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映画「きみの色」感想

素晴らしい映画だったので感想をメモっておく。

本日IMAXで2回めを観てきた。こんなオリジナルアニメ映画をIMAXで観られるってのはなかなか無い体験かと。

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とにかく何がいいって、つくり手がキャラクターを愛しているということがひしひしと伝わってくること。「展開やメッセージや盛り上がりのためにキャラに無理やり行動させている時間」が一ミリも無い。

ある程度成功しているチームにしか許されないことなんでしょうけど。

意味もなく盛り上げなくて良い。意味もなく感動させなくて良い。意味もなく「意味深なセリフ」を言わせなくて良い。意味もなく泣かせなくていい。意味もなくケンカしなくていい。

これよ。

こんな贅沢ありますか?

盛り上がりもなく、メッセージもなく、泣き所もない、何が面白いの?
ってなると思うじゃないですか?

めちゃくちゃ面白いんですよ。

それはうまく言語化はまだできないけれど。
一言で言えば、肯定感と優しさ、ということかと。

何かを否定していくことでドラマを紡いでいくやり方というのはもちろんあるのだと思います。
この映画では、嫌な友人や、理解のない親や、悪気なく暴言を吐く市井の人々や、社会システムのきしみ、というものは表面的には一切描かれない。

ひたすらに主人公や周りのキャラクターの行動言動を是として、認めていく、支えていく。

良い喩えかどうかわからないんですが、鬼滅の映画を見たときに、煉獄さんに感じた全肯定感というか、安心感、優しさ、頼もしさ。

煉獄はいつも笑顔でまっすぐで、誰かにケチをつけたりひがんだりすねたり、怒鳴ったりしない。
そういうマイナスの要素はどこかに封印して生きているように思える。

映画「きみの色」のトツ子、きみ、ルイ、にも、もちろん様々な側面があるだろう。誰かを怒鳴りつけたり、泣いたり、意地悪をしたり、そういう側面はあるのだろうが、それはこの映画には描かれない。

これを私は綺麗事ではなく、ものすごく誠実な態度であると捉えた。

トツ子には人の色が見えるという。だとすれば王蟲の警戒色じゃないけど、悪人や、偽善者や、危険な人物の色も、もちろん見えているのだろう。

でも映画で描かれるのは「きれい」な色ばかりである。
素敵、美しい、なんてきれい。
そういう色が次々と描かれていく。

これは決してぬるい姿勢だとは思わない。
アタマお花畑か? 現実はそんな甘くないぞ?
という意見を跳ね返すだけの信念を持ってつくられているからだ。

われわれはSNSを見てもわかるとおり、負の感情や鬱積したものを吐き出すことのほうが容易い生き物なのだ。

プラスの感情、素敵なものを素敵といい、好きなものを好きといい、美しいものを美しいということのほうがはるかに難しい。

それをブレずに、丁寧に丁寧に紡いでいるのが今作である。
ほんとうにそれは、難しいことなのだ。

***

三人があつまれば何が起こるか、という問いに対し。この映画は「白くなります。以上」と答えを出す。そしてそこから一切ぶれない。
これが本当に貴重で、通常えがかれ「がち」な三角関係のもつれは一切描かれない。

これがどれだけたいへんなことか。

それがクリアできないからこそ、意味もなく恋したり、意味もなく喧嘩したり、意味なく仲直りしたり、意味なく泣いたり・・・
そういう見たことのある「アレ」に必ずなってしまう。

本作に恋愛感情がゼロだとは全く思わない。それぞれに何かしらの恋心というのはあるでしょう。
ただ、それを「恋しています!!」と出す下品さが無いのだ。

そうかもしれないが、それはそれとして、お話は進めましょう。
という姿勢が本当に貴重。

昨今描かれがちな、LGBT的な要素を強調するわけでもない。
だって、人が、人を愛しく思うのだから、それは別に同性愛だとか異性愛だとかゲイだとかレズだとかシスジェンダーとかトランスジェンダーとか、それはまた別でいいじゃないですか。という。

トツ子がきみに膝枕してもらうシーンなどは涙が出そうになる。あれは別に百合でもなんでもなく、だれかに優しくされることの温かさでしかないのだ。

また、二人が久々に島に来たときに、ルイは死ぬほど喜んで二人を抱きしめる。そこできみはぼーっとなるのだけど、それは別に「男の子に抱きつかれちゃった。胸がどきどき、これってもしかして、恋??」とかいう話ではなく、自分がそこまで必要とされていたことに心地よく驚いているのである。

そして、このふたりのあり様を、トツ子は嫉妬したりドギマギしたりするのではなく、「素敵すぎた!!」と感動に浸るのである。

素晴らしい。

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2回観てよりわかることは、ふつうは下品に説明したり、こねたり、こすったりするポイントを、徹底的にスルーしているというところ。

ありきたりになりがちなダサさを究極まで回避している。

ぎりぎりのバランスだと思うのは、
テルミン、という楽器が出てくるんだけど、
まずはなんの説明もなく、いきなり演奏される。それが心地よい。

そんでこのままスルーで行くのかと期待したらいちおう

「さっきの楽器何?」
「テルミンっていうんだよ」
「へえ~」

という会話はあった。
しかし、これで終わり、以上、解散。何のうんちくも、背景も語られない。
それがいい。

かといって、ドヤ顔で情報を隠しているのではなく、
いらんことはしゃべりませんし、匂わせもしませんが、なにか?
というそういう姿勢なんですね。

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と、だいたい絶賛なんですけど、観た人はみな同じことを思うと思うのですが・・・・・・

ミスチル いらねえ



これな。

誰だよ、ミスチルぶっこんできたやつは・・・・・・・・


ミスチルに罪はないけど、そういうベタさの対極にある映画だろうがよ笑

合掌

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