愛のない結婚は最早、フェイクとは言えない。
■熟年夫婦は既にフェイク?
厚生労働省発表の
「令和4年度 離婚に関する統計の概況」によれば、
2003(平成15)年以降は
離婚件数の減少傾向が続いているが、
同居期間が「20 年以上」の夫婦の離婚、
つまり“熟年離婚”の割合は、
1950(昭和 25 )年 以降ずっと上昇傾向にあって、
2020(令和2)年には 21.5%と最高に達した。
身近な会話のなかでも、残念ながら冷え切った
夫婦関係を語るケースが圧倒的に多い。
熟年夫婦は、既に法的に夫婦なだけで、
身も心も通わぬ形骸化した、
ある意味フェイクな関係に
なってしまっている割合が、
かなり高いとみる。
■偽装結婚を描くドラマ路線
最近のドラマで、恋愛感情とは関係なく
何らかの理由で「結婚」という形式を
偽装する筋書きが目立つ気がする。
1クールに4本~5本のドラマを観る私は、
言い換えれば数多くのドラマを
観ずに終わらせているので、そうした
ドラマの傾向はより強いのかもしれない。
*
「偽装(フェイク)結婚」と言えば、
恋ダンスが一世を風靡した
「逃げるは恥だが役に立つ」だろう。
世間を欺くのを目的に、
付き合ってもいない相手との
結婚を偽装するという
現在のドラマの一つの潮流は、あるいはこの
「逃げるは恥だが役に立つ」の影響が、
一定以上あるかもしれない。
ただ、一方でセクシュアリティについての論議が
高まりをみせ、他人に対し性的欲求や
恋愛感情を抱かないアセクシュアルの認知も
進んできた昨今の“性事情”を、
ドラマ制作者が意識した結果である
とも言えるはずだ。
■「アセクシュアル」同士の同居
「恋せぬ二人」は、
アセクシュアル同士が惹かれ合うドラマだ。
「あなたは恋愛感情を抜きにして
家族になるっていうことは、
どういうことだと思いますか?」
と羽(高橋一生)が、
自分を恋敵と思っている一(濱 正悟)に訊ねる。
*
そんな羽はラスト近くで
「恋愛感情を抜いた家族というものに
なれるんじゃないかなと今は思ってます」
という結論に達する。
「恋愛感情のない男女が、
家族になる理由ある?」
と母・さくら(西田尚美)は、
娘の咲子(岸井ゆきの)に訊ねるが、
その咲子は最終回で、
愛情のないまま同居し
愛情が芽生え始めている羽に向かって
こう促してもいる。
「何も決めつけないでよくないですか?
全部(仮)で私たちも家族も全部。言葉にすると
それに縛られちゃうんです。
周りに決められたふつうに縛られたくない
私たちでさえも。大事なものも、
考え方だってどんどん変わって
いくんだから、そのときのベストを
考えればいいし」。
そんな会話を経て二人は、互いを大切に
思いながらも別居生活を始める。
「恋愛感情」を今より広義に考えれば、
この咲子と羽の関係は立派に
恋愛関係ではないかと思う。
しかし、そんな二人も最初は、
愛情なしの同居(同棲)を
どう捉えるかで悩む、言わば
「世間」を気に掛けるのだ。
■最近の“偽装結婚”ドラマ
「婚姻届に判を捺しただけですが」は、
大金が必要になった明葉(清野菜名)が、
既婚者の肩書きが欲しい百瀬(坂口健太郎)の
提案に乗って500万円を借り、
偽装結婚での同居を始める。
とは言え、
いまのところ「結婚」は、
互いの「家」とも関係を持たねばならぬなかで、
愛情のない二人の関係を誤魔化すための
“偽装”が巻き起こすエピソードが楽しいのだが、
やがて単なる契約関係であったはずの二人が、
徐々に惹かれ合うプロセスを経て、
世間的な意味での結婚へと改めて向かう。
このドラマは、偽装がきっかけで
恋愛感情が芽生えるという逆説的展開を
みせながら、愛情のない結婚の
不完全さを暗に表現している気がする。
「プリズム」の主人公は、
園芸をきっかけに出会う皐月(杉咲花)と陸(藤原季節)。
陸の手掛けるプロジェクトのために
皐月は、
偽装の結婚をして陸の父(矢島健一)に
融資をさせる提案をする。
この偽装結婚は、
陸から改めてのプロポーズがあって、
“本当の結婚”を提案する展開になるのだが、
この二人が結ばれるのを阻むのが、
かつて陸と(皐月ではなく)惹かれ合った
ガーデナーの悠磨(森山未來)。
このドラマ、
皐月の父・耕太郎(吉田栄作)も
信爾(岡田義徳)というパートナーと
同棲させつつ、
まさにセクシュアリティの問題を
多面体の「プリズム」のように、
散りばめた物語で、
三者三「面」とも言える
方向性を描いたラストは、
男女の枠を超えて
人間の生き方に昇華していた。
■「結婚」の概念が変わる
ビザ目的で日本人男性と偽装結婚するような
犯罪行為は問題外だが、
セクシュアリティの問題が広く発信される
ようになったいま、
これからは男女に限定した結婚ドラマだけでなく
さまざまなセクシュアリティが交錯することで
生まれる、いわゆる既存の「婚姻制度」に
当てはまらない人間同士が結ばれる筋書きが
生まれてくるだろう。
あるいは、現実がむしろ先行しているのかもしれない。
既に「友だち婚」というスタイルが生まれている。
それは恋愛感情とは違う、
愛し合った者同士の結婚ではないから、
その意味ではフェイクなのだが、
男と女、愛する愛せない、の境界が
より一層、曖昧化していくこれから
愛し合っていない男女(いや人間同士)の
「結婚」は最早、フェイクとは言えない。
前述の通り、
「恋愛感情」を今より広く考えれば、
それも「恋愛」と言ってよいからだ。
そんな時代がやって来る、いや来ている。
もちろんそれは“仮面夫婦”なんかではない。
むしろ、“仮面”を脱いだ自然な関係なのだ。
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