下鴨納涼古本市
今年も参加した。
アート・ブレイキーのドラムの如く窓を打ちつける大雨をもたらした台風も去り開催された古本市の最終日。
初日と合わせて五日ぶり、今年二度目の下鴨神社を訪れた。
たった五日前の景色とそこは別の国だった。
台風の通過は景色を一変させる。台風なるものの秘めるエネルギーに驚く。
到着早々、その熱気にやられた。
手を振るだけで水滴が掴めそうなほど湿度が高い。
密集する糺の森の木々が、湿気を捕まえて離さないのである。
気温が湿気によって二倍も三倍もでかい顔をする。それに呼応して肌の匂いがたつ。湿った古本の卑しい匂いと混ざったそれは、今でも鼻の奥で再現できるほど。
颯爽として踏み入れた途端その木々の涼しさに驚くいつもの下鴨神社とはわけが違った。
視覚にとっても、そこは異世界だった。
台風が折った木々の枝が——まだ青々と元気な葉のついた枝が、大量に落ちているので、いつもの砂の道が、草原のように青いのだ。
草の絨毯ならぬ、枝と葉の絨毯は、歩く足ごとにポキポキと、たった今絶命したみたいな音を立てて折れてゆく。
本は濡れてひっついていたり、湿って重くなっていたり。
まだ残っている水たまりに泥が攪拌され華咲く。
初日の爽やかな古本市はどこへやら。
最終日、今日のうちに商品を売り切りたい店主の「全品、半額、半額」の掛け声などもまた、災害後の闇市のようなやるせなさと期待感を抱かせるのである。
とはいえ、品揃えが大きく変わったわけではなく、値段が大幅に変更されるわけでもない。
やることは初日と同じで、一冊一冊丁寧に見てゆき、欲しかった本を見つけると値段をみる、心と財布の天秤によって買うか買わないかを決めてゆく。
初日はリュックサックを背負って参加。
結果、肩が外れるそうなほど買ってしまい、自責の念に苛まれた。
こんなに買ってどうする。
帰って本棚に積む。
真新しい本が部屋にいるのを発見するのは嬉しいことではあるが、こんなに増やしてどうする。
だから最終日のこの日は、手提げ鞄だけを持って、五、六冊、「これは!」という絶対欲しい品だけ見つけて帰ろうと思った。
結果、指がちぎれるほど買ってしまい、自責の念に苛まれた。
初日よりも多くの本を持ち帰ることになったのだ。
それはそうと、部屋に新しい顔が増え、どこか明るくなった気がする。
新入部員が来たときみたいに、何故かこっちまで初々しい気分になるのだ。
『長谷川如是閑評論集』飯田泰三 山領健二編 岩波文庫
『非Aの傀儡』ヴァン・ヴォークト 中村保男訳 創元推理文庫
『能のドラマツルギー 友枝喜久夫仕舞百番日記』渡辺保 角川文庫
『マルジナリア』澁澤龍彦 福武文庫
『とほほのほ』中島らも 双葉文庫
『ウジェニー・グランデ』バルザック作 水野亮訳 岩波文庫
『ボヴァリー夫人』(上/下)フローベール作 伊吹武彦訳 岩波文庫
『講演集 ゲーテを語る』トーマス・マン著 山﨑章甫訳 岩波文庫
などなど適当にあげてこんな感じ。
今年の新入部員は粒揃いだと監督もほくほく顔である。
中でも、「あいつが!」というほど有名なのもあって、
『フィネガンズ・ウェイク Ⅰ・Ⅱ』ジェイムズ・ジョイス 柳瀬尚紀訳 河出書房新社
『完結編 家畜人ヤプー』沼正三 ミリオン出版
『フィネガンズ・ウェイク』は、これとあと「Ⅲ・Ⅳ」版を見つければ揃う。
が、とにかくこの2冊。
——この2冊はでかい。
何がでかいというと、まず本がでかいのである。
2冊同時に持つだけで、ちょっとしたダンベルになる。
よくぞ見つけた。
『フィネガンズ』の方は初日に、『ヤプー』は最終日に見つけた。
噂には聞いていたが実際初めて目にしたぞ『家畜人ヤプー』
これが我が部屋に居座る日が来るとは。
この手で開ける日が来るとは。
それだけ自慢したくて今この文章を書いているのである。
私の部屋には世界文学全集を並べた大河があるが、二冊はこの大河の上に浮かんでる。
ドイツ語版モモや中上健次らと並航している。