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信玄餅はその風呂敷にエロティシズムを内包する
友人から山梨のお土産として、桔梗信玄餅を貰った。正確に言えば貰ったというより、お金を渡したら買ってきてくれた。菓子ブローカーである友人は、金さえ渡せばいつだって脱北させた菓子を私の下へと届けてくれる、信頼を置くビジネスパートナーだ。
私は信玄餅を手のひらの上でころころと弄ぶ。やはり、山梨の銘菓といえばこれだろう。なんて可愛らしいんだ。
花柄の風呂敷を中身が傷つかぬよう丁寧に脱がし、蓋を開けた。すると、ぽってりと弾力のある餅が露わになった。その姿は、心なしかふるふると震えているように見える。ごくりと生唾を飲み込み、私はその生娘の滑らかなおしろいの上に、艶やかに光る黒蜜を垂らした。一瞬、穢してしまったのではないかという罪悪感と、同時に背徳感が迫り上がる。もう後には引けない。最初は弾いていた蜜も、今では染み込み、じっとりと濡れていた。理性がプツンと切れた音がした。
かくも劣情に駆られる土産菓子を私は知らない。というか、美味すぎやしないだろうか、信玄餅。その美味きこと餅の如し。いや、餅なのだが。
信玄餅の最大の醍醐味はやはり、きな粉まみれの餅に、自分で黒蜜を垂らすあの瞬間だと思う。理想の信玄餅を自分で作成しているような感じがする。トレーの上からはみ出さないように、満遍なく垂らしていくときの気分はさながらパティシエであり、最後の仕上げで失敗しないよう気を張る。それが楽しい。
キャンプやレコード等、最近は敢えて「めんどくさい」を楽しむ風潮がある。急速に発展する現代社会には、時たま立ち止まり、ほっとできる場所を作ってやることが大事だと考える人が多くなったんだと思う。だからこそ、利便性の優先度を下げ、手間暇を込めて何かを行うということは、きっと安心できる時間的空間なのであり、素晴らしい。我々現代人には、「めんどくさい」に向き合う時間が必要である。
そして、私はその時間に適したお菓子こそ桔梗信玄餅なのだ、と確信した。食べるまでに工程が多いことも、食べながらきな粉がこぼれないようにと気を遣わなければならないことも、信玄餅の魅力を高めるための舞台装置なのだ。たかが土産菓子には重い荷を背負わせてしまった気もするが、まあいいだろう。そのくらいのポテンシャルはある。
そんなことを考えながら、最後の信玄餅をトレーからようじで持ち上げると、友人から「そういえば、食べ方違うよ」と言われた。
すると、友人は信玄餅の風呂敷を広げ、その中心に信玄餅が入ったトレーをひっくり返した。そして、黒蜜を全部かけた後、風呂敷の四隅を持ち上げて餅を手のひらでもみ込み始めた。
「これが正式な食べ方だから」と、友人は得意げな顔をする。「楽だし、食べやすいでしょ?」
……なんなんだ、その食べ方は!そんなもの認めんぞ、私は!はしたない!風呂敷が黒蜜ときな粉でぐちゃぐちゃじゃないか!
私はこいつを信頼できるビジネスパートナー、なんなら相棒とまで思っていた。しかし、それは間違いだ。純真で可愛らしく、そして触れただけで壊れるくらい儚げな信玄餅を乱暴に扱って、あまつさえ食べやすいだと? 許さん。こいつは何もわかっちゃいない。
ふつふつと沸き上がる気持ちを抑え、桔梗信玄餅公式HPを見ると、こんなものが載っていた。
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本当じゃないか。こんな、こんな暴行を公式が認めているというのか。何とは言わんが卑猥すぎるだろう。その手つきをやめろ。
とは言ったものの、風呂敷にきな粉ごと広げてしまうのは確かに楽だ。何故だかわからんが、風呂敷を汚してもいいという発想が無かった。ぴったりと仕舞われた餅をおっぴろげても良いなんて、自由過ぎる。公式には、よく思いついたなと感心する。
この食べ方だと、きな粉が飛んでいく心配もせずに済むし、全然めんどくさくない。ただ、そうなると私の「めんどくさい」を楽しむとは少し違うのかなとも思う。
結局私は、信玄餅に「めんどくさく」あってほしかっただけなのかもしれない。自分の理想を押し付け、それでこそとレッテルを張り、都合の良いように解釈した。
その上今では、信玄餅はマクドナルドやロッテ等大企業とコラボし、様々な形に進化し、私たちに美味しさを届けている。いつまでも私の知っている(或いは知っていると勘違いしていた)信玄餅ではないのだ。
ああ、なんだか娘が成長して遠くに行ってしまったような、そんな気分だ。子離れができずかんしゃくを起こすだけの駄目親父になり果てていた私を、信玄餅と、それを持ってきてくれた友人が救ってくれた。
私は「ありがとう、気づかせてくれて」と友人に言った。お前はやはり、俺の相棒だ。
友人は「まず買ってきたことに礼を言えよ」と言っていた。私の金だからそれは言わない。
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