生きたい人、死にたい人
世の中には、大きく分けて4種類の人が居る。
病気も無く健康で、自殺願望がない人と、病気も無く健康で、自殺願望がある人と、病気があり不健康で、自殺願望がある人と、病気があり不健康で、自殺願望がない人。
そして更に2つのタイプに細分化する事が出来る。
死にたい人と、生きたい人。
病気の有無や健康不健康関係なく、自殺願望がある人は死にたい人のグループに入る。病気の有無や健康不健康関係なく、自殺願望がない人は生きたい人のグループに入る。
死にたいの度合いが人それぞれ違う様に、生きたいの度合いもまた人それぞれだ。
ある病気で余命宣告を受けた人は、病気がなく健康な人よりも生きたいの度合いが強いと言う事が予想される。
死にたい人も同じで、精神的な病気や肉体的な病気を抱えていたり、精神と体のどちらか、または両方が不健康であれば、死にたいの度合いが心身共に健康で病気を抱えていない人より、高くなる事が予想される。(強い希死念慮を抱える人は精神疾患を患っている可能性が高い為)
人により程度や度合いの差はあれど、生きたい、死にたいと思う気持ちは万人共通だ。
良く生きたい人や元死にたい人が死にたい人の考えや意見を批判している場面が散見されるが、私は死にたいという気持ちは、生きたいという気持ち同様尊重、または忖度されるべきで、否定されるべきではないと私は思う。
生きたくても生きられない人が居るだとか、アフリカの子供達や紛争地帯で生活する人々の様に、明日生きる事さえもままならない人達が居るだとか。
そう言って、人の考えや思想、価値観等を否定する事は、人の存在や人格を否定する事と同義だ。自分の存在や人格を否定されて、心地よい、快いと思う人は居ないだろう。
私は死にたい人間だが、死にたいと思う人の考えを否定しないし、生きたいと思う人の考えも否定しない。人それぞれ考えや価値観等が違って当たり前だし、法に触れたり、常識やルールやマナーに反する可能性がない限り、人の考えや価値観は、尊重或いは忖度されるべきだと思うからだ。
生きたい人が生きたいと言う様に、死にたい人が死にたいと堂々と言えて、尚かつ死にたい人の気持ちが尊重される世の中になったら良いな、と私は思う。