怪談 油が淵
70年以上も前、太平洋戦争末期に、この油が淵で起きた悲劇を知る人は少ない。優雅に咲き乱れる花しょうぶだけが女たちの悲しみを知っている・・・
なぜここが油が淵と呼ばれるようになったか知りたいって?世間じゃいろいろ言われておるようじゃが、本当の理由は違うんじゃ。「油」の意味、怖さをみんな知らないんじゃ。
その前に花しょうぶについて話をしとこうかの。花しょうぶっちゅうもんは普通の土じゃ育たんのよ。水気の多いジュクジュクしたような土じゃないと育たんのよ。花はきれいじゃが、下を見りゃ、ズブズブよ。女郎と同んなじよ。花しょうぶのことを娼婦花ともいうんじゃよ。女郎宿とか遊郭っちゅうもんは町はずれの水っぽい土地しか作っちゃいかんのよ。江戸の吉原みたいにな。そいで水商売っちゅうんじゃろか。
戦争が始まる前に、衣浦に海軍の将校相手の衣浦荘っちゅう慰安所があったっちゅう話は知っとるわな。だけどな、本当は兵隊相手の慰安所もあったんじゃ。この北浦にな。北浦荘っていっとたわ。海軍の秘密の基地を作るためにたくさんの兵隊やら土工が働いとったからな。女郎が5人おって毎晩毎晩、獣となった兵隊どもの相手をさせられとったわ。かわいそうにな。かわいそうなんはそれだけじゃないんじゃ。ある晩一機のB29が名古屋を空襲した帰りに、余った焼夷弾を落としていきおってな。あの油の入った火事を引き起こす爆弾よ。それで北浦荘も作りかけの基地も丸焼け、女郎もみんな焼け死んだ。油が淵に落ちた焼夷弾から油がもれてな、あたり一面は油だらけ、その中に焼け焦げて血と油にまみれた女郎の死体が4つ浮かんどった。それから北浦は油が淵と呼ばれるようになったんじゃ。
あまりにもむごい話じゃから、別の理由をこじつけたようじゃがの。本当の理由はこれなんじゃ。4人の女郎は近くの応仁寺に手厚く葬られたわ。
誰が最初に植えたか知らんが、いつからか花しょうぶが咲き出してな。地元のもんは女郎の生まれ変わりかもしれんっちゅうて、供養の意味で大事に育てとるんじゃ。真っ赤な夕陽を背にした花しょうぶは、火事の中で髪を振り乱して泣き叫ぶ女郎の姿のように見えての、思わず手を合せてしまうんじゃ。
海に浮かんどった死体が4つしかなかったのは、なぜかだって?5つ目の死体はわしじゃからよ。わしの死体だけ沈んで発見されんかったんじゃ。浮かばれんかったちゅうことじゃな。ふふふ・・・。最初に花しょうぶを植えたのもわしじゃよ。
(あくまでフィクションですので事実に反する点はご容赦ください。)