![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/82024959/rectangle_large_type_2_78c49ad4c73dd14f93cd729d9cca70cf.png?width=1200)
日本経済が30年成長しない犯人はデジタルだった。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:デジタルがなぜ、「失われた30年」の犯人なのか。デジタル社会の知られざるコスト。いいことなんてほとんどゼロなんだけれど、それでもデジタルっていうおバカの誤解。
noteを通じて仲良くしていただいている、のののさんから先日またコメントを頂きました。
以下の記事に関してです。
この言葉で僕はインスピレーションを得たので、紹介させてください。
スマホは過保護以上の無体験。
うまく表現できませんが、
フライパンに触ったら火傷したとか、
公園ブランコで勢いよく飛んだらヤバかったとか、
全力で自転車漕いだら制御不能で恐怖したりとか、
夏、川に飛び込んだら心臓が冷やされすぎて
発作寸前になったりとか。
雨が降る直前の風の匂いだとか、
花火の煙の流れだとか、
ああなったら こうなるだろう、という
実体験の点と点がつながって
イノベーションが生まれると思います。
河森正治さんは
レゴで試作し、自衛隊協力で戦闘機に同乗し、
世界を旅行し、マクロスで表現した。
山内一典さんは
グランツーリスモアカデミーで
レーシングドライバーを輩出し、
プレイステーションプラットフォームで
森羅万象を再現しようと進歩し続けている。
イノベーションに紙、ホワイトボードの
手書きはマストでしょうね。
スマホは未来に通用しない古代文明の
知見でしかないと感じます。
「全身体的体験」でないのがデジタルの欠点
のののさんが示したのは、野生の人間が自然に感得する肉体的感覚こそが、創造性につながる事実です。
二人の日本を代表するクリエイターも、自然や人間社会の中で、感性を研ぎ澄ますことで、ガンダムや先進的なカーデザインを創造したと教えています。
彼ら3人は、いわばアナログで創造してきたのです。
クリエイティブは、デジタルではできないし、デジタルはクリエイティブな足を引っ張るのです。
デジタルって、要するに記号のやりとりなんですよ、その過程には人間の情、感覚が一切はいらない。
例えばメール。
![](https://assets.st-note.com/img/1656943190790-h4qzxB5nnb.png)
テキストは字の集合だから、字は生き物のはずだから、感覚が伝わらないわけはないんですが、それがオンラインに乗ってしまう中で、死んじゃうんです。
例えば、メールの代わりに、あなたが直接クライアントに話をする。
要件はメールに書いたことです。
でも結果は全然違いますよ。
なぜならば、対面はテキスト以上の情報を相手に与えるからです。
声の高さ、大きさ、トーン、顔の表情、身振り、手振り、空気、それらフェイストゥフェイスならではの情報が相手に伝わるからです。
これを僕は「全身体的体験」と呼びます。
デジタルのコミニケーションは、パソコン、スマホ等で相手に情報をテキストで伝えることです。
この方法の欠点は、部分的にしか身体を動かさず、「全身的体験」でないことです。
例えばパソコンでスマホで字を書く。
それをパソコンで、タブレットで送る。
それも指だけの動作に過ぎません。
かつてのワープロも、同じです。
文字を連ねて情報を作るのは、手書きと同じですが、「全身体的体験」でないので、脳にフルに刺激が伝わらず、それが創造という価値につながらないのです。
文豪が令和に出ない理由
今、大学図書館で借りた夏目漱石の「心」を読んでいるのですが、こんな記述があります。主人公が手紙を受け取った時の心の動きをこう描写しています。
![](https://assets.st-note.com/img/1656942458960-jeakMUSwo8.png)
「それは普通の手紙に比べるとよほど目方の重いものであった。並の状袋にもいれてなかった。半紙で包んで、封じ目を丁寧に糊で貼り付けてあった。裏を返してみるとそこに先生の名がつつしんだ字で書いてあった。手の離せない私は、すぐ封を切るわけに行かないので、ちょっとそれを懐に差し込んだ。」
注目していただきたいのは、この文章には現代で、私達が知らない生活上の言葉があること、そして体験できない動作がいくつかあることです。
例えば前者では、手紙が重いとあります。
この時代は重い手紙は書留だったのです。
目方という言葉は今は使いませんが、味のある言葉です。
手紙の封じ目を糊付けする、という動作も、いまやなくなりつつあります。
手紙の封を切る動作も、今と昔では意味が違うでしょう。
今は誰も手紙など出さず、あなたがもらう手紙は機械が書いたDMにすぎず、あなたはめんどくさそうにそれをひっちゃぶるだけです。
しかし、昔は、手紙は相手の全身全霊で魂をぶつけるもので、封を開ける時には誰にでも緊張と期待があったはずです。
そう、デジタル社会では、ものが消え、面倒くさいプロセスがなくなり、それに従って動作もなくなりました。
しかし、我々は便利と引き換えに、観察と表現を失ったのです。
夏目漱石のような表現ができる作家は、現代にはいないでしょう。
それは、デジタル社会になればなるほど、日本人の表現が貧しくなったことを意味します。
めんどくさい文物が減ったからです。
いやいや、僕は懐古趣味を押し付けているんじゃないですよ。デジタルの流れは時代の必然だからしょうがないでしょう。
でも、便利さ、簡易化の中で、我々はクリエイティビティを失っているのではないかという問題提起をしたいのです。
河森正治さんは、山内一典さんは意図的に、デジタルを避け、ものや事象との自らの身体的対話を通して、創造作業をしていると感じます。
のののさんも、スマホを無意識に避けているようです。
デジタル時代が、創造性を削ぐことを本能的に恐れているのです。(ほんとか?)
なぜ、アメリカ人がデジタルでなおも創造性を保っているのか
賢明な読者のあなたは、こう反論しますよね。
僕はこう考えるんですよ。
彼らの文化は、僕に言わせると「タイプライター文化」なんですよ。
創造力の糧になる文字入力は、手書きじゃないんです。
タイプライターの歴史は、おそらく人類誕生からそう遅れて始まったわけじゃないはずです。
![](https://assets.st-note.com/img/1656942763949-KPS4PTf2x0.png)
タイプライターから、電動タイプライターになり、そして現在のパソコン入力になった。
しかし、文字入力の動作は全く同じです。
タイプのアルファベットのキーの位置は変わらず、それはそのままアメリカ人の脳なのです。
しかし、日本人の文字入力は、そもそもタイプライターではありません。
我々が今ローマ字入力なんてものをやっていますが、それは古来からの日本人の文化にはありません。
日本人の脳のパターンには合わないのです。
だから、パソコン文化になってアメリカは、創造性の要である文字入力がよりスピーディに快適になった分、生産性と創造性がアップし、日本人はその恩恵に預かってないのです。
いや、それどころか違和感を生み、創造性を殺している。
デジタル社会のコストに注目せよ
以下、ちょっとこのトンデモ仮説をまとめてみたよ。
なぜ、30年間給与が上がらないのかの、原因を究明してみたんだ。
コスト/ベネフィット分析でね。
ポイントは、デジタルになっていいことなんて一つもないってことだ。
それどころか、デジタルで学校/社会のいじめが増えちゃってる。
![](https://assets.st-note.com/img/1656943052954-Oz3lzNVtDS.png)
デジタルでストーカー、炎上、誹謗中傷、犯罪、これが日本経済の生産性を奪っているんだ。コストはもちろんこれだけじゃない。
一方ベネフィットは、ない。
ただ、承認欲求をYouTubeほかのSNSで満たしたくて、視覚に訴える中身のないコンテンツが増えて、みんなの大事な時間を奪ったってだけだよ。
![](https://assets.st-note.com/img/1656936184858-KrsWi8sUx3.png?width=1200)
見て笑ってよ。
じゃあ、今日はこのへんで。
また明日お目にかかりましょう。
野呂 一郎
清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー