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仮 後南朝の自天王さん 上北山村編

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自天王さんとの出会い 今から、何十年前のことだろうか? 当時小学生だった私は、吉野郡上北山村小像(ことち)にある北山宮へ親戚のともだちと遊びにいくところだった。 お盆所はよ…
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#金剛寺

06 後南朝 二皇子の墓の謎

06 後南朝 二皇子の墓の謎

1、尊秀王(一ノ宮、北山宮)の首、胴体と忠義王(二ノ宮、河野宮)の墓

郷士たちは皇子の首と神璽を取り返し、首は金剛寺に手厚く葬られたと伝えられています。

一部の伝承では、弟忠義王は行き逃れて、高原で死亡したという伝承があります。

しかし1458年、赤松の残党に神璽を奪われ、これによって赤松家はお家再興の悲願を達成します。

このように後醍醐天皇から始まった南朝の血は絶え、南北朝の動乱は終焉を

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08 川上・上北山陵墓騒動

08 川上・上北山陵墓騒動

1、川上村 金剛寺の不可思議な光景・・3つのモノが語るものは?

南帝自天皇陵

宮内庁河野宮の墓標、

尊秀王の墓とある。

この光景は不可思議な感じです。

どの表示が正しいのでしょうか?

川上村の伝承から見ると・・・・

長禄元(1457)年12月2日の夜、赤松の家臣により、神璽を奪われ、2つの御所が襲撃され、自天王は18歳の若さでこの世を去り、忠義王は御所で討死、

あるいは、その場は死

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(仮)朝拝式の歴史1

(仮)朝拝式の歴史1

約550年前の1457年、現在の川上村にて、南朝最末期の皇族である自天王(尊秀王)が北朝方に攻撃され命を落とし、その後病で亡くなった弟の忠義王の記憶を、忠実な地元の武士の子孫が称える「朝拝式」が5日、同村の福源寺で行われた。

この兄弟の死により、後醍醐天皇を起源とする南朝の歴史が終わった。朝拝式には東川、高原、白屋などの9地区から代表者が集結した。

菊の紋章が刺繍された公家装束を着た「出仕人」

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(仮)自天親王神社・北山宮

(仮)自天親王神社・北山宮


1,北山宮(上北山村小橡)

祭 神:北山宮(後亀山天皇玄孫)
鎮座地:奈良県吉野郡上北山村小橡

2,自天親王神社(川上村大字神之谷)

祭 神 自天親王(尊秀王)奈良県吉野郡川上村大字神之谷1497高野山真言宗の寺院 金剛寺「後南帝菩提寺」の敷地に鎮座する

3,自天親王神社(川上村高原)

祭 神 自天親王(尊秀王)
奈良県吉野郡川上村大字高原524番地
忠義王の墓 宮内庁指定墓の横に鎮座

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