今度は「プードルにブロッコリー」は人類への警告。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:きのうは金魚にブロッコリー、今日はプードルにブロッコリー?いやこれは「共時性」だ。yahoiさんが教えてくれた、現代人に対しての警告だ。つまり人類は「やってみなはれ」の精神を置き去りにしてる、ということなのだ。トップ画はhttps://x.gd/9iNgD
金魚だけじゃなく、プードルにもブロッコリー
昨日、金魚がブロッコリーを食べる記事を載せたところ、
すごい話ですね、yahoiさん!、と僕は思わず叫んでしまいました。
ペットと食事の関連性は、十分に研究されていないと申し上げました。
SNSの情報は感情的で科学的、論理的でないものが非常に多い、とも申し上げました。
しかし、科学的、論理的とは言っても、人間の能力の範囲でそう言っているだけで、それは絶対の真理というわけではありません。
人間の能力に制約があるなか、実験的精神は大変重要ではないでしょうか。
yahoiさんの妹さんが、愛犬のプードルにブロッコリー食べさせたらどんどん元気になった、という件です。
これは、実験ですよね。
実験とは別の言葉でいうとサントリーの創業者、鳥井信治郎氏の口癖だったという「やってみなはれ」の精神、ですよね。
「やってみなはれ」の重要性
現代に失われているのが、「やってみなはれ」の精神ではないでしょうか。
データドリブン(データ絶対主義)とかが、蔓延し、データに基づかない考えや発想、商品開発は発進させることができない世の中になっています。
しかし、データとは過去の出来事や人々の行動を数字で示したものであり、あくまで過去の傾向であり、データドリブンとはそれが未来にも続くだろうという仮定でしかありません。
データドリブンよりも、「本質論」のほうが、現代においては実践的だと考えます。
これだけ変化が激しい時代に、過去のデータは意味をなさないからです。
しかし、人間の本質は、変化とは関係なく、変わらないものです。
SNSに真理が見つけにくいわけ
SNSはいま、「X対Y」などと形容されていますね。
Xは旧ツイッターで、YはYouTubeというわけです。
両者の中にどーんと居座る人間の本質を考えると、「利益追求を目的とした自己主張」ということではないでしょうか。
もちろん、利益追求も自己主張も悪いことではありません、ただ人間の本質の一部に過ぎません。
そこには真理(正義、公平、平等)が見つけにくいと申し上げるのは、この2つのシステムは、人間の利益を求めての自己主張欲を煽っているからです。
ツイッター、いやXは字数制限があるから、論理がつくせず、どうしてもアオリとか感情になるのです。
YouTubeは再生数に応じてお金が入りますから、再生数を稼ぐために、ひとは余計な演出という「あざとさ」に走ります。
そこに正しいものがあるかを判断するジャッジも、いません。
幻冬舎のボス、見城徹さんが「本には編集者という公正、公平なジャッジがいる」と主張するのは、「真理の発見という点では書籍はインターネットに比べて分がある」、とも読めます。
プードルにブロッコリーは人類への警告
しかし、SNSも書籍も過去のデータに過ぎません。
書籍がネットより、真理が見つけやすいとの主張は、書籍は真理を測るレフリーである編集者がいるということに過ぎません。
真理は、SNSにも書籍にも、実はないのです。
それは、あなたの中にあるのです。
あなたが、「やってみる」ことで、真理が見つかるのです。
だって、本だってSNSだって、利益を追求する流れの中に結局はいるわけでしょう。
利益を追求する流れ、というのは、ビジネスというカタチということです。
真理って、でも、カタチのなかにいないんじゃないでしょうか。
それはあなたのお家のリビングの水槽でみやびな踊りを見せてくれる金魚にブロッコリーを食べさせたり、それを見たプードルがその青い野菜を欲しがったら、試しにあげてみる、といった、カタチにこだわらない、あなたの何気ない行動から見つかるんじゃないでしょうか。
あなたが、常識にとらわれず「やってみなはれ」の精神で、「試しにやってみる」ことで、人類が今まで気づかなかった真理が発掘されるのです。
「プードルにブロッコリー」は、ネットや既存の情報に頼り過ぎな人類に対しての大いなる警告なのです。
野呂 一郎
清和大学教授