日沼 紀子 スパイス調合師/スパイス料理家
2017~2021年に山陽新聞で連載していたエッセイに加筆訂正したものです。
スパイスのしごとをしていて、思うことや思い出したこと、など。誰かのなにかのヒントになるのか、ただの無駄話になるのかはあなた次第。
全部は載せきれませんが、様々な案件やレッスン、講座などのリポートです。日沼の講座ってこんなかんじなんだな、とか、こんなことをやっているのだな、というような場所。
ここは散文枠なので、お仕事の情報や詳しいことはHPへどうぞ。 ●香りの記憶 香りのレシピ 2017~2021年、山陽新聞で連載していたエッセイを手直ししたものを上げています。無料マガジンです。 ●スパイス四方山話 スパイスのしごとをしていて思ったことを、いろいろ書いています。マニアックな考察?とか、逡巡する無駄ごとなど。
あの日開けたのは、”風穴”だった。 耳たぶを氷で冷やして機材を当てる。低く小さな声で、「いくで。」と彼女が言い終わらないうちに、バチン、と音がして、その儀式はあっけなく終わった。 イヤリングの仰々しい留め具はどうしても好きになれず、イヤカフもほとんど流通していなかったから、30歳間近のそのときまで、耳飾りをつけたことはほとんどなかった。ピアスホールはずっと開けたいと思っていたが、今に比べてさらに度胸がなかったわたしはなかなか勇気が持てず、ピアスを作ることを生業とする友人の
その人の手は淡い水色をしていた。ごくごく透明に近いつめたい色なのに、綿毛のようなあたたかさを孕んだ独特の水色。実際に層見えるわけではなく、その手を思い出したとき、水色で思い出すのだ。 手先を使う仕事をしているというのに傷ひとつなくつるんとしていて、繊細に動く指先から、様々な色や形が生み出される。「頭に模様の一部が浮かんできて、それを展開したら形になるんだよ」という、彼女独自の方法でこの世に産み落とされた幾何学模様や図柄は、余計な装飾がなく、どのラインも美しい。 冬だし寒い
スパイス調合、大きくわけると2つの方法があります。 ひとつは、似たような香りのスパイスを組み合わせる方法。例えば、黒胡椒と白胡椒(同じ植物)とか、シナモンとクローブ(甘い香りが共通している)とか。これはわりと簡単にできるし、失敗も少ない。ワークショップやメディアなどで紹介するのは多くはこっちのやり方ですね。 似たような香り(風味)のスパイスを混ぜると、どちらの長所も活かしつつ、短所(主に、クセや風味が強すぎるという点)を見えにくくしてくれるので、使いやすいものになる。
「ケイジャンスパイス」「クラフトコーラ」の会、ご参加くださったみなさま、ありがとうございました! クラフトコーラは、まずは中庸なBASICについて、 ・クラフトコーラを作るスパイス ・なぜそのスパイスで、その量なのか? を学んでいただきました。 その上で、それぞれの好みに応じて、「爽やか」「濃厚」にするにはどうしたらいいのか?を解説。お好みのものを調合していただきます。 一番人気は「爽やか」でしたね!さてご自宅に戻られて、試飲の結果はどんなでしょうか? クラフトコーラ
スパイスをグループ分けする、というのはなかなかに難しい作業です。 スパイスを学びはじめた頃、いろんなスパイスの本を読みました。目次ではたいてい、スパイスがなんとなく区分けされてページ構成されています。どれもいまいちピンとこず、でもそれはわたしの勉強不足なんだろうな、と思い続けてきました。 スパイスを仕事にして経験を重ねても、その違和感が払拭されることがなく、ずっとモヤモヤを抱えたままでした。結局スパイスは、個々の個性が強すぎて、的確な分類などできないのだ、と、自分を納得さ
「天職と思ったらそれが天職。」その人は言い放った。そのときわたしはまだ20代も半ば、会社勤めをしていて、自分の天職など知るすべもなかった。 会社の仕事の一貫で、ウエディングモデルをしたときの話だ。わたしが取り立ててモデル向きだったわけではなく、そのとき会社に居た年頃の女の子たちが持ち回りで担当していた。彼女はそのヘアメイクさんだった。 肌や髪の質感、モデルの個性、そしてもちろん着るドレスに合わせて、メイクやヘアスタイルを自在に組み立てる。彼女が選ぶ色に迷いはなく、見る
たまたま開いた画集の中に、懐かしい風景を見た。グスタフ・クリムトの「樹木の下の薔薇」。クリムトは好きな画家の一人で、その絵も何度も目にしていたはずだったのだが、突如感じたその「懐かしい」という感覚にしばし身を浸して、記憶の糸をたどる。 自転車のサドル近くで揺れるスカートの裾。心地よい春の風。朽ちかけた小屋の壁に枝を這わせる、赤い一重の蔓薔薇。それはかつて通った大学への通学路にあった景色だった。時間があってもなくても、だいたいその薔薇の前で自転車を止める。薔薇が散らないうちに
はじめて彼女がお店にきたときのことを覚えている。冬にはまだ早く、テラスには犬の散歩をする途中に立ち寄る常連さんたちがいて、わたしは彼ら(犬たちも含めて)とおしゃべりしながら、コーヒーを淹れていた。ざわざわする店内で、彼女の周りだけ、時が止まったように静かだった。すっと伸びた背筋、品のある装い。ほとんど白髪に近い髪はゆるくしかし上品にまとめ上げられていた。席につくと手袋をぬいで、赤ワインを注文した。 ビーフシチューを煮た日で、店内にはお肉の食欲をそそる香りとクローブの甘い香り
何日も雨が続いている。都会の雨と違って田舎の雨は、しとしととやさしく木々を濡らし、憂鬱よりも先に穏やかな心地を連れてくる。どろんこ道も、水たまりも、長靴をはけばへっちゃら。これは、雨の日に弾んだ気持ちを抑えられず転げるように外に飛び出していく息子から教わったことだ。 しずかな雨には、煮込み料理がよく似合う。来る冬に“能動的に”備えている、という思い込みが充足感をもたらしてくれるし、部屋に満ちる湯気とおいしい香りは、冷えた身体と空腹、憂いや疲れなど、一日を過ごして溜まった色々