HSPの彼女: 電話
彼女は電話が苦手だ。相手が誰であれ要件が何であれ、たとえそれが5分に満たない短いものだとしても、電話をするという行為そのものが彼女にとっては大変な作業なのである。
スマホが普及しLINEをはじめとした新しい連絡手段が浸透してきた昨今、私的用事で電話をする機会というのはめっぽう減ってきた。それでもやっぱりふとした時に電話は使うし、電話のみでしかできない問い合わせや予約などもある。そんな事があるたびに、彼女は毎回絶望的なムンクの叫びのような顔をしたのちに、あーあと言って意気消沈する。
まあそんな具合で電話はとにかく嫌いだから、あの手この手でなんとか回避する方法を模索し、場合によっては僕に電話の代役を頼みにくることもある。単に電話嫌いなこともあるのかもしれないが、やはりHSPであることが一役買っているようだ。
電話をとりまくシチュエーションというのは大きく分けて二つある。一つは自分から電話をかけるパターンである。予約か、質問か、確認か、緊急か。緊急案件はめったにないので、大抵の場合は野暮用のたぐいである。
こういう電話は幸いなことに主題が決まっているため、前もって電話の内容を準備する事ができる。今回はこの件で電話をして、質問があれで、伝えることがこれで、あんなことを言われたらこう答えよう。その内容が多かったりまどろっこしかったりすると、メモをとることもしばしばである。そうして伝える内容を精査するのだが、そのあとすぐに電話をかけることはない。
電話をする、というだけでどうしたって体がこわばり緊張する。内容が決まっていても、である。HSPは丁寧で繊細で、細部にまで気を配る性質をもっている。これが電話越しだと相手の表情が見えないぶん、電話口から聞こえてくるもの(もしくは聞こえてこないもの)に全神経を集中させて会話することになる。声のトーンの変化。些細な間合い。周りの雑音。それらをヒントに相手の状況や感情を想像し、相手に不快な思いをさせていないか十二分に気を使う。そうして注意深く電話をすると、実に様々なことに気がつく。そして気づいてしまった以上、常に最善の返答をしなければならないと自分にいらぬプレッシャーをかけてしまう。
そんな一連の流れを想像してさらに緊張したあと、一息ついて心を少し落ち着け、そして思い切って電話するのが常である。先程とったメモを握りしめながら。
さて、話は少し戻ってもう一つのシチュエーションだが、それはもちろん誰かから電話がかかってくるパターンである。これはもう大変で、いわば不意打ちである。携帯のデフォルトの着信音は、きっと彼女には警報音に聞こえているに違いない。もしかしたらスターウォーズのダースベーダーのテーマ曲に脳内変換されて聞こえているかもしれない。でーでーでー・でーででー・でーででー。もしくは、昔「着信アリ」というホラー映画があったが、そのわけありの着信を受けとったような心持ちかもしれない。まあとにかく、着信があった際には半ばパニックである。なんたって突拍子もない連絡で、内容がさっぱりわからないのだ。
それはまず誰からの電話なのか。ポジティブな内容か、それともネガティブなのか。自分がなにかやらかしたのではないか。なにか見落としていたのではないか。着信音を発するスマホに手を伸ばしながら、ここ最近の自分の言動や行動をスーパーコンピューターばりの速度で振り返りチェックする。そして「もしかしたらこれか」ということ(そのほぼすべてがHSPだから気になることであり、非HSPからすると全くもってありえないことばかりである)をあれこれ考え、ブルーな気分になりながらスマホを手に取る。
かかってきた電話には、当然のごとく自分がかける電話以上に気を使う。相手方からわざわざ電話があるのだから、そこにはそれ相応の理由があり、また手間をかけさせているのだから、絶対に不手際あってはならない。電話を受け取ったあとは、脳細胞フル動員でことにあたる。聞かれたことには丁寧に答え、間合いをみて気の利いたことの一つや二つをはさみ、最後まで物腰柔らかに対応する。事なきを得て無事電話を終えても、そのあとにどっと出る疲れは、ひと仕事もふた仕事も終えたあとのそれである。
HSPにとって電話とは、細心の注意を要する精神的な重労働である。大抵の電話嫌いは、自分の時間に他人が他人のタイミングで入ってきて不快だとか、顔が見えないからなんだか緊張するとか、そういった理由であることが多い。しかしHSPの場合は、自分がどう思うかではなく、電話口の相手に失礼があってはならない、不快な思いをさせてはいけないといった配慮がとても強いがゆえ、苦手としているのである。
ただの電話がただの電話で終わること。それはHSPの細やかな心配りのうえに成り立っているのかもしれない。