あきらめていた学生の能力開発に成功した!?
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:学生の能力開発に成功、なんて大げさに書いていしまったけれど、確信した。それは心を許す存在になってあげることだ。
ほめて育てるのはもちろんだが
プライバシーに配慮して、ちょっとだけ脚色しますね。
ある大学での出来事です。
単位をとれない学生がいました。
O君としましょう。
周りから授業だけは出ろ、と言われて出てはいるのですが、授業は聴いてません。
課題も1,2行で終わり。試験勉強もしません。これでは単位も取れないでしょう。
彼は、でも、スポーツは大の得意で、所属運動部ではトップクラスです。
ただ、最近は大学の連盟の取り決めで成績が振るわないものは、大会に出場させないという方針があるのです。
僕は知り合いの先生に頼まれたこともあり、また彼とは個人的に仲が良いこともあって、何かと面倒を見ているのです。
週1で僕の研究室で家庭教師を務める約束なんですが、いつもすっぽかされます。
でも、いい友達がいて「O君、のろちゃんが待ってるから行ってやれよ」とか、おしりを押してくれるんですね。
今日は珍しく、姿を現しました、39度熱があるって聞いてたんですが。
野呂:「ダメじゃないか、病気の時は休んでろよ」
O君:「頑張ってきてやったぞ」
野呂:「いいから早く帰って病院行けよ」
O君:「ノート見せろって言ったから、持ってきてやったぞ。ほら!」
野呂:「おお、感心に約束を覚えてたか。どれどれ、じゃあ、せっかくだから一寸見てやるか。
これは英語のノートじゃないか。自分で調べたんだな、神奈川県警=Kanagawa Prefectural Policeなんて、なかなかやるじゃないか。」
O君:「今度は憲法のノート見せてやるよ、じゃあな!」
いつものやりとりなんですが、彼の目が今日は違ったのです。
何と言うか、いつもの投げやりな感じじゃなくて、ちょっとうれしそうで、ちょっと真面目な目をしていたんです。
僕は「これなんだ!」と思ったのです。
錯覚にすぎないかもしれないのですが、うぬぼれかもしれないのですが、彼は僕にこころをゆるしてくれたのです。
半年かかったけれど。
「うるさいからちょっとやってやったよ」という感じではあるのですが、ノートの書きぶりには少し勉強に対する本気が感じられ、ところどころに「おや、こいつ案外きちんとできるじゃないか」と思わせるものがあったのです。
大げさに言えば、勉強の才能です。
できない子は感性が違うだけ
劣等生のレッテルを貼られていたO君ですが、実はそうではなかったのです。
やればできるだけにとどまらない、何か光るものを感じたのです。
なぜ、じゃあ、彼は今までダメ学生とされてきたのか。
孤独だったからではないでしょうか。
つまり、彼を認めるおとな、寄り添う先生がいなかった、のです。
先生は、一人の生徒に辛抱強く手間をかけて、個性に合わせて指導する暇などありません。
試験でできなかったり、ましてや最初からやる気のない学生は、どうしても手つかずになります。
僕がそうだったからわかるのですが、勉強ができない子ほど、先生を困らせて手を焼かせようと、ますます勉強をしないのです。
勉強のできない子の正体は、頭が悪いとか、能力が足りないとかじゃなくて、何らかの理由で先生がかまってあげるのが不足しているのです。
もう一つは、独特の感性が、普通の教え方を拒否していることです。
「因数分解が・・」、なんて言ってしまうと、もうそっぽを向きます。
難しそうなワードを「理不尽な権威」と感じ、そっぽを向くのです。
レジスタンスを理解してあげる
独特の感性とは、反抗心、権威への反逆と言っていいでしょう。
だから、彼ら彼女らの相手をするには、「こいつは権威側じゃないな」と認められる必要がある、と考えます。
最初は、権威の側にいると思っていた野呂を、「すこし話のわかるやつ」と考え直した様子がうかがえたのです。
O君のどんよりしたそれでいて少し挑戦的な目が、心なしかキラッと光ってフレンドリーになった、錯覚かもしれませんが、そんな気がしたのです。
僕は一般の基準でいうと劣等生だったから強くこれを感じるんですが、劣等生、優等生、出来る子、できない子というレッテル貼りは無意味だと思うのです。
誤解を恐れずに言うと、子供はみんなできる子、なんです。
ただ、孤独にするとすねて、大人の言うことを聞かなくなるのです。
そして、感度が違うから、普通の説明ではわからないことがある、のです。
テストでできない子と決めつけられ、かまわれなくなると、今度は全く勉強しない、というストライキを起こします。
これが、大人が「集中力の欠如」となじるものの正体です。
でも、その子がそのまま大学生や、社会人になってしまうこともあるのです。
”おとなの学び直し塾”みたいなものを、作ったら意外にウケるかも、です。
やろうかな(笑)
とにかくO君が卒業するまで、できるまで何とか僕の方も寄り添いたいと思っています。
ちょっと楽しみでは、あります。
野呂 一郎
清和大学教授