私が流した涙は、この地球を覆う巨大な悲劇を思い浮かべたからに他ならない。たとえマリアとトニーの哀しみに胸打ち震えたとしても。「WEST SIDE STORY」directed by Steven Spielberg
■ラブストーリーに重なる地球
対立する若者グループ、
ジェッツとシャークスを
民主主義と専制主義に例えようとしても、
主人公のマリアとトニーに
ハト派とタカ派のイメージを重ねようとしても、
その二人の恋愛と二つのグループの闘争を、
何を信じるかっていう宗教対立に書き換えようとしても、
あんなにチャーミングな二人に、
バルコニーの上と下で
輝くような笑顔で
Tonight, tonight There's only you tonight♪
なんて、
「Tonight」を歌われたら、
もちろんこれはラブストーリーなんだって、
引き返したくなる。
だけど、
銃声のあとの火薬の臭いだって消えない
ラストシーンを観ながら
頬をつたった涙は、
いまこの地球社会を覆い尽くす
とてつもなく巨大な悲劇に対してだったんだ。
ウエストサイドのスラム街が、
リンカーンセンター建設のために
取り壊されようとしても、
「ここにしか住めない」という
若者たちの悲痛な叫びは、
まるで資本主義のために環境が壊され続けても、
いとも簡単に市民の命が奪われても、
地球にしか住めない、
私たちみたいじゃないか。
ジェッツとシャークスの決闘の
準備シーンに重なるのは
なぜか「Tonight」の旋律。
それは、
出逢うための今夜が、
傷つけ合う今夜に
変わる予兆だ。
決闘はしないと約束して!
と言うマリアからトニーへの懇願が、
環境は守ってと約束して!
戦争はやめると約束して!
と叫ぶ地球から地球人への希求のように、
思えてしまうのを
止めることが、できない。
■地球はこの悲劇のキャストだ
歌声でメッセージを伝える
ミュージカルは、
自ずと異界の色彩が濃くなる。
論理を超越した狂おしいダンスが、
その色をさらに濃く塗り替える。
だからそのテーマは、
虚構と現実の境界を越えて
ときに胸深く届くのだ。
ダンスパーティで芽生えた純愛が
雪崩のように形を失っていく展開のなかで、
物語はもうロミオとジュリエットを超えて、
ギリシャ悲劇のように抽象化された
胸引きちぎられるエピソードを連ねて
涙と痛恨と喪失感を累々と重ねる。
命を奪うことさえ止められずに、
命はいとも軽くこの世から消える。
そんな重厚な悲劇に彩られようとも
これほどの命のあっけなさが、
ルールを破る罪悪感のなさが、
私に、
ニューヨークのウエストサイド・マンハッタンの
若者たちのもがきを
地球の、
地球人のもがき苦しみへと
投影させていくのだ。
メタファーなんて好きじゃない。
だけど、
膝まずいて絶望するマリアの横顔は、