ヘーゲル・大人のなりかた (西 研)
以前、読書に対する辛らつな箴言に興味をひかれショウペンハウエルの著作を読んだのですが、その際、ショウペンハウエルが徹底的に批判していた論敵がヘーゲルでした。
ヘーゲルは19世紀に活躍したドイツ観念論を代表する哲学者で、近代哲学を完成したともいわれているそうです。
哲学とは、辞書によると「論理的で合理的な原理にしたがってものごとを考え、究極的な原理に関する『知』を追求する学問」とのことですが、実際、哲学者は途方もないことを考えるものです。
(p18より引用) 『精神の現象学』は、人類の精神と社会制度の歩みを大きくつかまえることによって、現実に起こる様々な事件や進行を、「これは反動だ/これはよい方向だ」と判定するための基準を明確にする、という意味をもっていた。
(p78より引用) 一言でいうなら、『現象学』とは、人類の精神の形成過程を追跡しようとする学問である。・・・〈あらゆる知と社会制度とを人間精神の所産とみなしたうえで、その形成過程を明らかにしようとする学問。そういう学問がつくれるはずだ〉。ヘーゲルの基本的な発想はこういうものだった。
この学問のためには意識の成長物語のスタイルをとるのがよい、と彼は考えた。・・・意識の成長物語というスタイルで、あらゆる知と社会制度の成り立ちを解明してみせることができるだろう。
この「意識の成長の過程」を支配する論理がヘーゲルの弁証法思想でした。それにより彼は、「真理の体系」を目指したと言います。
このあたりは、やはり私にとってはかなり手強い内容でした。
ただ、さすがに本書はヘーゲルの入門書でもあるので、素人分かりする解説もあります。
たとえば、自己意識から理性への進展過程において「権利の思想」も形作られたとのくだりです。
(p200より引用) 民族や宗教のちがいにかかわりなく、だれもが「自由な意志をもつ人格」である。このことを相互に認め合って、互いの自由意思を侵さないようにする。「権利」ということがらの根底にあるのは、このような自由な人格の相互尊重である。
ヘーゲルは、「私にとって」だけでなく「相手にとって」「みんなにとって」という視点を持とうと努めたのです。