君を嫌いな奴はクズだよ 木下龍也
小説はもちろんのこと、なんにつけ文章の最初の一行ってとても大事だよな、と考える。
一行目だけを集めた本だってあるくらいだから、それはもう。
短歌は一行詩だからすべて最初の一行である。
その一行に賭ける心意気みたいなものに僕は、惹かれるのかもしれない。
いや、それとも僕は言葉を欲しているのかもしれない。
朝起きて、着替えて仕事に出かけ、日中でも言葉は飛び交っている。自分の頭のまわりをぶんぶんと。
毒があったりなかったり。意味があったりなかったり。重要だったりよくわからなかったり。
暮らしの中で耳に届くそれら「言葉」はしかし、今の自分には遠い存在に感じる。
家に帰ってきて本を開けば、そこにこそリアルな言葉があるのだ。
普通に考えればそれは逆だろう。
本の中のほうが絵空事であることが多いと考えるのが普通かもしれない。
しかし僕はやはり夜部屋に帰ってきてひらく本の中にこそ、リアリティがあると感じる。
とりわけ短歌における外連味あふれる世界こそ、生身の身体に突き刺さる。
そこにはほんとうの言葉があると感じられるのだ。
実際に手に触れられる言葉が、そこにはあるのだった。
木下龍也の声は、ほんとうに心に届く。彼の短歌は、ということだけど。
とてつもない書き直し、推敲、深掘りをきっと繰り返しているんだろう。
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