「あなたはなぜここに来たのか?」【世界多分一周旅イスラエル】
今現在、イスラエルのエルサレムにいる。
昨日、テンプル・マウント(神殿の丘)に立った時に、イスラエル兵に尋問を受けた。
そして、エルサレムの聖ヤコブ大聖堂でも、神父に同じ質問をされた。
「あなたはなぜここに来たのか?」
「なぜこの国に、この地に興味を持ったのか?」
「あなたはキリスト教徒?イスラム教?違うのになぜ?」
「ここに実際に来て何を思うのか?」
伝える努力をしたが、英語だったのでうまく答えられなかった。
と思うことにしたが、そもそも日本語でもうまく答えが見つからない。
だが、その質問について、今まとまらない頭の中をそのままここに書いてみようと思う。
私はクリスチャンではない。
なのにスペイン、サンティアゴ・デ・コンポステーラに続くキリスト教の巡礼路カミーノを歩くということをライフワークにしている。
上の問いの答えはカミーノを歩く理由にも関連してくると思うけど、キリスト教に興味があって歩き始めたわけでもない。
熊野古道から歩き始めている流れでスペインのカミーノを歩くことになったが、旅が好きで、「歩き続けて旅する」というスタイルに惹かれたところもある。
巡礼路というだけあって、道には数え切れないくらいの教会があり、修道院に泊まらせてもらったり、ミサに参加したり、キリスト教の文化を何も分かってないままに混ぜてもらったような形で触れていった。
今や1300kmも巡礼路を歩いた私なので、これだけキリスト教の巡礼路を歩き、キリスト教の三大聖地(バチカン市国、サンティアゴ・デ・コンポステーラ、エルサレム)のうち、まだ行ったことのないエルサレムにも行っておきたいなという、単なる三大聖地を達成したいという観点から、エルサレムに興味を持ち始めたのかも知れない。
三大なんとかって言われると行きたくなるし、聖地って言われると無性に気になる旅心。
そして、それ以前に宗教というものへの関心。
インドを何度も旅する中で、ヒンドゥー教の神様の話が大好きになって、調べてある程度詳しくなっていってどんどんハマったし、シィク教やイスラム教、キリスト教に関しても、インドの旅を通してたくさん触れてきた。
国家とは宗教、言語、民族。
これらのどれかや、どれもで成り立っているのかなと、旅をしながらその考えが少しずつ濃くなっていった。
そして戦争や紛争。
宗教が絡むことが多い。人を救うはずのものが、命の奪い合いにもなっていること。人の持つ信仰心についても興味がある。隠れキリシタンについても一時期ハマって本を読んでいた。イスラエルの前にいたトルコでも、Netflixのドラマ「オスマン帝国」で、コンスタンティノープル陥落を見て、オスマン帝国にもハマっている。
でもどれも、触れたその時にチラッと思う程度の浅いものが多いが、宗教というものは、世界を旅する上で無視できない要素なのは間違いない。
誰もが知っているキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地エルサレム。
世界を何ヵ国も旅していたら、宗教に触れることが増えたら、この地に関心を持つのは当然の流れだとも思う。
映画「サン・オブ・ゴッド」の中でイエス・キリスト(イエス役がイケメンすぎる)が十字架に磔の刑になっていたが、イエスのいる場所の舞台は全てエルサレムだった。ここを知ることが、キリスト教を知ることの第一歩なのだろうとその時に思った。
そしてユダヤ人への関心。
好きな映画の一つにロベルト・ベリーニ監督の「ライフ・イズ・ビューティフル」がある。ホロコーストをテーマにした映画はこれ以外にもたくさん見てきて、ユダヤ人が歩んできた苦難の歴史に関心がある。
その一方で、パレスチナとのこじれた関係。池上彰からざっくりと聞いたことはある程度だが、パレスチナについても関心がある。
また、世界トップクラスのGAFA(Google,Apple,Facebook,Amazon)のうちAmazon以外の3社とMicrosoftのトップはユダヤ人が関わっていること。世界の金持ちの35%がユダヤ人だとか、頭がいいとか、詳しく学んでないから漠然とユダヤ人はそういう「選ばれし民族」のような印象もある。
知らないからこその中途半端な漠然とした(偏った)イメージがあり、それってどうなんだろう?と現地で自分なりに検証したいという思いもある。検証は無理でも現地で何か感じたい。
また、仲良くなった方がエルサレムに住んでいたということ。その方にとってエルサレムが特別な場所であるということ。
そして、旅で知り合った何人かのイスラエル人から聞いた兵役の話や、ユダヤ教の話など。
それらがよりイスラエルを身近にさせた。話を聞くたびに、行ってみたいな、とそう思わせた。
そんなことをひっくるめて、イスラエルに行くことにしたのである。
そして私は、ちょっと気になるな、行ってみたいかも、この流れに乗って次はあそこに行きたい。
そんな程度の動機で旅先を決めていて、ちょっと気になる程度で行ってしまう。
私の旅のスタイルとして、フットワークは軽く、というのがテーマだったりするので、やはり、確固たる信念や理由を抱いて一念発起してイスラエルに来たというよりも、いろんな関心が地味に沸々とわいていきて、タイミング的に、よし行こうという流れがきて、トルコからイスラエルへの飛行機が1万円を切っていたので、飛んでこの地に舞い降りた。
これが正しい。
そしてまとめると、「なんか来ちゃったんだもん、仕方ないじゃない。」って言いたかった。
英語で言えないし、言う勇気もなかった。
何を思うのか。
何を思ったっていいじゃない。
神父はさておき、イスラエル人兵士に言う必要あるんですか?って今思う。
マシンガンにびびってもうて、「interesting」とか言ってしまったが。
何を思うかは私の自由。
今のところ、エルサレムはとても刺激的な町だと感じている。唯一無二の場所のようにも思う。
物語の舞台があちこちにある。まるでユニバーサルスタジオのようだし、太秦映画村のよう。
ロケ地巡りの旅が好きな私だが、エルサレムは究極のロケ地巡りができる世界一の場所だと思う。
なんせ、世界中で最も読まれているベストセラー「聖書」のロケ地な訳だから。聖書のロケ地を聖地というのだ。
そういう意味でとても刺激的で、物語の中に入ったみたいで毎日ワクワクしている。
また、そんなロケ地のあちこちで、あらゆる宗教の人々の強烈な信仰心を見せつけられる。どういう思いなのだろうかと目を疑うくらいの熱心な姿をあちこちで見ると、自分の方が普通じゃない気すらしてくる。
そして、明日はパレスチナへ行く。
本物のバンクシーを見に行く。世界には、ウクライナだけじゃなく、ミャンマーやチベット、パレスチナなど、救いを求めている民族がまだまだ世界中たくさんあるということ。それも旅で見てきたし、見て感じたい。
刺激をたくさん受けたあと、刺激、興奮がおさまった後の自分に何が残るのか、何も残らないのか。消えていくのか。消えたように見えて奥深くに積もるのか。
自分自身でも知りたい。
思いついたまま書いたが、これが今の考え。
そんな訳で、今は毎日刺激を受けてワクワクしながら、イスラエル、エルサレムにいる。