人間ドッグじゃなくて”人間ドッグラン”が必要な時代
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:犬の超能力を賛美する。前世論。ドッグランが人間にも必要という暴論。
チワワと猛犬とシンクロニシティ
僕は前世、犬だったんじゃないか、と思うことがあるんですよ。
この間、と言っても、昨夏なんですが、コロナワクチンの注射の帰り、おばあさんと散歩しているチワワに会ったんですよ。
そのチワワ、20メートルくらい離れている僕を見つけて、ダッシュで走って来たんです。
飼い主のおばあさんが引っ張られて大変だったんですが、飛びついてきたんです。
もちろんその子に会うのは初めてで、彼(彼女)も僕を初めて見たはずです。
なのに、旧知のあいだのごとく、目の色を変えて猛然とダッシュして来て、飛びついてきたんです。
みなさんもたまにあるでしょ、「初めて会った気がしない」みたいな動物との出会い。
でも、そういうことを超えていました。
その犬の目は、「前からお前を知ってるよ」みたいな目をしていたんです。
次の日も、偶然同じ時間にそこら辺を散歩していたら、また会ったんです。
脱兎のごとく駆け寄ってきて、気が狂ったみたいになめまくって・・。
前世のうらみ?をぶつけてくる犬
また、別の犬は全く僕を親の仇みたいに敵視するんです。
勤務先の大学が木更津にあるんですが、学校の近くの住宅街を通ると一軒の最近建ったばかりのおしゃれなお家があるんです。
でも、そこから聞こえてくるのはけたたましい犬の鳴き声です。
そのワンちゃんは、同時に窓を狂ったように日本の前足でドンドン叩くんです。
鳴き声と叩く音の二重奏で、大変な騒ぎです。
そうなんです、僕がその家の前を通ると、その恐ろしい光景が展開するのです。
ここまではよくある話かもしれません。
しかし、家の前を通ると言っても、家は高台にあって、僕はそのはるか下の道を歩いており、犬との距離は20メートルくらいあるのです。
いくら犬の嗅覚がすぐれていると言っても・・・。
僕は思ったんですよ、狂ったように駆け寄ってくるチワワも、僕に猛り狂う犬も、なにか前世で関係があったのでは、と。
僕をよく知る人物は「あんたが前世、犬だったときに、すごくかわいがったか、いじめたか、その二人の犬はそれを覚えているんだよ」と言いいます。
もう一度、チワワに会いたいのはもちろんなのですが、でも僕に異常に怒り狂うあの犬にも、最近は吠えられるのが楽しみになってきたのです。
たまにその子がいなくて吠えられないと、なにか寂しい気持ちにすらなるという・・(笑)
これはますます、前世説が信憑性を帯びてきましたね。
人間よ、動物的カンを取り戻せ
それにしても、離れていても何かを感じることができる犬の能力は、すごいと思うんですよ。
AI時代、僕らは、何かを感じるという能力を失っています。
と言うよりも、感じようとすらしません。
目で見て感じる、耳を澄ませて感じる、何かに触って感じる、はたまた犬のように鼻でなにか匂いを嗅いで感じる、ことをしません。
すべての感覚が遮断されています。
ただ、コンピューターにデータを提示されて、コンピューターが意思決定した結果を受け入れるだけです。
野性があなたの中から、僕の中から、どんどんなくなっていきます。
使わない機能は、どんどん退化していきます。
今後生まれてくる人類は、人間のカタチをしてないかも、です。
かつては人間も犬のように、100m先からでも誰がこちらに向かっているかわかったのです。
しかし、いまは帰宅して玄関にたどり着いた夫(配偶者)の気配すらわかりません。
はたしてこれでいいのでしょうか。
人間ドッグランを見つけた企業が勝つ時代
犬はドッグランで、走り回り野生の勘を取り戻すと言います。
人間もドッグランが必要な時代ではないでしょうか?
え、「俺は人間ドッグに入っているよ」って(笑)
人間ドッグ、じゃなくて、人間ドッグラン。(笑)
人間としてのカンを取り戻す場所、です。
コロナはそんな人間から、人間を取り戻す機会を奪う悪魔です。
テレワークの実施率が、一時期よりもかなり低くなったという、生産性本部のデータが今日発表されました。
日本人は本能的に「コンピューターを通じての仕事はなにか大切なものを失う」、そう思っているのかもしれません。
人間ドッグランは、ズームでの飲み会ではない、そう思います。
ポストコロナの経済で覇権をとなえるのは、人間ドッグランを見つけた企業なのではないでしょうか。
それを会社の中に創る、のもいいですね。
今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
じゃあ、また明日会いましょう。
野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー