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日常と非日常のあいだで、あがく。(箱根本箱で開いた箱)

非日常が色濃くなればなるほど、日常とのコントラストはより際立つ。
そしてどうやら僕は、その落差に対応し切り替えるということが、大変に苦手らしい。

このあいだのゴールデンウィーク明け、僕はある記事をシェアしながらこんな文章を書いた。

もしかしたら、10連休明けの今日をややブルーな気持ちで迎えた人も多いのでは。
それはひょっとすると、「仕事=日常」と「休み=非日常」が区切られているから、ではないでしょうか。

いま僕はこの自分で書いた文章に思いっきりブーメランを食らい、東京のありがちなカフェのカウンター席で、憂鬱な気分でキーボードを叩いている。


ひさかたぶりに遠出をしたのだ。それがよろしくなかった。いや、良すぎたのだ。

行ったのはこちら、『箱根本箱』。イベントで知って以来、ずっと行きたかった場所だ。

この写真やHPを見て頂ければ、本好きな方ならもう垂涎モノだろう。
朝から晩まで、思うままにどっぷりと読書体験に浸ることができる、最高に贅沢な空間がここにはある。

本当は詳しくレポートをするつもりだったのだけど。

こちらに帰ってきて、まさに今。正直言って、完全に参っている。全然気持ちが前に向かない。余韻を断ち切ることが出来ないでいる。
もちろん、箱根本箱のせいなんかじゃ決してない。完全に僕自身の問題だ。

思えば小さいころから、本を読むと「引きずる」タイプだった。主人公と自分を重ね合わせて、空想・妄想をするのが好きだった。
一度はまると何度も何度も読み返し、何ページのどこに何が書いてあるかまで覚えてしまうくらいのめりこんだ。

あんまり最近、そういう読み方をしていなかったかもしれない。
時間がなくて出来なかったというのもあるが、たぶん、それを口実に、本と向き合うことから逃げていたのだと思う。

白状するとこのところ、小説とか物語を読むのが「怖い」のだ。
一度読みだすと止まらなくなるのがわかっているから、そのうち、いずれ、腰を据えて・・
そんなことを考えて、読めていないタイトルがたまっていき、そのかわりスマホでめくれるビジネス書ばかりが、親指から左脳へとするする送り込まれ消化されていく。

久しぶりに楽しかった。夢中で本に向き合い、ページをめくり、好きなだけ遊んでいいよと言われた子供みたいに次から次へ手を伸ばした。
だからこそ、本気だったからこそ、もうちょっと、あとちょっとだけと駄々を捏ねるように、僕の心が本棚の前から帰ってこない。

そして、今回改めてちゃんと時間をとって、フツウの「旅」に出てみて。
僕は近場をウロチョロしながら、己の動ける範囲のところを動き回って、わかったつもりになって、本当の意味で「旅」と向き合うことからも、逃げていたのかもしれない。

結局、僕がいつもこのnoteで書いている「旅は暮らしの反対側ではなく"中"にある」というのは、皆さんに新しい価値観を提供したいとか、そんなカッコイイことじゃなくて。
僕自身がそう望み、でも出来なくて、そうありたくて作った言葉だ。他の誰でもない、切り替え下手で怠惰な僕のために、必要なリクツだったのだ。

箱根本箱での体験は、何かを理解した気でいた僕の賢しらな脳みそにボディブローをかまし、開けるつもりのなかった箱をこじ開けてくれた。
代償は高くついた。だけど、この日、この時に行くべき場所だった。本当に行ってよかった。

本当は月曜一日休みを取るはずだったが、オトナの事情により5時には「ド日常」な仕事に戻ることが決まっている。

時刻はこの時点で4時。もうすぐ、非日常は終わる。

わかってる、わかってるよ。このPCをたたみ、氷の溶けた珈琲を飲み干し、立ち上がる。そうすればいとも簡単に日常に戻れる。やることは至ってシンプルだ。

でも。もうちょっと、あとちょっとだけ。

ここまで書いて吐き出してしまえば楽になるかと思ったが、悲しいかなそうもいかなそうだ。

しかたない。日常と非日常を行ったり来たりしながら、僕はその度にみっともなくあがいてやる。
日常と非日常の「あいだ」を征服する、その日まで。

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