清張に学ぶ創作のヒント:文字に行き詰まったら絵を描いてみる。
この記事を読んで高校生のキミが得られるかもしれない利益:キミが今書いている小説に行き詰まったら、登場人物や風景のモデルをスケッチしてみたらいいかもしれない。これは唯一無二の社会推理作家、松本清張の創作の流儀(の応用)でもある。
清張の絵
松本清張が面白いことを言っているんですよ。
「取材旅行にどんなカメラを持っていくんですか」と問われ、こんなことを言った、というんです。
清張がこうして残した絵の数々は、展覧会を開いてもいいくらいのレベルだったとか。
やはり超がつく一流作家は、違う芸術をやらせても非凡なんですね。
しかし、ことの本質はそこではないようです。
創作と記憶の関係
松本清張の「スケッチの方が記憶に残る」ということばの意味は、記憶が創作につながる、という意味ではないでしょうか。
僕は最近まで記憶力ということばが大嫌いで、それは日本の詰め込み教育の対言葉であり、記憶することは唾棄すべき行為だとばかり信じていました。
しかし、記憶をもっと広い視野で捉えると、受験合格に必要な知識を覚えること、だけではないことに気がついたのです。
「好奇心が発動し、肉体を通じて得た感触」も、記憶と言えるでしょう。
スケッチ、つまり大まかな全体を描き留める行為は、対象物との会話にほかなりません。
これはいやでも忘れられないどころか、その行為は肉体化すると言っていいくらい、あなたの内部に染み込むはずです。
そして、そんなスケッチが100枚に達した時、自然にそれらが結合を始め、それが芸術に昇華していくのではないでしょうか。
なぜならば、芸術は「組み合わせ」だからです。
芸術家はひらめきによって、頭の中にしまい込んだ記憶と記憶を合わせ、作品を作るのです。
記憶は潜在意識の中にしまい込まれている、とは言われますが、やはり、顕在意識でしっかり認識してこそ、それらが組み合わさって芸術を生み出すのではないでしょうか。
勝手な想像をすると、清張はカメラで風景や人物を残したものの、そこには本質がなかったのです。
そこでカメラを一旦やめて、風景やモノや人物の素描を始めてみると、それらは写真以上に雄弁だったことに気がついたのではないでしょうか。
それは身体全体を使って対象物をこころに留め置こうとする行為ゆえ、真実が語られるのです。
文字に行き詰まったらスケッチを
書くことに疲れたり、noteが行き詰まったら、スケッチをしたらいいかもしれません。
清張はなぜ取材旅行に、カメラを持っていかなかったのか。
それは読者に、写真では伝えられなかった何かを伝えたかったから、ではないでしょうか。
描くという行為は、五感を使うのでインスピレーションも湧き、それが作品のヒントにもなったのではないでしょうか。
例えば、皆さんが病院をテーマにした小説を書くのに行き詰まっていたら、病院の中庭で、スケッチブックを広げて鉛筆で病院の全景を素描してみたらどうでしょうか。
自然に病院が「こう書け」と語りかけてくるかもしれません。
野呂 一郎
清和大学教授
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