育英の優勝は、東北のためじゃないよ
甲子園決勝。生まれ育った地方のチームが優勝した。
どちらかといえばサッカーが好きで、
野球には注目したことが無かったけれど
さすがに今日は昼過ぎくらいからそわそわと気が立っていた。
仙台育英が優勝すれば東北勢初の甲子園優勝だ。
中継が見られる職場環境ではないので、
Twitterで「育英」「甲子園」と入れて、10分に1度くらい
パブリックサーチをする。
すぐに育英が得点。
その後、代打選手の満塁ホームランという
奇跡的な大量得点があり、9回表では下関国際も粘ったようだけれど
意外にもすんなり優勝した。
(オフィスで涼しく実況を閲覧しているだけだから、
すんなりと感じたのだと思うけれど)
ものすごくうれしくて、友達にも「やったねえ」とLINEを入れた。
今晩祝いに何を呑もうかな、と祝杯に思いを巡らせた。
でも、優勝の少し前から「嬉しい」という気持ちを
自分が抱くのはどうなんだろう…という違和感を感じ始めてしまっていたから
思うようにハッピーにはなれなかった。
原因は多分、各SNSに溢れる「東北の誇り」「東北勢悲願」という言葉。
一番癪に障ったのは、「よくやってくれた!」というコメント。
私も、東北勢初の優勝が懸かっているから、とそわそわして
普段見もしない甲子園に興味を抱いたので、
同じ穴の狢だった。15時30分くらいまでは。
でも、そういうコメントをしている沢山の人を見たときに、
彼らの優勝は「俺たち」の頑張りではないし、
「俺たち」のものでもないし、
育英の子とその家族とか、恋人とか、友達とかのものだからね、
とか言いたくなってしまった。
もっと言えば、お前が友達との何気ない会話をするきっかけ作りのために
育英は努力したんじゃないからな…とか、とか。
(これは自分に言いたくなった。ここまで言うとさすがに被害者意識?加害者意識?強すぎると思うんだけれど…)
故郷に錦を飾るのは名誉なこと。
でもそれが一番の目標であったかのようにされるのは、
なにか釈然としない。
育英の子たちは、きっと東北勢初!の冠を喜んでいるとは思うけれど、
ゆかりある地域のチームが優勝したってだけのラッキーな他人たちが
「よくやった!」っていうのは、なんかな。
東北地方の人間は、東日本大震災の後
嫌というほど出身地を背負わされて、運命共同体みたいに扱われてきた。
そのときの違和感が自分の中でよみがえったのかもしれない。
と、ぐだぐだと思いを巡らせた結果、
むしろ、こんな余計なことを思い悩まず
「東北初!おめでとう!ありがとう!万歳育英!」と喜べる人の方が
好かれそうだし、辛気臭くないし、面倒でもないし、
育英の子たちも「あざーっす!!!」っていいやすいかな、という気持ちにもなってきた。
東北勢が優勝してくれたから私も嬉しい!じゃなく、
あくまでも、育英の選手たち、おめでとうね。
近しい地域の君たちが優勝してくれて、
なんだか自分のことのように嬉しくは感じたよ。
ありがとう!