沢木耕太郎の「旅のつばくろ」を読んでいる
この前の日曜日、久しぶりに沢木耕太郎がメディアのインタビューに答えていたので驚いた。Yahooニュースにあがっていて、びっくりして開いたら、もう70代になっておられて、沢木に似たお年寄りの人の写真が出ていてさらにびっくりしたのだが、本人だったし、佇まいと雰囲気、瞳の強さが私の憧れる沢木のままだなぁとしみじみ思った。
沢木耕太郎のインタビューは、コロナとどう暮らしていくかというテーマでとても読み応えがあった。
普通に毎日暮らしていて、そこに旅がなかっただけで日常は何も変わらない、とサラッと言いのけるのはさすが沢木耕太郎レベルだなぁと羨ましく思った。私のポストコロナの日常は、旅がないだけでとてもとても揺るがされているから。まだまだ修行が足りない。
それ以外は、ほぼほぼ共感というか共鳴というか、私の考えてることをそのまま言ってくれる人がまたここにもいらっしゃったなぁ、と嬉しくなるくらいだったが。
旅をしていると想定外の出来事がよく起こり、その連続だったりして、それをどう面白がれるか、みたいなところがある。コロナも、旅と違ってなかなか面白がることはできないが、想定外の出来事として過度に恐れすぎずに俯瞰で見てどう冷静に生活をするか、というところが大事かもしれない。
それと、個人的には仕事へのスタンスや自分が大事にしている部分が、私も沢木耕太郎と同じく頑なさと柔軟さなので、沢木の言葉で書かれているのを読んで嬉しくなった。
私の仕事への向き合い方もどちらかというと、やりたいことだけをやってきてこうなったというより、やりたいことはないけど、やりたくないことは明確で、それをできるだけ避けたらこうなったというスタイルだ。
やりたくないことは断るという主義は私も頑なすぎるくらい貫いているし、そのかわりそれを貫いても文句を言われないくらい仕事をやっつけているし、相手に説得力のあることを言えちゃうくらいには口も達者だと思う。だけど、文句を言わせないように真面目に真摯に取り組んでいるし、時々、大変だけど面白そうな仕事には、やったことがなくても飛びつく柔軟さをなくさないよう心がけている。
多分、沢木ほどの突出した才能が私にない分、仕事のスピードとおちゃらける部分、この人が何をしてくれるというわけじゃないけど何となく頼れる気がするし、まあまあおもろいしふざけた人だ、という錯覚をなんとなく周りに生み出すのが割と成功してきて、私は仕事現場で生き抜いてきていると思う。ラッキーだが、もしかしたらこれは沢木の言うところの政治力だろうか、とも思う。政治力だと考えれば、これからも半分ふざけて生きていこうと思える。
このインタビューを読んで、最近の沢木耕太郎が読みたくなって、「旅のつばくろ」をkindleで買って今読んでいる最中だ。珍しく国内旅のエッセイ集だが、今は海外に行けないし富山に旅したばかりだから国内旅行の話がとてもスッと心に入ってきて、ちょうどいいタイミングだったと思う。本も旅と一緒でタイミングがあるなと思う。読むべきときが今だったように思う。いつも一気読みするタイプだが、今は毎日少しずつ読むのが楽しい。
「旅のつばくろ」の中のある章にこう書いてあった。
どちらかと言えば、私は旅運のいい方だと思うが、それも、旅先で予期しないことが起きたとき、むしろ楽しむことができるからではないかという気もする。たぶん、「旅の長者」になるためには、「面白がる精神」が必要なのだ。
これを読んで、私は旅の長者向きな気がした。この才能はある気がする。失敗もおいしいと思うタイプだし、キューバでの骨折ですら今もなお面白がっているくらいだ。旅の長者を目指してこれからも面白がろうと思う。
インタビューでは、沢木先輩ほどの人がまだ「旅とは途上にあること」と語っていた。
素敵だ。
わたしもまだまだ途上、どころか歩きはじめたばかりかも知れないくらいだ。まだまだ道は続いている。
気をつけて、恐れずにまた旅に出たい。
また必ず。
写真はスペインのカミーノの途上にて。
以下はインタビュー記事から抜粋。
「やりたいことだけをやってきたらこうなったっていう、それだけの話だから。だけれども、それを貫くためには、リスクがある。ちょっと偉そうなことを言うようだけど、力が必要だと思う。やりたいことだけをやって生きるには、やっぱりこちらの力量が必要だし、場合によっては、相手を納得させる話術だったり、政治力も必要になる。僕は、基本的には、ほとんどの仕事の依頼を断ってきました。でも、どんな内容なのかは確認するようにはしていました。まれに、何千個に一つくらい、自分にとって『おっ』と思うことが起きるからです。そういう偶然に対しては、なるべく柔軟でいたい。自分のやりたいことを通す頑なさと、その柔らかさを併せ持って、僕である、という感じがします」
遠い先の目標を持たず、目の前だけを見ながら生きてきたという沢木が、人生の中で魅せられたのが、長距離の移動を伴う「旅」だった。作家として、一人の人間として、沢木耕太郎にとって、旅とは何か。
「ちょっとかっこよく言えば『途上にあること』、要するにプロセスですよね。行く先のどこか、何かが目的なのではなくて、どこかに行くまでが『旅』。だと思う。僕にとっての旅は、やっぱりプロセスを楽しむものなんだよね。結果的にたどり着けなかったとしても、問題ないんです。行かれなかったっということがあっても、下世話な言い方をすると、『それは面白いじゃないか、ネタになるじゃん』と(笑)」