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保健室で泣いていた15歳の私のために生きてる #2

ねむみえりです。
普段はフリーランスのライターとして仕事をしています。
これを書こうと思ったのは、ずっと続けているカウンセリングで、「えりさんのような学生時代を送っている人が読んだら、希望になるかもしれない」と、カウンセラーの先生に言ってもらえたことがきっかけです。
なので、私は15歳の私(保健室登校を始めた歳)に向けて、未来から手紙を送る気分で文章を書いていこうと思っています。

高校はひたすらに出席数との戦いでした。出席が足りないと単位がもらえないから、当時の日記を見返すと、1限は出られなかったとか、3限から出られたとか、1日の授業の出欠が細かく書いてありました。

高1はかなり頑張っていたように思います。とりあえず保健室には行って、そこから授業に出たり出なかったりを繰り返していました。学校を途中で抜けて病院に行き、わざと教室にサブバッグを置いておくことで、病院が終わっても学校に戻らなきゃいけない理由にしていたのを覚えています。よく頑張っていたなと思います。日記には、高校生ならではの学校生活の悩みを持ちつつ、バラエティ番組を見たりした様子もあり元気そうだなと思ったら、翌日に今でもたまに陥る悩みが書いてありました。進路にも悩んでいたし、そもそも生きることにも悩んでいた。言葉は全然尽くせていなかったけど、この年齢になってもあまり変わらない悩みをすでに持っていました。今でも、未来のことを考えると怖いし、生き続けるのもしんどいです。15歳の私が聞いたら、悲しむでしょうか。15歳の頃からあるしんどさは、まだ治っていないのかと。

高2になる少し前から、病院でカウンセリングを受けるようになりました。小児病棟の中にある、相談室のようなところです。とても静かな場所でした。そこで何を話したのか、正直今の私はあまり覚えていません。日当たりの良い暖かい場所だったことは覚えています。まだ何も自分に起きていることが分からず、日記を読んでも、何故学校に行けないのか分からない、とか、教室が怖い、みたいなことをよく書いていました。学校を辞めて、サポート校や、通信制や単位制の学校に転校するかどうかを相談したら、心理士の先生が資料を取り寄せてくれたのはしっかり覚えています。

私は結局、学校に行くことができなかったし、新しい人間関係を作ることも困難だと思ったので、学校を辞めたら高認を取って、塾に通いながら、大学受験を目指すことにしました。心理士の先生が沢山資料を集めてくれたのに、そのどこにも通わない選択をしたのは、申し訳なかったと思ったのも、覚えています。常に頭が重く混乱していて、何をどうしたらいいのか判断力も落ちていた中で、そうやって寄り添ってくれる人がいるんだというのは大きな救いになりました。

高2はほぼ教室に行けず、出席日数も足りなかったから、10月とかに学校を辞めると決めたような気がします。教室に置いてあった私物を、みんなが体育の授業をしている間に、保健室の先生と一緒にこっそりと引き取りにいったのも覚えています。これでもう、ここに来ることはないんだな、と思い、安心しました。学校を辞めた日も、良く晴れていて、もう毎日苦しんで、母と喧嘩しながら、学校のことで悩み続ける必要がないと思うと、心が軽かったです。

18歳になってからも、漠然とした不安が大きかったです。地域のカウンセリングセンターのようなところに通っていたからか、だいぶ言語化ができてきたように思います。それで新しい悩みが増えたりもするんだけど。高認の資格が取れたあとぐらいから、今の病院に通うようになりました。私が抱えているものは、思春期特有のものではなくなったわけだ、と思った気がします。秋にはグルーブカウンセリングが始まりました。ここから、自分の考えていることを言語化して人に話す、ということができるようになってきました。

学校を辞めると決めた私を絶対に後悔させない、という思いでここまで来たような気がします。大人になった今でも、学校という制度は私には合わなかった、どうしようもなかった、という見解です。でももうそれは大丈夫です。あなたは大人になれたので、学校というものに通わなくて大丈夫になりました。制服を着て、玄関で動けないと言って泣かなくてもよくなりました。あの時は苦しかったね。今は家を出なくても仕事ができる環境にいます。だから大丈夫です。あなたがこれからする選択は間違っていない。

16歳と17歳の私の話はここまで。
次は18歳の私の話の続きを、15歳の私に向けてします。

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