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仮 後南朝の自天王さん 上北山村編

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自天王さんとの出会い 今から、何十年前のことだろうか? 当時小学生だった私は、吉野郡上北山村小像(ことち)にある北山宮へ親戚のともだちと遊びにいくところだった。 お盆所はよ…
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01 後南朝 自天王さんとの出会い

01 後南朝 自天王さんとの出会い

自天王さんとの出会い

当時小学生だった私は、吉野郡上北山村小像(ことち)にある北山宮へ親戚のともだちと遊びにいくところでした。

その場所の近くには天狗の家もあるそうで、興味津々の私は、その地区の広場で遊んでいました。

まあ、北山宮が、どんな神社であるかは知らないし、

どんな神様がいるかも興味がありませんでした。

しかし、お盆があるたびに、なんとなくきてしまうお宮さんなんです。

いつもく

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03 嘉吉の変から、二皇子の行宮移動

03 嘉吉の変から、二皇子の行宮移動

1、嘉吉の変から吉野南山に移動

嘉吉の変とは、室町時代の嘉吉 元年( 1441年 )に 播磨 ・ 備前 ・ 美作の守護 赤松満祐 が、室町幕府6代将軍足利義教を暗殺し、領国の播磨で幕府方討伐軍に敗れて討たれるまでの一連の騒乱である。

そして、同年ついに「嘉吉の変」に乗じ、小倉官の皇子である天基親王と円満院宮が京都へ進攻して、三種の神器のひとつ神璽(しんじ)を奪い、吉野南山に御所を置きました。

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参考資料 後南朝 最後の古戦場跡

参考資料 後南朝 最後の古戦場跡

R169号線沿いの大滝ダムの西側に位置する寺尾村塩谷は、かつてダムによって水没した集落で知られています。

この地は、1457年12月2日に起こった「長禄の変」という歴史的事件の古戦場でもあります。

当時、南朝の後裔である自天王が南帝となるべく、赤松家の遺臣たちが足利幕府の密命を受け、上北山村滝川寺北山御所で自天王の宮を襲撃しました。

彼らは宮の御首と神器を奪い、京都へ逃げ帰ろうとしましたが、

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