分からないけど納得したい
分からないことだらけの森に迷い込んでいる。
集まれ住宅ローンの森!続き。
不動産会社の最初の担当者の厚化粧で整形してるみたいにとんがった鼻の女の人はもう2度と現れないのだろうか。
「住宅ローンについては何ちゃらコミュニケーションという会社の山寺宏一に聞いてください」と言ったまま、厚化粧お姉さんは去った。
その後もよく分からんまま、色んな会社から私の担当の人が現れる。
山寺宏一が「独身女性のローンに強いのは、りそな銀行です」とか何とか言って、りそな銀行の優しそうな女の人が現れて、この会議は何の目的で行われてるのか分からないまま、打ち合わせや確認が続く。印刷された紙の読み合わせを今度は別のりそなの担当者の女性がしてくれたり、なんのこっちゃ。
私はベルトコンベアーでただただ運ばれていき、その都度パーツを担当する人が代わり、どんどん進んで、最終的にみんなが悪い笑いを浮かべて私を囲んで、大阪湾に沈むのだろうか。もうこの「買うのかマンション物語」の主導権はすっかり「私の担当者」と言われる人たちとなっている。
これでいいのか。
こんなんで多額の借金を抱えていいのか。
不安を抱えつつも、相変わらずローンやお金のことが理解できないし興味が湧かない。
山寺宏一が説明時、ことあるごとに「今回はそんなに多額ではないので」と言う。
いやいや私にしてみれば大金やでと思うが、ふと、それもそうだなという気がしてきた。
1000万を超えていれば大金だが、それ以下なら、住宅ローンというよりも、ちょいとお借りします気分でいいのではないか、と思えてきた。そしてフランクな気持ちでマンションを買うことにしたのだ。こわいこわい。
全部理解していなくても大したことない、そんな気もしてきた。
大体私は何もかも凝りすぎるし、ストイックに突き詰めすぎたり、深めすぎる癖がある。ここは人生で相当上位に理解を深めるべき局面だとは思うが、もう放棄することにした。
それよりも、主導権をこちらに戻さなければいけない。
買うのは私、契約するのは私。
何も考えずに言いなりになる都合のいい客だと思われるのだけは避けようと決めた。
ちゃんと分かるのをやめるけど、お前らを信じるぞ、信じていいのか?お前らは私が信じるに値する人間なのかどうなのか?をこちらから積極的に担当者全員の魂に問いかけていく作戦である。
何ちゃらコミュニケーションの山寺宏一とがっつりとコミュニケーションを取ろうと決めて、こう言った。
「私は金利のこと、仕組みが全く分かっていません。融資手数料型とか保証料金利上乗せ型とか、変動金利とか最大優遇金利幅とか、図を見ても何のことかさっぱりです。それでも、山寺宏一を信じてこのプランにしようと思ってはいますが、これを私に勧める1番の理由は何ですか?他を勧めない理由を簡単に教えてほしいです。」と問いかけた。
「例えばこっちにすると私が言ったら山寺宏一はどうしますか?」
「数字を使わずに端的にこのプランのメリットデメリットを挙げてみてください。」と山寺宏一の心に問いかけ続けた。
誤魔化しているのか、
言い逃れをしていないか、
営業のテクニックでかわそうとしていないか、
このプランをゴリ押しした裏に何か隠していないか。
私は腕を組んで深刻な顔をして聞いた。
ローンの仕組みを全く分かってないくせに、全く別のことを分かろうとして見通そうとして努力していた。
山ちゃんは営業トークの時の高くて大きめな声を時々やめて、素の声で、うーん、と唸りながら、なぜかトーンを落として、「正直こうですよ」という話をしたりする。
これがテクニックなのか素なのか、真剣に見る。
いや、そんなとこ見てないで、ローンの仕組みを聞けよって。
そうじゃない。
いや、そうなのよ。
ネットの情報だってガセネタやフェイクニュースに溢れていて、結局どれを信じるかのリテラシーが本人に求められる。調べて学んでも、解釈の仕方が間違えていたら分かってないのと同じである。私は、内容云々ではなく、山寺宏一リテラシーや、りそなの女の人たちリテラシーを慎重に見つめているのである。
一つ目、人間の審美眼を磨き、駆使すること。
これはこれまでのインド旅の経験から培った教訓である。
騙すつもりかどうか相手の目玉の奥まで見通す技。これまでの海外旅でロマンス詐欺に引っかからずにこれたことも、この類い稀なる才能の審美眼を使いこなせているのだと思う。(モテない訳ではない、決して、多分。)
そんな匠の技を、住宅ローンという、人生の最大級の局面で使うことにした。旅の経験に感謝である。
そして、2つ目に、私が積極的に選んで決めるのだということを大事にしていく。
人生は選択の連続だから自分で主導権を握って決めていきたい。ローンを分かってない奴が偉そうに言っているが、これが私の見出した起死回生の裏の手である。
これまで仕事で、相手にちゃんと分かってもらえなかった時は、自分の伝え方が悪かったのだと反省し、伝える方法の幅を広げたりしてきた。
どんな職種であれ、プロとして仕事相手にちゃんと理解してもらえるように尽くすのは当然だと思ってきたし、客の立場の時は、プロなら素人にも分かるように説明しろよ、と思っていた。それは間違ってはいない。
だけど、人の理解度は人それぞれで、分からないまま話は進んでしまう不本意なこともある。障害や色んな特性のある人たちや、高齢者、または全く興味が持てなくて頭に入っていかず眠くなる私とか、もう分かるのをやめようと潔く放棄する私とか。男と女はやっぱり分かり合えないぜといつも思ってる私とか。
分かってもらうように言葉を尽くしてもそれでも難しい時は、納得してもらうことが大事なのでは。
言いなりで流れで決めたというよりも、よく分からんけど自分で決めたし納得している、満足している。
分からない私はここを目指してもいいのでは、という考えに至ったのである。
「分かったから納得」は自然な流れだが、「納得してるからと言って分かってるとは限らない」とも思う。でもそれでいい気がしてきた。
だから私も仕事で山寺宏一側の立場になった時、相手に分かってもらえるように努力してそれでもダメなら、納得してもらえるように、信じてもらえるように矛先を変えてもいいなと思った。
そういえばこれまでの仕事の経験で、なかなか分かってもらえなかった相手が、何年も経ってから、「ふとした時にあののりまきさんの言ってた意味が、すとんと腑に落ちた」と報告されたこともある。分かるまでの時差もあるし、分かってないけど腑に落ちるということもある。
今分からなくてもいいのではないか。
この経験談は知識の話ではないし、ローンや金利は単に知識として分かればいいだけの話なので、数年後に急に、ふとした時に金利のことが分かる日など来ない訳で、全くの別物なのに、都合よく私はごっちゃにしている。
いいの、いいの、気にしない。
結局、ごっちゃにしていたとしてもそれを納得する要素として、相手が信頼に値する人間かどうか。
誠意があるかどうかが大事だと、私の中の菅原文太が言っている。誠意って何かねby北の国から。
いや、ローンを学ばずに何を学んでんねん私。
でも、いいの。
人生は短いし、同じ持ち時間なら、興味のないことを嫌々学ぶよりも、自分が興味のあることを突き詰めたいからね。
この客は分かってないからこのまま進めよう、など都合良く向こうのペースで進めようとしていないかどうか。
私自身が、この人がそう言うならそうしようか、と思えるかどうか。
私の借金人生を、山寺宏一や、りそなの女の人たちに賭けていいかどうか。
私をナメていないか。(気の強さが表れている確認事項)
私を面倒だなあと思っていないか。(思ってはいると思うがそれを煙たがってはいなさそうである。)
滞りなく素早く事を進めることを最優先していないか。
私に損させたくない、と私に対する愛着を持ってもらえるように。
私を大阪湾の海に沈めたくないという同情が生まれるように。
色んな方面の確認を私なりにしていき、私への愛着を深めてもらいつつ、山寺宏一とりそなの女Bへの信頼度を上げ、りそなの女Aには私の担当から外れてもらい(目玉の奥に誠意が感じられなかった)、厚化粧の女は再登場しないまま、いよいよもうすぐ契約となるところまで漕ぎ着けた。
結局、相変わらずローンについても金利についてもほとんど分かっていないが、大阪湾に沈められることはなさそうだと確信していて、山寺宏一のプランに納得している。
つづく…
買うのかマンション物語。そろそろ本当に買いそうです。