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あの日開けたのは、”風穴”だった。

耳たぶを氷で冷やして機材を当てる。低く小さな声で、「いくで。」と彼女が言い終わらないうちに、バチン、と音がして、その儀式はあっけなく終わった。

イヤリングの仰々しい留め具はどうしても好きになれず、イヤカフもほとんど流通していなかったから、30歳間近のそのときまで、耳飾りをつけたことはほとんどなかった。ピアスホールはずっと開けたいと思っていたが、今に比べてさらに度胸がなかったわたしはなかなか勇気が持てず、ピアスを作ることを生業とする友人の来訪を待つことにしたのだった。

ピアスの穴の向こう側は、穏やかな青空にも見えたし、びゅうびゅう吹き荒れる嵐にも見えた。いずれにしてもわくわくした。そんなことはどっちでもよかった。穴を開ける、ということが重要だった。

耳の痛みは心地よくさえ感じた。家に泊まった彼女は、翌日パスタを作って待っていた。キャベツとオイルサーディンのシンプルなパスタ。食いしん坊の彼女は、自分の分はもう食べ終わっていたが、わたしがワインを開けると一緒に食卓についた。

そのパスタはローリエの風味が際立っていて、使い慣れたはずのその香りが、なぜかそのときはとても新鮮に感じられた。胡椒のようなぴりっとした風味、料理の輪郭を際立たせる独特の強い清涼感、昆布出汁のようなしみじみとした奥深さ、そしてパスタ全体に満ちている秋の気配。それらを一口ずつ確認しながら、黙々と食べる。「食べれるやろ」と大盛りにされたふたり分のパスタを、あっという間に平らげてしまった。

それから毎日少しずつ、景色が変わって見えた。宣伝カーの音も、電子広告も、客引きの呼びかけの声も変わらずそこにあったが、ベーカリーの店頭で焼きたてのバゲットがたてる皮のぴしぴしいう音や、料理店から漂う出汁の香りに気づくようになった。会社の帰りに寄り道をして、大きな書店やCDショップで自分のお気に入りを見つけたりできるようになった。緑の匂いがなくても、それに代わるものが其処此処にあることを、学んだのである。

そして次第に、多くの人が、本質と立場の間で鎧を身につけていることや、その鎧こそを誇りとしていることにも、気づくようになった。

あれから幾度となく風穴を開けてきた。鎧を組み立てる器用さを持ち合わせていないわたしは、痛みを伴おうともその風穴を広げ、体当たりを繰り返すことしかできない。それでも、風穴の向こう側には必ず新しい景色が広がっている。はじめは、ローリエの香りのようなちいさなことでも、かならずそれらはつながり重なって、大きな流れや気付きとなって、わたしを守り、鼓舞し、また次の風穴への嗅覚を引き出してくれる。



彼女のパスタをブルスケッタに代えて
「キャベツとオイルサーディンのブルスケッタ」

●材料(作りやすい分量)
キャベツ 1玉
セロリ 1本
にんにく 1片
オリーブオイル 大さじ2と適量
トマト缶 1/2缶
白ワイン 大さじ3
オイルサーディン 1缶
塩 小さじ1程度
ローリエ 1枚
パン 適量


●作り方

  1. キャベツとセロリはざく切りに、にんにくは半割りにして芽を取り除く。

  2. 鍋にオリーブオイル大さじ2とにんにくを入れ、香りが立ったらキャベツとセロリを入れて塩小さじ1/2を加えしんなりするまで炒める。

  3. トマトを潰しながら加え、白ワイン、オイルサーディンも加え、蓋をして20分程度、キャベツがくたっとして全体がまとまるまで煮込む。味が足りなければ塩で調味する。

  4. かりっと焼いたパンにのせ、オリーブオイルをたっぷりかける。

ポイント:
茹でたパスタに絡めてもよい。仕上げのオリーブオイルは、香りのいいものを惜しみなくたっぷりと。ローリエの香りとの相乗効果でより一層おいしくなる。オイルサーディンの塩加減により、塩は調整すること。

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