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昼下がり、人の流れに逆らって

昨日は、昼過ぎに起きて、天気が良かったので、豚の生姜焼きと卵焼きとウィンナーを焼いて(もちろんジョンソンヴィル)、週に一回大量に炊いて握って冷凍してあるおにぎりを3つ解凍して、焼売とメスティンとか色々をリュックに入れて、ピクニックをしに近くの公園に行った。

近くと言っても電車で2駅。家から5kmなので、徒歩圏内とも言う。スペインの巡礼路を毎日30km歩いて800km踏破して以来、私の徒歩圏内は半径30kmなので、往復歩いても、まあ完全なる徒歩圏内。
その公園は、子供の頃によく花見に来たり、プールに来たり、ローラースケートを持って行って滑りまくったり(光GENJI世代)、一輪車の練習をしに来たり(流行った時代)、夏にはおばあちゃんと朝顔市に来たり、中学時代にデートで来たり、友人のポン子さんについてきてもらって高校時代にとあるミュージシャンのサイン会に来たり、野外音楽堂でライブを見たり、初めて一人暮らしをした時にランニングをしに来たり(痩せようと強く思った時に2回ほど)、大人になってからもデートに来たり、なにかの流星群が見れる時は必ずここに来て見たりした場所。
そういう色んな思い出に詰まった公園とも言えるし、身近過ぎて特に印象のない公園とも言える。そんな場所。
昼過ぎからふらっと行ける近場で、たくさんの緑があって、焼売が蒸せる場所を探してみたら、その昔ながらのその公園くらいしかなかったので、久しぶりに来てみたのだった。

早起きは三文の得とは言うが、寝過ごしは正義、ということわざの方が私は好きで、まあ、後者は私が作ったことわざなのだけど、予定のない日の休日は、「起きるまで寝る」スタイルでアラームなど設定せずにとにかく私は眠る。
「明日、天気が良ければ、万が一昼前に起きれたら、焼売持ってどこかピクニックに行こうかな...」と思って眠ったのはもうほぼ朝になりかけていた時間帯で、昼前に起きれるなんてことはまず無理な技だった。
案の定、昼過ぎに起きて、あーあ、と思った。
だけど、近場ならまだ日は沈んでいないから大丈夫と思い直し、大急ぎで準備して何年かぶりにその公園にやって来たのだった。

着いたのはもう16時頃で、親子連れのバーベキューの団体は撤収作業をしていた。カップルもそろそろ帰ろうか?という雰囲気で、私だけが人の流れと逆方向に進んでいるような感じ。
みんなの流れに乗れない、乗らない、乗りたくない感じ。
私はいつもそう。
1人で行動する時は、人の流れに逆らって動いている気がする。でも、それが心地良かったりするし、今のご時世、密を避けるベストな行動だとも言える。
「なんでお前はこんな時間に出発するんや」「なんで朝に起きひんのや」「何時に飯食ってんねん、なにごはんや?」「お前はほんまに『はみだしもん』やな」と実家にいる時はよく父親に呆れられていた。
だけど、朝から出かけると人がいっぱいだしね、いいのよ、動きたい時に動き出すスタイルで、食べたい時間に自由に食べたい時もあるよ、と今は自分で自分の行動を正当化している。

森の中のベンチを見つけて、そこに座ってリュックからいつものセットを出して、粛々と焼売を蒸した。

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今日は特別にポン酢を入れる小皿を持ってきてみた。分かりにくいかもしれないが、ヨーダ柄である。数年前、わざわざLCCのピーチに乗って、友達のしめちゃんと2人で、弾丸日帰りで愛媛の松山でやっていたスターウォーズ展に行った時に買ったお気に入りのお皿。2人してスターウォーズフリークなもんで。物には思い出が宿る。
私の弁当は緑がないとよく言われるので、緑のバラン的な感覚でレタスの形をしたおかずカップを使っている。ナイスアイデアな商品だと毎回しびれている。どうみてもレタスだしおかずに緑が入ったから、誰にも文句は言わせない。

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焼売はひっくり返すリスクも考えておかずを持ってきたが、ひっくり返さずに無事蒸すことができ、なんならメスティンの空いたスペースで冷めたウィンナーを温める余裕もあった。

16時半を回り、どんどん人が帰っていき、静かになってきた公園で、大人の私は、缶に入ったワインを持ってきていたので飲み始めることにした。
スペイン産のレモンのスパークリングワイン。久しぶりに焼いたにんじんケーキの残りとウィンナーをかじりながらちびちびと飲んだ。モモの続きを読みながら。

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子供を連れた家族たちが撤収して帰っていく姿を見ながら、私にああいう人生は起こり得たのだろうか、とふと思う。
子供があまり好きではないから、子供たちが集まる場所には積極的に近づかない生活をしているのだが、公園で久しぶりにたくさんの家族を見て、ちょっとだけ別の可能性を考えてしまった。

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やはりいくら考えても、子供が欲しいと思ったことはなかったし、長く付き合ったパートナーとは結局求めるものが違ったし、私は、はみだしもんかも知れないが、今こうして、1人の静けさを求め、焼売を蒸して、ワインをちびちび飲んで喜びを感じているのは必然であり間違ってはいないとあらためて確認した。

公園を散歩し、秋の風景を写真に撮って歩いた。

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こんなにも広い公園だったのか、と一歩ごとに、びっくりしながら歩く。子供の頃はこの広さや豊かさを意識していなかった。もしかしたら、いつも決まった場所でしか遊んでいなかったかも知れない。公園の奥には森があった。

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日が沈みかかっている風景はなんで美しいのだろう、と思う。
枯れる、色褪せる、沈む。
40代の微妙な部分に響く表現だが、好きなワードになりそうだ。

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何度も何度も数え切れないくらいこの公園に子供の頃から来ていたのに、知らない風景に見える。こんなにも美しかったのか、と思う。
子供の頃に見えていないものが見えるようになってくることもあるのが、数少ない歳をとることの良さの一つかも知れない。見えなくなるものも増えるけど。

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どんぐりを集めて遊んだ子供時代も今と同じように、いやもっと世界は美しかったかも知れないのに、世界の美しさに気づかなかったのか、忘れてしまったのか、どっちだろう。
どんぐりを拾い集めるだけで楽しい年頃だったのは確かだ。
今はもうどんぐりをそんなに夢中に集めたりはしないけど、その代わり、秋の美しさに夢中になったりするお年頃だ。

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池の周りを歩いていると、バズーカ砲くらい長いレンズのカメラで池の鳥を写真に撮っているおじいさんたちがいた。
私にはまだ分からない未知の世界の美しさを覗いているらしかった。今の私にはまだ見えない。

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昼下がりから出かけると、割とすぐに夕陽を見ることになる。あっという間に暗くなるけど、どうせ今日は土曜の夜でオードリーのラジオまで夜更かしするから構わない。
いい感じにエルヴィス・プレスリーのアルバムを聴きながらワインを飲み、公園内をしっとりと散歩していたのだが、日が沈むのを見届けた途端、Creepy Nutsの「よふかしのうた」を口ずさみ、公園を後にした。

もれなく社会不適合者
だけどお前は決して誰も責めない
お前は決して何も聞かない
お節介な陽の光と違い俺も正さない
ずっと今日が終わらない
明日を始められない
よふかしのうた

急にヒップホップな感じのステップになって、夜の町を歩いて帰ることにした。暗くなっても大阪の都会なので、寄り道して歩くのもまだまだ十分楽しめる。
夜の町を寄り道しまくって、2時間かけて歩いた帰り道の足取りはとても軽かった。



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