7つのトーンで枕草子_文章のトーンを変える(7)ハルキムラカミ風に
「文章のトーンを変える」7回目は、
これまで通り「枕草子」現代語訳
(一般的な現代語訳を私的にアレンジ)を
原文に、
村上春樹さんを意識したテイストで書いた。
私はある不動産広告で
およその内容が書かれた文章を渡されて
「小説風に書いてほしい」
と依頼されたことがある。
しかし結局、オーダーの意図は、
ただ硬い文体を陰影のある高尚なトーンに
してほしかった、ということだった。
コピーライターへのオーダーには、
ときにそんな意味不明な内容もある。
既に(1)やさしく(2)硬質に(3)ドキュメンタリーの冒頭らしく(4)口語体で
(5)社史のトーンで(6) スノビッシュに と6パターンのトーンで
書いてきたが、
4回目から行っている通り、
今回も(1)~(6)を並記し、新たに7番目に「ハルキムラカミ風に」
書いた文章を記してみた。
[注]あくまで私的に考えた“ハルキムラカミ”風で書いた文で、私は村上春樹ではありません。
いずれにしても「枕草子」から発した7文、よろしければ比べながらお読みください。
【春】
(1)やさしく
春は、夜明けがいい。
窓の外がゆっくりと明るくなって、
遠くに見える山が空と溶けあうあたりが、
ほんのりとあたたかくて、
淡い紫色に染まった雲が、
細くたなびくような景色もたまらない。
(2)硬質に
春は、夜明けを推す。
外が徐々に白み、稜線で切り取られた空が少し明るさを帯びて、
淡い紫色に染まる雲が、
細くたなびく如き景色が好みだ。
(3)ドキュメンタリーの冒頭らしく
春は、夜明けにまず指を折るだろう。
世界が、だんだんと白んできて、稜線のラインを引かれた空が、
明るさの容量を増して、
淡い紫色に染められた雲が、
細くたなびくように形を変えて流れる。
(4)口語体で
春は、夜明けですね。
窓を開けると外の景色がだんだんと明るくなって、
山のシルエットに光が差して、
薄い紫色に染まった細い雲が、
たなびくように流れてる感じが好きです。
(5)社史のトーンで
春は、夜明けであった。
外が徐々に白み、稜線で切り取られた空が僅かに明るくなって、
淡い紫色に染まった雲が、
細くたなびく如き景色を第一とした。
(6)スノビッシュに
春は、夜明けにこそある。
外の世界がスローに明るさを増して、山のラインに
切り取られたかのような空が、表の顔を現し、
スペクトルに含まれる紫色に染められた雲は、
空の景色の主役の如く繊細に着飾る。
(7)ハルキムラカミ風に
春は、夜が明ける頃だ。
窓の向こうに少しずつ明るさが戻って、
稜線が空だと教えてくれるあたりに、
淡い紫色が当然であるかのような雲が、
小さく腰をふるように流れる、
そんな景色を愛していた。
【夏】
(1)やさしく
夏は、夜がすき。
月がきれいな日はもちろん、新月もいい。
たくさんの蛍がふんわりと飛ぶ姿も、
ほんの一匹二匹が、ちいさく光りながらただようのもいい。
雨が静かに降るなかで感じる闇も、すき。
(2)硬質に
夏は、夜だ。
月が美しい日は無論だが、新月も格別である。多くの蛍が飛び交かう様も、
僅か一匹二匹が、幽かに光りながら飛ぶ風情にも心動く。
雨が静かに降る闇の中も好きだ。
(3)ドキュメンタリーの冒頭らしく
夏は、夜の魅力が満開だ。
月が美しく輝く日はもちろん、新月も負けてはいない。
たくさんの蛍が交差するシーンも、
わずか一匹二匹が、精一杯の光を放って夜に浮かぶ。
音を消し去った雨が、闇に溶け込むのを静かに聞いていたい。
(4)口語体で
夏は、夜かな。
月がきれいな日はもちろんだけど、新月もいいなと気づいたんです。
たくさんの蛍が飛んでいるのもいいし、
一匹か二匹が、少し光りながらふわふわするのもいい。
雨がしとしと降る暗闇も意外に心落ち着きます。
(5)社史のトーンで
夏は、夜となった。
月が美しい日はもちろんだったが、新月も好まれた。
蛍が群舞する情景も、
単に一匹二匹が、弱く光りを放ちながら漂うのも良しとされた。
静かに雨が降りしきる闇に佇むのも格別に感じていた。
(6)スノビッシュに
夏は、夜がなおさら。
月の美しさに耽る日はもちろん、太陽を背に陰になる月の夜でさえ。
夜空には蛍と言わんばかりに飛び交う様も、
ほのかな光りこそ蛍と、ほんの一、二匹が舞ういずれの情景も。
密やかな雨に彩られた闇にも惹かれていく。
(7)ハルキムラカミ風に
夏は、自動的に夜だ。
月がきれいなら誰にとっても都合がいいし、新月もたぶんいい。
死ぬほど多くの蛍が飛んでいる場面も、
たとえそれが一匹二匹の、小さなフィラメントのような光でもよかった。
雨粒を黒く塗りつぶすような闇のなかでさえも。
【秋】
(1)やさしく
秋は夕暮れにうっとり。
夕陽の赤が空を染めて、いまにも山にかくれそうなとき、
なじんだ巣へ帰る烏が、三羽四羽、二羽三羽と急ぐうごきにさえ、
しみじみとした趣があって。
もしも連なってはばたく雁が、
遠くに小さく見える景色に出合うときには、おもわず見とれてしまう。
日がすっかり落ちて、風の音、虫の音などがひびく時間は、
もう言葉になんてできない。
(2)硬質に
秋は、夕暮れが一番。
夕陽が赤々と射し、山の輪郭にいまにも沈むかという瞬間、
古巣へ帰る烏が、三羽四羽、二羽三羽と急ぐ風景さえ、
深い感慨に満ちた趣がある。
まして、連続して飛ぶ雁が、遠くに小さく見える景色に胸躍る。
日が完全に落ち、風の音、虫の音などが響く時間は、言葉で表現不可能なほどだ。
(3)ドキュメンタリーの冒頭らしく
秋は夕暮れにこそある。
赤々とした夕陽が、山と夕空の境を染め上げて、
古巣へ向かう烏が、三羽四羽、二羽三羽と急ぎながら羽ばたく情景は、
心に沁み入る。
まして、列を成してはばたく雁が、遠くに模様のように
刻まれる景色には、思わず瞳を動かすのを忘れる。
日が落ちて陰影を濃くし、風の音、虫の音などが空気を震わせる頃など、
言葉を忘れさせてしまう力を感じる。
(4)口語体で
秋は、夕暮れがいいな。
夕陽が真っ赤になって、山のシルエットに消えていくころに、
お家に帰っていく烏が、二羽とか三、四羽、急ぐように飛んでいくのが
いじらしいなと思う。
連なってはばたいていく雁が、遠くに小さくなっていく景色には
胸がキュンとします。
日が落ちて暗くなって、虫の鳴き声や風のそよぐ音が
響いてくる時間があって、言葉にできないほど心が動くんです。
(5)社史のトーンで
秋は、夕暮れとなった。
夕陽が赤々と射し、山の輪郭に今にも沈もうとするそのとき、
古巣へ向かう烏が、数羽ずつ分かれて急ぎ飛ぶ風景さえ、
胸に深く沁みる趣を感じずにいられなかった。
連なってはばたく雁が、彼方に点のように見えるのも楽しかったが、
太陽が完全に落ち、風の音や虫の音などが響く時間は、
筆舌に尽くし難く思われた。
(6)スノビッシュに
秋は、夕暮れにあると信じる。
空は茜色と言うべき色合いに変わり、太陽が山のシルエットとける、
そんなとき
やすらぎの巣へ急ぐ烏が、数羽ずつ並んで羽をはばたかせる風景でさえ、
いくつかのドラマの筋書きが浮かぶかのようだ。
あるいは、目を細める遥か遠くに、
はばたく羽を並べた雁が、小さな点を描く情景にも胸ときめく。
日は落ちて闇のなか、風と虫の音が響き合うころは、
最早、考えることすらやめる。
(7)ハルキムラカミ風に
秋は、夕方の終わり。
朱赤の夕陽が稜線にもぐり込んで、
羽根を休める場所へ、烏が三羽あるいは四羽、
二羽または三羽と急いで飛ぶシルエットには
深い恍惚感がある。
そこに、並んではばたく雁の小さな姿を見つけたりするのが嬉しい。
日がすっかり落ちて、風や虫が運ぶ音が反響した気がしたが、
それを伝える言葉をすっかり忘れていた。
【冬】
(1)やさしく
冬の朝は早いほどいい。
雪が降る日はもちろん、霜がいちめんに白く降りても、そうでなくても、
こごえるように寒い夜明け、大急ぎで起こした炭火を
運んで回るうごきは、とっても冬の朝らしい。
昼になっていつの間にか寒さがゆるんで、
火鉢の炭火が白く灰につつまれてしまってはつまらない。
(2)硬質に
冬は、早朝である。
雪が降る朝は言うまでもないが、霜が一面に白く降りている朝も、
そうでなくても、
凍えるように寒い夜明け、大急ぎで起こした炭火を
運んで回る動きは、いかにも冬の朝だ。
昼が来ていつの間にか寒さが緩み、
火鉢の炭火が白く灰をかぶるに至っては興ざめである。
(3)ドキュメンタリーの冒頭らしく
冬は、明けて間もない朝。
雪降る朝、そして一面に白いベールがかかる霜の朝も、
身震いするような夜明けに、大急ぎで起こした炭火を
運んで回る動きにも、冬がある。
昼を迎えて、いつの間にか寒さがどこかに消えてしまう頃、
火鉢の炭火は白く灰をかぶるようになって、心動くことはなくなる。
(4)口語体で
冬は、朝早い時間ですね。
雪の朝は最高なんだけど、霜が一面に降りた真っ白な朝も、
もちろんそうでなくても好き。
凍えちゃうような夜明けの寒さに、炭火を大急ぎで起こして
運んで回るのを見ると、ああ冬の朝だなと思います。
やっと昼になって、寒さが緩んだことに気づくころは、
火鉢の炭火が白く灰をかぶってしまって、つまらなくなるんです。
(5)社史のトーンで
冬の、早朝だった。
雪が降る朝はもちろん、地面一面に霜が白く降りた朝も、
そうでない朝も、
身も凍るような寒い夜明けに、大至急起こした炭火を
運んで回る姿は、それこそが冬の朝であったと言えよう。
昼になっていつの間にか寒さが緩むと、
火鉢の炭火が白い灰をかぶるため興ざめであった。
(6)スノビッシュに
冬は、寒さ増す朝。
降る雪に銀世界となる朝も、一面を霜に覆われた朝も、
それが白い朝でないとしても、
体温すら奪われる夜明けだからこそ、暗いなかで起こした赤い炭火を
運んで回る動きに、それこそが冬の朝と頷く。
昼が来ていつの間にか寒さが緩み、
火鉢の炭火が白く灰をかぶるに至っては最早心は動かぬ。
(7)ハルキムラカミ風に
冬は、朝の始まり。
雪が降ったか、あるいは霜が一面に白く降りた
白黒映画のような朝も、もしもそうでなかったとしても、
耳が千切れそうな寒さで夜が終わり、特急で起こした炭火を
運ぶ影が、いかにも冬の朝という気にさせた。
ふと気が付くと寒さを忘れていて、
火鉢にあった炭火が白い灰をかぶり始めていたのはうんざりだった。
※元にしたのは下記の「枕草子」私的現代語訳です。
↓
春は、夜明け。
あたりがだんだんと白んで、稜線で切り取られた空がほんのり
と明るくなって、
淡い紫色に染まった雲が、細くたなびくような景色がいい。
夏は、夜。
月がきれいな日はもちろん、新月もいい。
たくさんの蛍が飛び交かう情景も、
ほんの一匹二匹が、ほのかに光りながらただようのもいい。
雨が静かに降る闇にいるのも好きだ。
秋は、夕暮れ。
夕陽が赤々と射して、山の輪郭にいまにも沈もうというとき、
古巣へ帰る烏が、三羽四羽、二羽三羽と急ぐ風景さえ、
しみじみとした趣がある。
まして、連なってはばたく雁が、遠くに小さく見える景色はたのしい。
日がすっかり落ちて、風の音、虫の音などが響く時間は、
言葉に尽くせないほどだ。
冬は、早朝。
雪が降る朝はもちろん、霜が一面に白く降りている朝も、そうでなくても、
凍えるように寒い夜明け、大急ぎで起こした炭火を
運んで回る動きは、いかにも冬の朝らしい。
昼になっていつの間にか寒さが緩んで、
火鉢の炭火が白く灰をかぶってしまっては興ざめだ。
(1)~(6)それぞれのトーンの説明は、マガジン「コピーライティングにおける「書く」ということ。」のバックナンバーを参照ください。
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文章の「トーン」については、こちらのnoteでも書いています。
リライト論[第二章]リライトの定義(1)トーンを変える
https://note.mu/noriyukikawanaka/n/nea9bef184705
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