なぜ、ゴジラが世界を救うのか?
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:ジョーズ・シリーズ(笑)第三作。ジョーズでは「社会不安にかこつけてのヒット」と断じたが、芸術作品とりわけ映画は、世相とコンテンツが一致しなければヒットは生まれないだろう。で、1954年まで遡って、「我々にはゴジラがいた」ことに気がついたので、勝手に考察をする。
社会不安をゴジラが壊した?
1954年、東宝がゴジラ第1作“水爆大怪獣映画”『ゴジラ』を世に放ちました。
この頃は、まだ終戦の傷が癒えておらず、社会は大きな不安を抱えていました。
本多監督の狙いは的中しました。
ゴジラがこれからの日本人の希望の象徴とも言うべき、東京タワーを破壊し、首都を壊滅に追い込んだことで、人々の不安も粉々に砕け散ったからです。
1975年ジョーズのメガヒットも、そのころのアメリカの社会不安を反映していました。
人々はウォーターゲート事件で政治の最高権威が信じられなくなり、経済も日本がジャパン・アズ・ナンバーワンなどと言われて追い上げられ、唯一の経済大国が揺らぎ始めたのです。
そんな不安を海の怪獣が、丸呑みにし、骨まで噛み砕いてしまったのです。
この2つは、怪物を大暴れさせることで、カタルシス(catharsis浄化作用)を行ったのです。
ゴジラに潜む暗喩
ゴジラはもともと恐竜の子供でしたが、人類が水爆実験をのべつくまなくやるので、その負のエネルギーによって巨大化し、人類を襲う怪獣になってしまいました。
ゴジラはそもそもが、核兵器へのアンチテーゼとして生まれたのでした。
平和の象徴と、ゴジラが一部で持ち上げられるのも、意味があるのです。
大都会を破壊しておいて何が平和だ、と皆さんはおっしゃられますが、アンチテーゼ、というやつで、暴力=平和と読み解きましょう。
ジョーズは、社会不安に乗じてヒットしたことは同じですが、人間を食いちぎるなどの描写がエグいです。
そこへ行くと、ゴジラの暴れっぷりは、人々が逃げ回るシーンが主であり、残酷シーンは皆無、むしろゴジラの暴れっぷりに爽快感さえ覚えます。
ここのあたりが、僕の偏見に過ぎないかもしれませんが、日本人の平和を求める精神が感じられます。
神道とゴジラ
いま、英語で新日本人論と題して、論考をまとめているんですが、サブタイトルを「日本が世界を救う」、としてるんですよね。
もちろん仮説なのですが、その根拠は「日本がゴジラのごとく、世界の不安を粉砕してくれる」能力があると考えるからです。
世界の現状は目を覆いたくなる戦争、米中緊張激化、中台戦争のリアル、コロナのリベンジ不安、地球温暖化、人口減少、貧富の差拡大、超大国アメリカの分裂などきりがありません。
答えは何でしょうか。
僕は精神の豊かさ、だと思うのです。
精神の豊かさ=自然との調和を求める精神、です。
ゴジラは環境問題のアンチテーゼであり、回り回って「シンボル」なのです。
核問題こそ、文字通り環境問題の核なのです。
世界がいがみ合って、利害が対立して、核という最終兵器を備える競争をしています。
そこには互いを信じ、協力して、助け合うなどという精神は欠片もありません。
環境が悪化するのも、核を持つための軍事費を調達するために、各国が環境よりも経済を優先しているからです。
核問題から生まれたゴジラが、環境問題の象徴であるゆえんです。
神道=ゴジラ論
世界は日本に目を向けるべきです。
それは日本が自然を尊び、崇め、一体となる教え=神道を奉じているからです。
一木一草に命があると考える神道こそ、環境問題の根本哲学と言っていいのではないでしょうか。
神道を宗教として考えよ、というのではなく、自然への敬意、渇仰という精神のよすがとして、共有したらどうだろうか、というのが僕の考えです。
ゴジラの破壊行動こそ、環境破壊の恐ろしさを我々に思い起こさせる、平和へのメッセージなのです。
いつも拝読している素晴らしいnoteを紹介させてください。
新日本精神道 ~日本的宇宙の成幸法則 ~さまのnoteです。
僕のにわか解説の神道が、よくおわかりいただけると思います。
新日本精神道 さま、勝手に紹介してすみません。
野呂 一郎
清和大学教授