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映画「四月になれば彼女は」感想

100点、とか5億点、とかいう映画ではなかったけれど。
 
70点という感じ。
 
 
レビュー前提。
佐藤健は一軍とみないこと(花束問題)。こいつはある程度見た目は整っている写真部の陰キャです。長澤まさみも見た目は整っているが、内面が圧倒的に豆腐で、ぎりぎりのところでべらべら理屈をしゃべりながらメンタルを防御しつづけて生きている陰キャ。それも大事。

このような連中の共通点は、成長過程で無条件の愛情(主に親から)にしっかり浸れてないので、自己肯定感が低く、こころの中に余裕がないこと。
このパターンでもOK、こうなってもまあなんとか大丈夫、という思考にはなかなかなれず、こうなった場合攻撃される。これなら傷つく、こうなったら終わり、などと否定的なことを主軸に考える。
佐藤健が「何やってるんスか!そんな束縛したら森七菜かわいそうじゃないか!本当に愛があるなら、娘を独占するのをやめろよ!」と竹野内豊に言えないのが最たるもの。めちゃくちゃ好きな相手ですら、あの程度の圧で手放してしまうのが佐藤健の陰キャクオリティ。長澤まさみも同様で「手に入れなければ愛は終わらない」というゴミ理論を、レトリックではなく実践してる時点で終わっている。それがわかっている河合優実が数段レベルが高いキャラ。ただ、メンタル終了しているバカ野郎でも生きていかなければいけないのがこの世界で、それを描くことに文句はまったくない。
 
好きだったところメモ
・雨宿り佐藤健の横顔写真「いい表情してますよねえ」本当にいい表情の写真で○

・ペンタックスに時間嘘ついた、という告白

・「それもなんとなくですか?」「いや、これはちゃんと準備してきた」がんばったな佐藤健。

・ペンタックス到着「てかなんで撮ってないんだよ」「(やべ、朝日見に来たんだった)」パシャパシャ。あれはそうなんよね、ツッコまれる前から俺は(いいなあ、いま朝日が無視されてるなあ、いいなあ、恋だなあ)と思っていたので最高。

・森七菜「じゃあ私はここで」という最後。電車を降りる、という行為と、この恋から降りる、という行為がリンクしている。あれが恋の終わり。すばらしい撮り方だった。あのドアが閉まるまでの短い時間もいい。すっと閉まる。電車はキミ等の恋を知らないから。知ったこっちゃないから。時間は無情に流れていく。動き出す。

・そのあと、エスカレーターでの佐藤健の表情が最高。めちゃダサい。あそこはかっこよくしちゃダメだから本当にダサく撮ってて最高。捨てられた嫌悪感ではなく、父への憎しみでもなく、何もアクションできなかった自分への嫌悪というか憎悪、情けなさなんですよね。ほんと情けない。素晴らしい。

・長澤まさみ来院時、佐藤健が送りながら話すシーンが好き。病院の中を二人で出口まで歩いていくんだけど、ずっと歩きながらしゃべってる。ああいうのいいな。それをああいう風に撮れるのはいいな、と思いながらみてた。ただの医者が患者と一緒にずっと歩く。外まで見送る。そんなこたねえだろ、と思うけれど、それが恋の始まり。河合優実は「最初からお姉ちゃんのこと全然好きじゃないことバレバレ」と言ってたけど、そこは河合優実が間違っている。そんな悲しい見方をしてはいけない。100パーのフォーリンラブじゃないにしても、3%ぐらいは好きなんですよ。それを捨てちゃいけない。たけるくんはまさみちゃんに、明らかな共通項を見出し、それを愛したのです。

・河合優実のワンシーンはギャラ100万ぐらい出していいぐらい素晴らしい。監督が正解を出してるというよりも、河合優実が自力で正解している感じしかしない。いいなあ。河合優実の左耳にゴツいピアスが何個か付いてるんだけど、そこにピントが合わないのがいい。世界にははっきり見えないけど、間違いなくそこにある、という類のものがいっぱいある。それは森七菜が言ってたことであります。

・ペンタックス「じゃあ外で待ってるわ・・・」出ていきぎわ暗室を指さして「大丈夫?覚えてる?」こいつ好き。こういう、ただしんみりしちゃうシーンにふっとユーモアというか笑いを差し込むキャラは本当に愛しい。人が死んでるのに笑いを忘れない中島歩。素晴らしい。ソナチネ でラストの襲撃に行く前、たけしが車中でひとりシリアスな顔になってるんだけど、勝村政信がヘラヘラ戻ってきて言う「ガソリン、入れてきてくださいね」。たけしは「うるさいよ、ばかやろう」とふっと笑顔になる。こういうシーンは大事。

・ラストの波打ち際を追いかけて、抱きしめて、の流れは心打たれた。追いかける、ってのは定番で「あーそうですか(ハナホジ)」って感じでみてたんですけど、タックルするみたいに二人で水の中に倒れ込むのはびびった。あのダサさ、そうじゃなさ、びしょ濡れやん、どないすんねん感、あれがあの二人の恋であり愛し合い方なので、あれでよい。というかあのボロボロ加減がいい。逆光の中抱き合う二人。キュアロンのROMAの名シーンを思い出させるような(というか意識してるんだろう)素敵なシーンでありました。
 
 
マイナスポイント
・冒頭「愛を終わらせない方法?なにそれー、なぞなぞ?」と歯磨きのときに言われた長澤まさみの表情は「はい、じゃあショック受けた表情おねがいしまーす」と言われたような、露骨に動揺している表情をしている。露骨、ダメ、絶対。

・上記込みで、長澤まさみが翌朝いなくなることが、どうやっても想定内になる。ちゃうやろ。想定外、やろ。だから卵をどう焼くか、とか本当に安心しきった質問してるんやろ。想定内、ダメ、絶対。

・ただし、グラス割れたときの違和感はアリ。あれは「何かある」でいい。グラス割れることは非日常なので、それに対してショックは受けていい。で、ショックプラスアルファの「何か」はあそこに漂っている。それは後に回収されるのでOK。

・病気、なあ。若くして病に倒れ死亡、なあ。余命、なあ。描き方なんでしょうね。森七菜を退場させること自体に文句はないけど、やっぱまたか感はある。

・写真現像したら長澤まさみが出てきて驚愕するが、あそこまで森七菜と長澤まさみのストーリーがまったくクロスしない。ただの別々の話。だから急にあそこで噛み合っても(ああ、まあこういう手段でしかつながり出せないよね。つながらないまま終わるのはダメだから非常手段だろうね)という感じになる。お話の展開のためにケアハウスに無理やり行かせました感が出るから、ダメ。

・ともさかりえがコーヒーをもってくるシーン。カップを斜めに持ってくるので「からっぽやん・・・」ということがわかってしまう。いや別に空っぽでいいんだけど、気になるからやめてほしい。その後、コーヒーを飲みながら話するのだけど、(そうか、中身入ってないから飲む演技してるんだな、がんばれ)と思って気が散る。缶ビール飲みながら歩くシーンとかも(これも空き缶で演技してるんだろうな、がんばれ)と思って気が散る。演技であることをバラさないって当たり前だけど大事なことなんだなあ、と再確認。基本的にともさかりえが悪いんだけど、そこを修正できなかったのなら監督のミスなんだろう。

・ウユニ、プラハ、アイスランド。予想していたことではありますが、実際映画を見た感想も「この場所はお話と関係なくね?」という。これは原作がそうなんでしょうから知らんけど、そこをメインのストーリーとからめてナンボじゃないの?恋する惑星 ではカリフォルニア、という地名が出てきますが、待ち合わせする約束のバーが「カリフォルニア」そこに来なかった理由を「きっと彼女は、本当のカリフォルニアに行っちゃったんだ、間違えて」と自分を慰めるトニーレオンがおしゃれ。流れてくるカリフォルニアドリーミン。ああ。・・・
そういう素敵なリンクを作れないのはほんと「うわべ」じゃん、「わー、夜景が綺麗」とか言うレベルと同じやん、という。夜デートだから、とりあえず何かしらライトアップされてるとこ行っとこうか、というそういうレベルやん。・。という。ウォンカーウァイになれないのは山田智和ではなく川村元気であったか、という印象。

・長澤まさみの名前が「弥生」て。。。4/1生まれで弥生なわけねーだろ。森七菜の名前が「春」て・・・。だっさ。そういうなんというかイタいかゆさを、川村元気はかゆいと思わないから、新海誠をプロデュースできるんだろうな。ああ、かゆい。

・ただし、藤代が森七菜に「フジ」って呼ばれてるのは良かった。ペンタックスをペンタとかペンちゃんとか略さないのも良かった。
 
結論:「ソナチネ」と「恋する惑星」は本当に素晴らしい映画であります。

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