映画「ルート29」を全肯定する話
いまのとこ、一回しか観ていないのだけれど、とてもよかった。
こちらあみ子、がド傑作だったのと同じように、この映画もド傑作であると思う。ので、森井勇佑という監督はまぐれ当たりではなく本当に力のある監督なんだなあ、と勝手に思う。
鑑賞後に知ったのだけど、詩集が原作ということで。それを知ればなおさら愛しい映画になる。
レビューをみれば、難解であるとか、何が言いたいかわからないであるとか、いろいろあって面白い。
こちらあみ子、は良かったけど、これは……という人もいて、それも面白い。
わたしにとっては、こちらあみ子と完全に地続きな映画であって、なにかトーンが変わったとか、こっちの方がつまらないとかは無かった。
いま唐突に思いついたのでMVを貼っておく。
このMVはデビュー作に込められていた魂を忠実に表現していると思う。
こちらあみ子のラスト付近、おばあちゃんの家にあみ子が捨て置かれるシーンで、お父さんと遊ぼうとする部屋に、無意味に虫がバンバンと飛び込んでくる。
そこに意味など無く、ただ虫がそのように生きている場所であるからであって。
このMVにも通底するが、大人があれこれと意味をつけようとしたところで、自然の中に石はあり、水は流れ、雨は降る。
光はさして、人は寝る。
情報と意味と価値とコスパと目的と。努力と勝利と。そしてドラマとしては『変化』と『成長』と。
そういう忙しさから切り離された空間が「こちらあみ子」にはあった。
みかんは落ちてこないし、赤子は生まれてこない。
ただおおらかに自然はそこにあり。あみ子は強がりでもなんでもなく本当に「大丈夫」なのである。
その美しさにただ心を打たれたのが前作だった。
今作は。
一言で言って、めちゃくちゃ美しい。
それは綾瀬はるかが、と言っても間違いではない。綾瀬はるかがめちゃくちゃ美しい。では、それは、なぜなのか。
また、自然が美しい。美しく切り取ろうとしている部分も、そうでない部分も。
雨宿りの牧場で。足元に無造作に置かれた傘が美しい。
並べられた大量の石が美しい。そして走る人は美しい。
意味や考察をずっと抜きにして、単に美しい映画だったな、という満足感が初見時にありました。
死んでてもいいから、また会おう。
詩集にある言葉なのかはわからないが、美しいセリフだった。
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ということで、このような映画については、映画そのものが「肯定感」のかたまりのような輝きを放っている以上、どこを直せばもっと良くなる、だとか、この部分だけがざんねん、であるとか言う感想は、私には生まれてこない。
出来上がったものが、とても神々しく、凸凹まで含めすべてが美しい、という感じでございます。
と、とりとめもない感想ですが、ニ回目を観に行ったらまたいろいろ考えるんだろうな。
いまんとこ大好きなポイント。
・ハルは三匹目の犬について「たぶん森にいる」と述べた。車を盗んだ女、が犬を探していることについて、「嘘をついていない」と単純に感じているのだろう。われわれ観客は一瞬画面に映る三匹目の犬を見ているので、ハルの言ってることが納得できるのだけれど。ハルは三匹目の犬を見ていないからな。相手が異常者だからといって「どうせ犬の話も嘘」と全否定しない姿勢が、この映画のあたたかさの根っこなのだと思う。
・最後になって思うけれど。どうしようもないのり子、も、「風よけ」として機能しているオープニングが楽しい。俺たちは徹底的に無価値にはなれないのである。
・というか、ずっと菊次郎とか、みんな~やってるか!とか、たけし映画のギャグのリズムがなかったですかね?客はぜんぜん入ってなかったけど、俺は劇場でめっちゃ笑ったよ。じじい登場シーンとか、画面外でハルがごそごそやってるから、これは「棒」を探しに行ってるだろ、と思ったら、ほんとに棒を持ってきてつつくとことかホントおもろかった。「こらぁ、しんどるで」
あまり武映画と並べて語っているレビューがなくて不思議。
というかんじで、とりあえず初回感想はこんなところ。
ニ回目以降、どういう感想になるか楽しみです。