株式会社ケイブを退職しました。
一身上の都合により、9月27日付けでケイブを退職することとなり、本日が最終出社日でした。
同僚の方々には長年お世話になったのですがコロナ禍というのもあってあんまりご挨拶できなかったのが心残りではあります、、お菓子もっていくのもどうなんだろうって考えてやめてしまうこの御時世です。
ちなみに、今のところ次のお仕事は決まっていません。いいお話頂けると有難いです。
いままでを振り返って
こういうのってよく「あんただれ?」って言われるし自分も思うときが多いので、少し振り返ってみました。
ケイブには2008年に入社してから 13 年くらい経ちます。
思えば13年前、前に勤めてたゲーム会社で給料が未払いになり、生活に困り、途方にくれて就職サイト載ってる会社に応募しまくってたのがついこないだの事のように思い返されます。
ケイブ入社を決めたきっかけですが、あんまりカッコイイポリシーみたいなものは実はそんなになく、
- 前の会社が新宿御苑で、ケイブも当時新宿御苑にオフィスがあったので
- 前の会社でレースゲームを作っていて、『峠 MAX 』など作っていたのを知っていたので
ノウハウ活かせるんじゃないかと思って
- 前の会社はゲーム開発一本の小さい会社だったので、楽しかったけど経営が安定して
なかったのに対して、当時はビーズ、モバイル、着メロといろんな事業やってて、
調べたら東亜プランからなど何度も起き上がってるところに会社としての力強さを感じた
- 前述から経営状況とか気にせずにいいゲームを作ることだけに集中できそうな気がした
- アクションゲームとアーケードゲームが好きだったからなんかそれっぽいし、
なんとなく楽しそう
など、いろんな理由と、当時いいお返事を頂いた候補の中から決めました。
これらは入社前のイメージで、個人的な思惑一覧なのですが、いま思い返せば、この考え方で自分にとって悪い甘い判断もあるし、いい判断もあったなって思いました。
入社してからの軌跡の最初は真・女神転生 IMAGINE
2008年3月、何をやらされるのかわからない状態でオフィスに行ったら「清水さんには オンラインゲームのサーバーサイドをお願いしたいです」と言われました。
前職ではむしろネットワーク系は苦手だったんで、「ええ……(汗)」って顔をしていたら「違います!違います!大丈夫ですからっ!!」といわれて「(よくわかんないけど大丈夫なのか……)」と思った記憶があります。
後々知ったら、当然オンラインゲームに詳しい人も何人かスタッフにいたのですが、全員が全員オンラインゲームのスペシャリストというわけではなくて、コンシューマーゲームで開発していた人たちが色々経験を積みながら築いてる途中のプロジェクトに思えました。
「こんなゲームです」とまとめてあるところを出したいのですが、サービス終了している上に長年やっていたので、ググってお願いします
当時の真・女神転生 IMAGINE では主にゲームサーバーのプログラム、ゲームロジック的な部分やショップのプログラムなどやっていました。
慣れないオンラインゲームの開発で「うまくいっていないなぁ」って感じながらなんとかやっていたような気がします。
海外版 真・女神転生 IMAGINE に飛ばされる
ある時に海外展開版の IMAGINE を作成する話がでてきました。
最初、開発は国内版のチームが掛け持ちでやっていたのですが。いつの間にか海外運営チームに自分が組み込まれて、半独立状態で開発が行われるようになりました。
(ちなみにアエリア→マーベラス USA → アトラス USA とパブリッシャーは変わっていましたがずっとケイブ内で開発をしていました)
当時、随分と泥臭くて、半ば急ごしらえでサービス開始した国内版は Shift-JIS から UTF-8 に対応するとサービスに不安があるという考えから、海外版のアップデートがあったら 国内→海外(北米、欧州、台湾、中国、韓国)へと手動で機能のソースだけをマージするという割と辛い作業をひとりでしていた気がします。
ただ、当時海外版のエンジニアは自分ひとりだったので、国内版の開発チームからの協力やリサーチして修正してなどのやり取りをしていたり、以下の仕事をこなしていたりしました。
- インフラ側に近いネットワーク構成やデータベースの構築
- それまで触ったことなかった PHP 製の Web 管理ツールの改修と保守
- データベース周り
- サービスに係るバッチ処理
- サービス環境へのツール類の設置
- PC ゲームのクライアント側の処理
- アップデート用パッチャーなどの保守
- 翻訳するための Web ツールの改修
- データ作成ツール類の保守
- オンラインゲームの運営方針についての考え方
などなど、オンラインゲームの開発・運営に関する知識が高まったので大分身になった期間だった気がします。ゲーム、その他関わらずオンラインサービス系のセミナーにもよく行って知識を広げていたので楽しい時期でもありました。
とはいえ、ひたすら地味で地道な作業なので、毎日のしんどさはあった気がします。
諸事情で各国のサービス終了が続き、最後まで残った北米版のサービス終了の話がでて、協力してくれていた国内スタッフの中には愛着があった方もいたので、なんとか続ける方向も考えようとしてくれた人もいたのですが「そろそろ、正直しんどいです」といった記憶があります。
Unity を使い始める
国内版に戻ったり、海外版半分やったりとしている時期に当時の上司から「 Unity というゲームエンジンがすごく期待されているらしい」という話を聞きました。2010年くらいだった気がします。
新しいもの好きのミーハーなので、合間に研究として Unity をいじっていました。過去に モバイル向け Java 、趣味で C# とか XNA を遊んでいたので、応用で楽しく遊んで(仕事です)いたり、開発中のプロジェクトを手伝っていたりしていたのですが。
しばらくたって海外版の IMAGINE 終了後のある時に本格的に Unity を使ったプロジェクトの『ジャグラー×モンスター』にアサインされました。
Unity を使用した実績ができて個人的には経験がつながって色々できるようになった部分もあるので、よかったとは思うのですが。やっぱりプロジェクトは辛いことが多かったです。
Steam
自分がジャグラー×モンスターをやっていた頃くらいから、過去に社内で作ってた Xbox 360 のシューティングゲームを Steam へ移植するという小さいプロジェクトの話が上がっていました。
たぶん、その前に全社に向けた社内セミナーなど主催していたこと。 PC ゲームに関わっていた事などから、プロジェクトに入ることになりました。
最初はデバッグモードで Windows の窓枠するらでてない 虫姫さまをなんとか Windows アプリにするところから始まったのですが。
自分は
- Steamworks という API に組み替える
- Windows 移植時に起きるバグ対応
- リーダーボードなどをコントロールするスクリプトの作成
- リソースデータのコンバート
- 過去データなどの整理と進行
- パブリッシャーとやり取り
などをやっていました。
このあたりからシューティングゲームのコミュニティに対しての知見が大分深まった気がしますが、どちらかというとオンラインゲームの運営知見を混ぜながらやっていた気がします。
オンラインゲーム独特なオープンな部分が最近のアーケードゲームの文化と妙に相性がよくて、その部分はいい発見だった気がします。
MMORPG への想いと三極ジャスティスへ
Steam やった時に成り行きで「トランジション」というシューティングゲームのイベントにスピーカーとしてでる事になりました。
余談ですが、このイベントでサービス開始して間もないゴ魔乙がブースをだして、その際の反響が大きくてのちのケイブ祭りの復活にも繋がりました。
「ケイブの MMORPG は死んでいない」と豪語しているのですが。実は個人的に IMAGINE の機能を組み込んだものを作っていて、すこし目算がありました。
「この会社で MMORPG の構築から開発までできるのは今自分しかいない」と、思い違いも入ってるかもしれないですが、なにか強い想いみたいなものはあった気がします。
それとは別に、この後 MMO ゲームの『三極ジャスティス』へアサインされました。これは 自分がジャグラー×モンスターをやってるころくらいから動いていたプロジェクトで、そこに後から入るような形になった気がします。
今思うと、後から入ったプロジェクトのため、自分の意見やプログラミングに対して詰めのところで遠慮があった気がします。また元から関わっているスタッフに対しても意見は言っていたものの、最後の最後で自分が介入しきれていなかったんじゃないかと思い返すと感じています。
当時はクライアントサイドのプログラマーで、もっと他の部分にも踏み込んでいたら違う形があったのかもしれないとはおもいつつ、主導権を握りに行こうとする強さがあったほうがいいのではと、いまでも悩んでいます。
ゲーム作りは、いい意味ですこし悪役くらいが、よりいい作品ができる気はしますが、どうもいい子ちゃんになろうとするのが捨てきれてなかった気はします。
いままでとこれから
サンジャス終わってからはゴ魔乙( Cocos2d-x )や ワールドウィッチーズ ( Unity )の UI プログラムつくったりしてました。
どうしても自分の主導的な部分が弱いのは変わっていなく、どうもモチベーションを保てなくて後半はミスも多く、とても周りに迷惑をかけてしまいました。
ふと思い返してみれば、自分に望まれていたものって、やっぱり自分がやってきた事なのではないかなとは思いました。
それらを活かした新しい活路を望まれていたのに、そこが突き進めなかったのが自分の弱さだった気がします。
いまの現状自分を活かせる場所があるのか、自分が受け入れられる場所があるのかとても不安ではありますが。オンラインゲーム開発の経験を軸において今後の道を考えていければいいなと、いまは思っています。
求職中です。
オンラインゲームでも、シューティングゲームでも、レースゲームでも、RPG でも、お仕事募集中ですので Twitter にダイレクトメッセージ頂けるとありがたいです。→※追記. お話頂きましたので、ひとまず止めさせていただいています。
ただ、生きている間はどんな形でもゲームを作っていきたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いします。