「辛い」という言葉に一本加えると、幸せになる。
1972年に起きた旧国鉄の
北陸トンネル列車火災事故に遭い、
学生だった自らも長期入院した
中島伸子・井村屋グループ社長が、
事故の直前まで話していた目の前の母子の命を
救えなかったと悔いたとき、
お父さまが言ってくれた言葉だ
(先日の『日本経済新聞』朝刊)。
さらに、
「その一本、人とは違うプラス1を
どう身につけるかを考えろ」
と続いた。
井村屋初の女性社長の座に上りつめた彼女も、
かつて、
やはり女性初の呼び声と共に
東京・新宿の関東支店長になったとき、
部下が全くついてきてくれず、
支店長として認められない
苦境に直面した。
そこで指導スタイルを一から見直して乗り越えた際も
この「一本」を見つけようとする姿勢があったか。
人とは違うプラス1は、
これまでの延長線上にはない、
と思いたい。