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エジプトの教育危機に何を学ぶか。

この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:エジプトが直面する教育危機から学ぶ教訓。教育イコール受験勉強は正しいのか。

公立学校よりも塾が繁盛するエジプト

チューター(テュータtutor)という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

辞書では家庭教師とか、米英語では準講師、イギリス英語では大学の個人指導員などとあります。

僕がアメリカの大学にいた頃は、チューターとは大学の授業がわからない学生に補習をする大学院生を指しました。

チューターは、正規の先生に代わって生徒に勉強を教える存在と理解すればよいでしょう。

エジプトでは、チューターが教える”塾”が教育の主役になっています。(ニューヨーク・タイムズWeekly2023年8月13日 In Egypt, tutors fill an education void エジプトでチューターが教育の空白を埋める)参照)

公立学校がダメなんですよ、もう。

かつてはエジプトは好調な経済を背景に、ミドルクラス(中流家庭)が強くなり、公立学校も良い教育ができていました。

しかし、近年は経済運営の失敗で、政府は教育や社会福祉にお金を回すゆとりがなくなってしまったのです。

https://qr1.jp/N6Iwta

憲法ではGDPの4%を教育に回す定めですが、現大統領は「どこにそんな金があるんだ?」と他人事です。

35%のインフレでにっちもさっちも行かない、というわけです。

公立学校の教育レベルは落ちてきていて、そこに出てきたのがチューターが主役の塾(tutor center)です。

ここは大学院生だけでなく、公立高校で教えている先生もバイトに来ています。こっちのほうが給料が3倍もらえるからです。

公立高校は国の資金が投入されませんが、塾はエジプトの教育熱心な親たちがお金を出してくれます。

物価高で大変なのに、野菜や果物を買うのを控えてまで教育に投資するのには(政府の教育支出の1.5倍)、理由があります。

国家試験で一生が決まるエジプト

エジプトの大学入試は、日本の共通試験に似ています。

大学別の試験はなく、国家試験一択で、得点によってどの学部に行けるかが決まるんです。

最高得点グループは医学部、その次は工学部、ビジネスや経済は第4,5グループという具合で、日本や諸外国のように、個人の希望は関係ありません。

医者になりたかったら、この国家試験で高得点を収めなくてはならないのです。

いわば学歴いや、国家入学試験絶対主義、です。

この試験の成績で、社会的な身分が決まってしまうからです。

親の世代はこの国家試験絶対主義のなか、最も待遇のよい公務員になろうと頑張ってきました。

エジプトでは、国家公務員に一生きちんと給与がもらえ、年金もつきます。

公立学校では、子供が国家試験でいい成績を取れないと判断するや、塾になけなしのお金を注ぐことを躊躇しないのが、エジプトの親なのです。

加熱する受験産業

いいチューターがいる塾は、大人気で一人で400人を抱える先生もいます。

繁盛する塾。https://qr1.jp/hvDsNV

若者はチューターで成功を夢見るケースが多くなってきました。

それはいまやチューターが社会的尊敬を集める存在だからです。

”スター・チューター”になれば、得られるのはカネだけでないのです。

エジプトの首都カイロでは、数学に特化した”エクセレント・オックスフォード・チュータリング・センター”という名の塾が大はやりです。

オックスフォードの名前を冠しているところに、教育の権威主義が見え隠れしていますね。

受験教育はこのままでいいのか

欧米ではオンラインで様々な資格を取り、それをスコア化して個人の能力の証明にする、新しいムーブメントが起こっています。

「学歴社会は過去のものになる、学習歴の時代だ」などと主張する識者もでてきました。

https://qr1.jp/XLUntI

しかし、日本ではどうでしょう。

東大を頂点とする受験ピラミッドはなくならないし、学歴主義もなくならないのではないでしょうか。

エジプトは日本に似てますが、文字通り大学入試が人生をすべて決めてしまうという点で、極端なまでに先鋭的ですね。

僕はエジプトも、日本も受験勉強が、学校の学びの中心であるという事実だけで、ダメだと思うんですよ。

それはいつも言っているように、
・自分で考えない
・議論しない
・正解は一つじゃないことを教えない
・身体を使った学びがない
・創造性を重視しない

筆者妄言

からです。

試験というのは、すべからく正解にいかに早く効率的に届くかの競争です。

そのためには、頭を使うのではなく、要領を体に染み込ませる訓練だけが必要になります。

頭脳開発の最も重要な6年間に、若者にそんなことばかりやらせている日本、そしてエジプト。

その教育とやらは、かつての日本みたいに「追いつけ追い越せ」で、基本的な読み書きの延長を覚えればよかった時代には通用しました。

しかし、AIと競争するような時代には、もっと根本的に自由で、創造性や多様性を重視した、学ぶ楽しみを教えるような教育にチェンジしないと、国は滅びると思います。

ああ、言ってしまった(笑)

でもねぇ、これ自分のことなんですよ。

もう少し自由で、伸びやかな教育を受けてりゃ、こんな頭が働かない大人にならなかったのに、といまつくづく思うんですよ。

教育のせいにしてやる(笑)

今日も暑かったですね、明日から学校です。
中国の報告をする予定ですが、やはり、教育で大事なのは若者に外国を見せることだ、と痛感しましたね。

それでは皆様、水分補給をお忘れなく。

野呂 一郎
清和大学教授




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