノーブルな印象を完璧に封印し、見事にこじらせ女子化。リチャード・ジェンキンスとデブラ・ウィンガーという大ベテランが、こんなアレな両親を演じている贅沢さも見どころのひとつです。
映画『さよなら、私のロンリー』 ぜひ。
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