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結果がわかれば安心はついてくるのか?

今回は~SATCからの学び~ではなく、最近の私の学びを吐露。

この頃、承認欲求が強い男性をお見掛けします。これは全ての男性に当てはまる訳ではないので最後までお付き合いくださいますよう・・・。
お一人目は理学療法士の方。
今日は何人施術をして、お客様から素晴らしい言葉をかけて頂いて、忙しくて食事の暇もない・・・と小学生が母親に今日あった学校での出来事を堰を切ったように話し出す光景と似ている。
以前、彼の施術を受けたことがある。顔もイケメンで女性としては心躍るひと時かもしれない。体の専門家だけあり、説明も的確なのだが・・・正直、わかりにくい。専門用語満載で凄い!と思うどころか、何のこっちゃ?と何時しか説明が念仏のように思えてきた。
これも”認めてほしい活動”の一環であるのだろうか?と考えてしまう。
そんな彼がコロナの影響で施術を受けるお客様が減ったと落ち込んでいた。
スケジュール管理表を私に差し出し、こんなに余白があるんです!
それに目をやると、ほとんど埋まっているのだ。
「これ以上、埋めるんですか?休憩の時間がなくなってしまうじゃないですか・・・」と声をかけると、
「トイレ休憩だけで十分ですよ。とにかくスケジュールがびっしりと埋まっていないと不安なんです。あぁ、どうしよう。」
病んでいらっしゃる・・・
コロナ禍で気持ちも不安定になるのはわかるが、彼の場合はコロナ以前の問題なのかもしれない。

お二人目の男性。レッスンに来られるお客様。
とても真面目で、ほとんど欠かさずに参加なさっている。が最近、様子がおかしい。私は少し早めにスタジオ入りしてセッティングをしたり、練習をする。練習の真っ最中でもお構いなくスタジオに入り、話しかけてくる。
それもレッスンには関係のない話だ。
「あの・・・ごめんなさい、新曲なので練習させてもらってもいいですか?」と一言断りをいれると
「あ、あ。どうぞ、お続けください・・・」
私がまた練習をはじめると、話しかけてくるのである。私は練習を諦めて、彼の話に耳を傾けたが・・・
レッスンが始まると、今度は曲と曲の間に話しかけてくるではないですか!
それも相手あってのとても大きい独り言のように
挙手をしながら「踊れません!」とか「わかりません!」とか。
周りのお客様もイライラなさった様子で帰り際に「あの人、何なの!?」と捨て台詞。私のレッスンだけならまだしも、ジムのスタッフさんに対しても大柄な態度で自分の身の上話をマシンガントークなさるらしい。
次第にみんなの心がざわつき始める。もしかして、何かしらの病気なのではないか?

自己承認欲求とか自己顕示欲とか言われるのだが、私たちは明らかに自分と違う感覚を持っていたり、奇抜な行動、常識から逸脱していると『病気』という結果で括りがちだ。
ここで言う常識は枠からはみ出ることを指す。私自身、常識が本当のところ何なのか?と疑問に思うことがあるが・・・。
私たちは常に答えを知りたがる傾向にあるのではないだろうか?生き急ぐ感じ。答えを知って、だから仕方がないよねと自分を落ち着かせる。安心させるための条件付けなのかもな。
これは謎の病名を告げられて、または病名がわからず悩み苦しんでいるところに、病名がわかり対応の仕方がわかるようになると病気とはいえ、一筋の光が差す。もちろん、病気に適した対応ができるし処置の方法がわかることからいえば、結果を知りたい気持ちは真剣だ。
私がここで言いたいことは、自分と違うことに対して理由や原因をさぐり当てはめて、自分を安心させることに重きを置く「決めつけは必要なのか?」ということだ。
ジャッジメント・・・良いか悪いか、YESかNOか。
下される場面はまちまちだが、大半が ”どちらでもいい” ことなのではないかな?と。判断をしなくてもいいこと、お互い様なことがたくさんあるように思える。
ここまで書いていてなんだが、このお二人の男性を客観的に「これは承認欲求だな」とか「自己顕示だな」とジャッジしている私。でも基本、どちらでもいいと思っている。嫌であれば関わらなければ良い。


パーソナル・バウンダリー:他者との境界線。関係が近いほど、この境界線が曖昧になりがちだ。恋愛においては顕著。彼氏彼女の関係になると境界線が分からなくなってしまう傾向にある。相手を自分の所有物と思い込んで、拘束したり、見張ったり、疑ったり・・・恋は盲目だ。
はじめはそれを愛だと勘違いする。慣れてくると違和感を感じる。嫌われたくないからNO!と言えない。この頃には境界線はただの追い越し車線と変わる。恋愛に限ったことではなく、これは夫婦関係でも。
こちらは生活を共にしているケースが多いので、境界線が消えてなくなる場合もあるだろう。「死がふたりを分かつまで」境界線の復活は難しいのかもと思ってしまう。
何時に帰ってくるんだ?どこに行っていたんだ?だれと会ってたんだ?
極めつけの「俺のメシは?」・・・この逆の奥さんバージョンもあるらしいので、お気を付けください。決して、相手は所有物ではありません。
夫婦と言えども、他人。情が境界線を消してしまわないように・・・。

結果がわかれば安心はついてくるのか?
今回のケース・・・「結果がわかれば諦めがつく」という表現が近いと感じた。私たちは他者と関わることで何かしらの興味を持つときセットで期待
ついてくる。それが何か?はわからないが。
この他者との関わりの中で、自分の中にはない違いを感じた時(結果)
「私とこの人は違うんだな」の諦めの境界線が引かれる。
境界線とは「この人はダメな人間だという諦めではなく、この人は私と同じ人間だという自分の考えを諦める線引き」なのかもしれない。

必要な方に届きますように・・・愛と感謝をこめて♡

NORI


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