弾丸旅行の一部始終 その2
前回の続きに相当する。まだ一日目しか書けていない。何なら、深夜バスについて事細かに書くばかりで、栄に着いてからの記述が手薄になっているように思われてならない。配分の感覚を失念してしまったのか。
9月4日(木)——補足
「その1」を投稿してから、追加で書き残しておきたくなったことをまとめておく。
朝の久屋大通公園で路上生活者の老婆に仲間と誤解されて話しかけられたことは、既に述べた通りである。実は、老婆から話しかけられる前に、その老婆の知り合いと思しき路上生活者の老爺に質問をされていた。遠慮会釈なしにいきなり、「働いていますか?」と尋ねられたので、大いに動揺する。大学院生なので働いてはいないのだが、向こうの意図を考えると正直に答えても意味がないと感じたので、やや間があって「はい」と頼りなげに応じる。すると老爺は続けて「旅行で来た人ですか?」と聞いてくるので、これには即座に「はい」と答える。すると、「なら、いいです」と言い残して老爺は去ってしまった。これで終わりかと思いきや、誰何もなしに老婆から珍妙な話を聞かされる羽目になった。
東横インに泊まる前、明日の準備を兼ねてホテルの近くにあるコンビニに行った。そこでレジに並ぶと、前にいるボーイと思われる男が冷蔵庫から500mlのペットボトルを山のようにレジに置いていた。ボーイの傍らには、ホステスらしき女がいて、「からあげクンもお願い」などとボーイに言っている。スーパーでも有り得ない量の買い物をしているので、気になってレジの表示を盗み見ると総計は一万を超えていた。レジ担当の人は気の毒であるし、このボーイの買い物のせいで長蛇の列ができていて、あまり感じのいい場面ではなかった。
ボーイとホステスが建物に戻っていくのを見届け、その建物に入っているキャバクラの名前をすかさずスマホで検索する。料金体系を見て、更にげんなりする。私には無縁な世界としか言いようがないが、知りたくはある。知らずに厭悪するのは下らない。
二日目:9/6(金)
初日は疲労のために、翌日の計画など微塵も考えないで眠ってしまった。そのおかげで思考なき肉塊から石浦広志へと復帰することはできたが、どうすべきかはまるで見えていなかった。
起床~本屋~コメダ珈琲店
スマホの目覚ましによって八時に起床する。近頃は午後二時に起きることも珍しくない身にとっては、奇跡的な早起きと言える。旅行の恩恵だろうかと心にかすかな幸福を味わいつつ、ロビーまで降りて無料の朝食を摂る。
東横インの朝食は、極めて普通である。失望するほど不味くはなく、満足するほど美味しくはない。ホテルごとの差はあるだろうが、色々な東横インに泊まる度、この普通さと直面させられる。
スクランブルエッグや白米については、味がしなかった。形だけ似せてあるだけの別物かと疑うほどであった。唯一、味が鮮明にしたのは味噌汁だった。家ではよくインスタントの味噌汁を飲むが、それよりも遥かに美味しく、喜色満面をひっさげてお替りをした。流石、味噌の有名な名古屋の面目躍如と評すべきか。
朝食を済ますも、行先が全く決まらない。仕方がないので、本屋に行くことだけを決めてチェックアウトする。昨日は断念した名古屋城や名古屋港水族館など、目ぼしい観光スポットは存在するはずであるのに、それらを呆気なく無視してしまうくらいには、疲労が残存していたのだろうか。
ホテルから出て、最初に向かったのはジュンク堂書店 名古屋栄店。明治安田生命名古屋ビルの地下一階・二階にある本屋で、思ったよりも各階は広かった。重い荷物を引き摺りながら、手前勝手に本棚を物色するものの、どうも買いたいと思える本との出会いがない。徒らに視線を滑らせるだけで、購買意欲をそそられずに一時間を浪費してしまった。
得るものなしに店を出たものの、書店内では曲がりなりにも渉猟に力を注いでいたため、この後の旅程については片時も素描を描かなかった。このあたりで、観光に対する思いを断ち切ることにして、昨日と同じくコメダ珈琲店で作業に耽ろうと意を決する。
昨日とは違うコメダに入ったが、十一時を過ぎて入ったこともあってか、店内が騒がしい。作業をするにはどうも会話などが喧しいが、コメダは作業をするための場所ではないためなので、こそこそとPCを立ち上げて修論に関わる二次文献の論点整理などを始める。
開店直後のコメダがもたらしてくれた静謐で居心地の良い空間を一度知ってしまったため、落差に苦々しい顔をしてしまいそうになるが、いつ店員に叩き出されても仕方がないので、淡々とやる。効率は良くなかったが、良くなかったなりに進める。
隣に座った会社の上司(中年男性)と部下(私と同世代くらいの女性)の会話が気になるので、キーボードを打ちながら聞き耳を立てる。どうも二人ともオタクらしく、古谷徹の不倫騒動、うたプリなどについて熱弁を振るい合っている。一番記憶に強く刻まれているのは、『逃げ上手の若君』のアニメが面白いと部下が語っていた場面である。同族嫌悪なのか、そう不快な内容が含まれている訳でもないのに、次第次第に苛立ってくる。そして、つまらない苛立ちを抱える自分を客観視し、今度は己に苛立つ。自分で書いていて、「器の小さいゴミムシだな」と思う。
恥ずかしいツイート。
三時間はいただろうか。作業を細く長く続けていても良かったが、段々と外に飛び出したい欲求が膨らんできたため、お店を出ることにした。わざわざ栄で喫茶店に自ら缶詰になる必要はない。己も人の子、まだまだ夏の日差し残る屋外を闊歩し、未知の場所に踏み込みたいと思うのは自明の理である。
しかし残念ながら、退店しても行きたい場所は浮かばなかった。それどころか、無思考に屋外へ出てしまい、汗みずくと化した。目的地を定めないために生ずる徘徊を続けては身体に危害を加えるばかりなので、とりあえず久屋大通公園に行く。この公園は、深夜バスで降ろされた己が向かった場所である。
名古屋テレビ塔
公園の端にある日陰に入って、ベンチにちょこんと腰掛ける(今回はあぐらをかいていない)。ただ腰掛けても手持無沙汰なので、小田実『生きる術としての哲学』を読み始める。残すところは編者の後書きだけだったが、後書きにしては妙に長いので、まあまあな時間潰しにはなった。
小田実は小説家として出発したが、世間的には政治運動家——本人は市民運動家という肩書を好むだろう——として知られている存在であろう。小田の著作を読んでいると、現在でも色褪せない鋭敏な指摘に胸が打ち震える時もあれば、時代錯誤も甚だしい妄言にしか見えない主張に眉根を顰めてしまう時もある。混沌とでも評すべきだろうか。一言ではとても掴みようのない、底知れぬ膨大なエネルギーを持つ人物であったに違いない。実際に小田の逸話や遍歴を見ても、尋常さとは本当に縁遠い存在だという感想が浮かぶ。
読み終わると、公園の中央に位置している名古屋テレビ塔が気になる。日本のエッフェル塔を気取るような建造物には、どうも心が惹かれてしまう。塔の根元まで行って写真を撮ってみるものの、登ろうとは思えない。わざわざ登って名古屋を一望しても何の足しにもならないのではないか、という心持に留まってしまう。
登らずに名古屋駅の方へ出て、大型書店に行ってしまおうかと思う寸前で、何かが引っ掛かった。今でも理由が全く分からないが、急に「名古屋テレビ塔に登らなければならない」という考えに脳内を支配されてしまった。
衝動に任せて、名古屋駅ではなく栄駅で降ろしてもらうように深夜バスの予約をした訳だが、栄について己は何も知らない。何も知らないままで良いのだろうか。知らないなら、せめては塔から栄を一望して、この町を総体的に捉えようと努めるべきではないのか。「どうせ塔からの眺めなどネットで見られてしまう」などと冷たく突き放すのではなく、己の肉体を携えて生々しく味わうべきではないのか。
それ以外の選択肢は消滅し、塔へ登ることにした。
東京タワーなどに比べればかなり小ぶりな塔——180メートルである——だが、雰囲気は悪くない。むしろ、規模の小さい塔でしか感じられない親しみやすさがあるのではないか。
入口からエレベーターで三階に行くと、売店とイベントスペースがあった。イベントスペースでは、名古屋テレビ塔とゴジラの歴史を並行して提示していた。どうやら、両者は共に1954年生まれ——名古屋テレビ塔は1954年開業、ゴジラは第一作『ゴジラ』は1954年に公開された——らしく、生誕70年を記念しての展示ということだった。
ゴジラは子供の頃に熱中していて、親に連れて行って映画館に新作を見に行ったり、地元のレンタルビデオ屋さんで過去作を借りるなどしていた。しかし、小学生低学年の時に『ゴジラ FINAL WARS』が公開されて、ゴジラは完結という事実に幼いながらも衝撃を受けた。それ以来、ゴジラからは遠ざかっていたが、『シン・ゴジラ』には大いに興奮させられて、結果として三回視聴した(劇場公開時には見に行かず、いずれもU-NEXTでの視聴だった)。『ゴジラ-1.0』は公開されて日を経ずしてKBM同期のそう君と見に行くなど、沸々とゴジラに対する情熱が約二十年の時を越えて蘇りつつある。そんな状態で見るゴジラの展示であったため、ただただ面白かった。名古屋テレビ塔の歴史も初耳の事柄ばかりで、後で見返すことができるようにスマホで山ほど写真を撮っておいた(念のために書くが、展示は全て撮影可であった)。
面白かった写真を幾つか、以下で掲げる。
展示だけでも大満足だったが、本命は何と言っても展望室からの眺めである。余分な荷物を受付に預けて、展望室直通のエレベーターに乗ることになるのだが、ここでとある災難に遭う。何と、エレベーターは四隅のごく一部を除き、ほぼ全面がガラス張りであった。私は紛う方なき高所恐怖症のため、足下に遥か遠く広がっていく名古屋の景色が視界に入ってきた途端、恐怖が我と我が身の君主となってしまった。幸いにも添乗員や同乗者はいなかったため、一般には佳景と呼ばれる眺め——私にとっては地獄と異ならない——には一瞥もくれず、四隅の方に縮こまってエレベーターの角をかつてない熱情で凝視していた。
苦痛極まりない時間を何とかやり過ごし、念願の展望室へ到着。そこには、塔へ登る前に期待していた見晴らしがあった。
上に掲げた写真に近似したものは、インターネットで即座に見つけ出せるであろう。ただ写真を撮るためだけに登ったのであれば、徒労に近いのかもしれない。しかしながら、私の目論見は先述したように、総体的に名古屋という街を眼下に収めることであった。身体を引き連れて、途方もない光景を一挙に把握してしまおうという不敵な試みは、見事に果たされた。そして、テレビ塔から見下ろしたところで、私自身が名古屋、それどころか栄について少しも詳しくないという事実を、何者かから遠慮なく突き付けられるような心地がした。
これだけの建物群を同時に視界へ入れたとしても、それらが一体なんであるのかを仔細に知る手立ては全くない。知ることができる筈などなかろうとすげなく斬り捨ててしまえばそれまでである。そのような思い切りの良さを持つ人は多いように思われるが、私はどうも簡単には考えられない。袖振り合うも他生の縁とばかりに、名古屋や栄のことを無性に知りたくて堪らなくなる。そして、知らない己の無能ぶりを——忌憚なく言うのであれば——愛したくなる。「名古屋とはかくかくしかじかである」などと一言に約するような「賢さ」を持たない愚か者で良かった。衝動でも、名古屋に来られて本当に良かった。ただし、格安の深夜バスは蛇蝎の如く憎む。
因みに、展望室は屋外に出られるようになっている。物は試しと入り口を通ったが、高所恐怖症が抜かりなく顔を擡げたのですぐに退散した。
再び本屋
塔を降りると、充足感ゆえに旅程を考える気が失せてしまう。観光をしようという心持には少しも動いていかない。そして、後述する約束にはまだ時間があったので、栄から名古屋駅の方へ移動して、大型書店で再び渉猟でもしようと何となく方針を固める。
時間は夕方で、名古屋市営地下鉄は学生や会社員で混雑していた。夏休みボケとでも言うべきか、最初は混雑の理由がまるで推察できなかったが、今が平日の夕方であると気づくや否や、鉄面皮の己もその愚鈍さに一人心中でひっそりと恥じ入るばかりだった。
名古屋駅に到着してから地下のアーケード街を移動して、向かったのはジュンク堂書店 名古屋店。朝一番に向かった書店から「栄」の一文字を抜き去った名前の店だが、売り場の広さはこちらの方に分があった。ビルの一階部分だけを占める書店とは思えない充実ぶりで、想像以上に長居してしまう。
折角ならばと腰を据えて、この名古屋店だからこそ買える本を見つけてやろうと物色を始める。物色においては、ネットの在庫情報を手摺にした。
少し前までは、ジュンク堂の在庫情報をhontoから簡単に調べることができたのだが、今はジュンク堂のネットストアでアカウント登録を行い、そのアカウントでMy店舗(最大5店舗)の在庫情報しか確認できないという惨憺たる改悪に陥っている。それでも、使えないよりは遥かにましであるので、よく赴く店舗数軒とこの名古屋店をMy店舗に登録し、この名古屋店でしか手に入りそうにない且つ自分の興味に適う本を血眼になって探した。
しかしながら、思った以上に条件へ合致する本がない。想像以上に、関東圏でも買える本ばかりに手が伸びてしまう。無論、関東圏で購入できるかどうかに拘わらず、棚の内容を知らない書店をじろじろと嘗め回すように見るのは至極愉快である。最終的に何も買わなくても、あれやこれやの品定めを得て勝手にやれれば大いに溜飲が下がる訳だが、折角なので何かを見繕いたいという部分も捨て難い。
おそらく四十分以上を費やして、条件に合致する本は一冊もなかった。根気が続かない方であるので、ここまで来たら在庫情報は無視して、とにかく買っておきたいと今強く思った本を買おうと方向転換する。そして、上間陽子『裸足で逃げる:沖縄の夜の街の少女たち』を買うことに決めた。教職の授業でお世話になった教授が勧める一冊で、沖縄の少女が抱える様々な問題を沖縄出身で社会学者である著者が掬い取るというものである。エスノグラフィーには、最近になって並々ならぬ関心を抱いているので、これを機に買っておこうと手に取った。因みにこの本は、地元の書店でもその存在は確認していたので、在庫確認はしなかった。
この一冊だけで良いかと踏ん切りをつけつつも、まだ諦め切れぬ己がいた。縋るような思いで岩波新書の棚に入れられている一冊一冊をねめつけていると、リービ英雄『英語で読む万葉集』という本を見つける。リービ英雄はアメリカ人だが、第一言語ではない日本で創作活動をする珍しい作家の一人で、言語の越境性にも強い魅力を覚えている中でその名前を何となく記憶していた。念のために在庫確認をすると、何とMy店舗に登録された中では名古屋店のみが取り扱っているとのこと。巡り合わせに違いないと快哉を叫びそうになりながら、この新書を合わせた二冊をそそくさとレジに運ぶ。渉猟が実を結ぶとは思いも寄らなかったため、望外の喜びに包まれながら書店を後にした。
滞在時間は、おおよそ一時間半だろうか。稀覯本探しに血道を上げると、時間がゴミ箱に入りきらなかった紙屑のように吹き飛んでいく。
やまそうさんとの夕食~浜松
ここで一旦、時間を朝まで遡る。
起床してすぐにTwitterを見ると、やまそうさんからDMが来ている。内容は、栄にいるのであれば一緒に夕飯でも食べたい、というものであった。以前からやまそうさんとは直に会ってお話をしたいと思っていたため、一も二もなく肯う。夕方に、栄にある大型ゲームセンターであるキングジョイで待ち合わせることになった。
先に触れた約束とはこのことである。名古屋テレビ塔を降りた時点ではやまそうさんから追加の連絡が来ていなかったため、ジュンク堂へ行くために名古屋駅まで向かったのだった。しかし、書店での滞在時間が延びている内に、キングジョイに着いたという連絡を受けてしまう。結局、本探しの拘りを抑えることができなかったため、やまそうさんにはキングジョイで時間潰しをしていただくことになった。コンコルドの誤謬を体現するが如く、ここまでかけてきた時間を無駄にしたくないとの一念で、得難い本を必死に探索してしまった。最終的には満足の行く買い物ができたため、コンコルドのような失敗には直面しなかったものの、初対面の人を徒らに待たせるという人品に欠ける行為に踏み切ってしまった点は擁護し難い。今、noteを綴りながら己の自制心のなさに慨嘆する。
買い物を済ませた後、急いで栄に引き返してキングジョイに向かうと、maimaiをやっているやまそうさんを発見。朴訥な挨拶をし、そのままゲーセンを出る。夕飯の場所は何も決めていなかったので、やまそうさんに一任して、行きつけの定食屋に連れて行っていただく。
私の側で写真を載せなかったのは痛恨であった。因みに、私は味噌カツを食した。昨日の味噌煮込みうどんに引き続き、味噌三昧である。好物に味噌汁を挙げたくなるほどの味噌好きである身にとって、これ以上はない選択と言えよう。
話した内容は多岐にわたった。音楽ゲームサークルやその交流戦、ノベルゲーム、教養主義の帯びる権威性や衒学趣味に対する批判、評論のあるべき姿、お互いの身の上話など、目まぐるしく論題が変わっていった。
印象的だった事柄を幾つか散発的に書く。やまそうさんの御職業についてのお話——詳細は伏せさせていただく——は、私のような一介の文系大学院生では想像の及ばないもので、とにかく興味深く聴いた。普段は全くお会いできない方だからこそ、その方が日々経験されている事柄には傾聴したくて堪らない。他者を真摯に受け止めようとすることによる自己の相対化ほど、快いものはない。旅行先でしか会えない人を前にして、己の話したいことばかりを前面に出すような鉄面皮ぶりは避けたつもりだが、果たしてやまそうさんにはどう映ったか。
互いの境遇について話す内に、同質的な集団からどう抜け出していくのかという問いが自然と浮上した気がする。ホモ・ソーシャルの悪弊——批評界隈の一部はこれを著しく露呈していて、本当に見るに堪えない——は言わずもがな、専門性によって連帯する集団の同質性が抱える課題について、自分の立場からやまそうさんに提起した記憶がある。大学院生はどうしても、大学の外に対する視力を失いがちであって、それによって無意識に象牙の塔へ籠ってしまう傾向があると私は日々危惧している。大学院の人たちを尊敬しながらも、彼等に飲まれないようにしたいという強い動機が作用するため、なるべく色々な立場の人と直に話をする機会を持つように心がけているつもりである。やまそうさんと会うのを即決したのも、それが一因となっている。果たして、自分が望む以上の貴い時間を過ごすことができた。全く頭が上がらない。
とにかく、物腰の柔らかい人という印象に尽きる。Twitterのスペースで声だけを拝聴したことのある状態であったが、その時に覚えた理知的な雰囲気の延長線上で人物像を結ぶことができた。平素ではなかなか耳にすることのできない話題を気兼ねなく提供してくださる上、聴き手としてこちらの話に親身になってくれる様子に、私もかくありたいと思わずにいられなかった。本当に、感謝しかない。またお会いできる日を心から楽しみにしている自分がここにいる。
やまそうさんに感謝と別れを告げて、九時過ぎに栄駅を発つ。目指すは、浜松である。
まずは栄から名古屋市営地下鉄名城線で金山へ出る。そこから名鉄名古屋本線に乗り換えて、豊橋に。豊橋からは東海道本線を使って、ゆっくりと浜松まで揺られた。
疲労の蓄積した身体は恐ろしいほどに睡眠を欲していた。豊橋-浜松間でどうやら20分足らずの眠りに入ったらしい。気が付くと、浜松に到着していて吃驚する。姿勢の悪い状態で眠った後に訪れるあのゲップの感覚から、どうやら僅かの間だけ寝ていたのだろうと事後的に推論する形になるくらい、眠ったという気がまるでしなかった。
この日の宿もまた、東横インのミッドナイトタイムサービスに期待をしていたが、狙いは上手く的中した。23時直前に浜松駅に着く算段になっていたので、改札前で23時を迎えてすぐさま部屋の予約を済ます。浜松駅のそばにある東横インが難なく取れたので、トランクを引き摺りながらも心は軽快に歩んでいけた。
部屋に入って間を置かずに寝れば良いものを、KBMの先輩にあたるさちたまさんがTwitterでスペースを開いていたので、迂闊にも参加してしまう。ちょうど川崎ではGITADORA新筐体のロケテストが行われていたので、その話などで盛り上がる。就寝時間は大きくずれ込んで、午前2時を過ぎてしまった。
スペースを抜ける時の遺言。
旅はまだ続く。
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